侍従が証言する「雅子さまと紀子さまの違い」どうして差がついたのか…慢心、環境の違い 「良識を疑われる」秋篠宮殿下のお姿



文/佐藤公子

小林忍侍従はかく語りき

いよいよ11月8日に“立皇嗣の礼”が執り行われる。すでに昨年の御代替わりとともに秋篠宮殿下は「皇嗣」となられているが、今回の儀式を通して皇位継承権一位(皇嗣)となったことを国内外に広く宣明することが目的だ。

つまり皇統が秋篠宮家に移ることを示すための儀式であり、男系による皇統維持を目指す政府や紀子さまにとっては「一世一代」の大仕事といえる。一部の秋篠宮家派だけが「皇嗣殿下、悠仁さま万歳!」とこれを大絶賛し続けているという状況が続いている。今回は侍従の日記から秋篠宮家の実情を考察していきたい。

宮内庁職員には様々な役職があるが、そのなかでも「侍従」と呼ばれる方々は、公私の垣根を超えて皇室のオクでお仕えするため、もっともその素顔を知る立場である。そのため彼ら侍従の残した「日記」は天皇研究の第一資料として貴重だ。もっとも公務員には守秘義務があり(場合によって圧力がかかるため)、これら「日記」が本人の存命中に刊行されることは少ない。

それでも「開かれた皇室」「大衆化した皇室」を強力に推進した結果、平成の時代には、昭和天皇にお仕えした侍従たちの日記(もしくは回顧録)が相次いで出版された。主だったものをリストにすると

  1. 入江相政『入江相政日記』朝日新聞社、1990-1991
  2. 卜部亮吾『昭和天皇最後の側近卜部亮吾侍従日記』朝日新聞社、2007
  3. 河井彌八『昭和初期の天皇と宮中 侍従次長河井弥八日記』岩波書店、1993-1994
  4. 木下道雄『側近日誌――侍従次長が見た終戦直後の天皇』文藝春秋、1990
  5. 徳川義寛『侍従長の遺言』朝日新聞社、1997
  6. 中村賢二郎『吹上の季節――最後の侍従が見た昭和天皇』文藝春秋、1993
  7. 小林忍『昭和天皇 最後の侍従日記』文藝春秋、2019

などがある。いずれも昭和~平成初期のころの皇室の実像を克明に描き出しており、読みごたえがある。今回取り上げたいのは、❼小林忍侍従の日記だ。

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大内糺と小林忍侍従

小林忍侍従(1923-2006)は、昭和後半から平成頭まで宮内庁職員として過ごした人物。昭和天皇晩年の侍従をつとめ、平成となってからは良子皇太后(香淳皇后)のお傍に仕えた。入江相政や卜部亮吾が侍従職幹部であったが、小林忍が中堅職であったことも重要だ。なぜならその関心が、後世に日記が公開されることを予期した「壮大なテーマ」に向けられるのではなく、皇室の問題点や皇族方への不満などにも向けられているからだ。

ここで一つ面白い事実を紹介したい。『宝島30』1993年8月号に掲載された宮内庁職員・大内糺「皇室の危機――『菊のカーテン』の内側からの証言」という記事は、美智子さまを「贅沢三昧の女帝」と表現し、いわゆる「美智子さまバッシング」の急先鋒となった。実はこの記事に、小林忍侍従が登場するのである。それは次の一節。

先帝陛下(昭和天皇)に長らく仕えてきたKという七十歳を目前にした元侍従が、勲三等に叙せられることになった。ところが、K元侍従は「結構です」と辞退してしまったのである。

担当者はあわてふためいて翻意を促した。しかし、K元侍従の決意は固かった。K元侍従が親しい友人に語ったところによると、勲章辞退の理由は今の天皇陛下から項戴したくない、ということに尽きた。「昭和天皇陛下からだったら、有難く項戴させていただいたのに……」とK元侍従はつぶやいたという。

大内糺「皇室の危機――『菊のカーテン』の内側からの証言」『宝島30』1993年8月号

このK元侍従とはまさに小林忍のことだ。日記には次のようにある。

平成5年6月24日(火曜日)

皇太后宮職の引間庶務係長から4月半頃、旭三の叙勲となるが受けますかとのことだったので、まだ非常勤ながら出勤しているから辞退する旨答えた。卜部氏から同様の電話があったので、真意は、長い間お仕えしお世話になった昭和陛下からなら喜んでお受けするが、殆どお仕えしていない現陛下からは受ける気にならない、と伝えた。

小林忍『昭和天皇 最後の侍従日記』文藝春秋、2019

恐るべき一致である。もちろん、卜部亮吾は上司であるから「親しい友人」と同一人物であるかまでは断言できないものの、大内糺は小林忍元侍従の近辺から内部事情を知り得た人物であることに間違いない。

皇室作家の工藤美代子は「この人物(大内糺)はどうやら侍従など内側の詳細を知っている者ではなさそうだ」と述べているが(『美智子皇后の真実』幻冬舎)、実際にはそうではなく「侍従など内側の詳細を知っている人物」である可能性が高いのだ。(元侍従が受勲を辞退したという話題は『サンデー毎日』1993年6月27日号が初出のようであるが、「K元侍従」とイニシャル限定されたのは大内糺が初である)

事実、別の記事で詳説する予定であるが、小林侍従は平成の天皇陛下、および美智子さまに対し何度も苦言している。

小林侍従のみた今上陛下と秋篠宮殿下の違い

このように平成終わりに刊行された小林侍従の日記が、平成初めに起きた「美智子さまバッシング」が正しかったことを証明するとは、驚き以外の何物でもない。小林侍従の日記には、平成皇室の実情が何度も取り上げられる。そしてそのほとんどは、平成の両陛下、ならびに秋篠宮ご夫妻に向けられた「諌言」なのだ。

例えば、秋篠宮殿下が紀子さまと結婚された折に取られた写真については次のように評価されている。

平成2年6月20日(土曜日)

この四方のお写真は、正式の記念写真として問題がある。秋篠宮殿下が両手を前で組んでいるのは論外。最高の正装をし極めて改まった写真であるべきところ、こんな姿勢では良識を疑われるというべきである。従来から殿下は両手を組むくせがおありのようで、そういう写真をよく見る。陛下の左手も甚だよくない。掌を大きく開いている。自然にのばすか、軽く握るかすべきであろう。これもくせらしく、竹の間における国賓との写真でもみかける。

いずれもこの場に立合ったに違いない側近(侍従か)の者が当然注意してお直し願うべきである。カメラマンはそこまで立入って申しあげることはできない。折にふれ報道される写真であるだけに、特に日頃からキリットしない動作の多い秋篠宮殿下にとって大きなマイナスである。立合った側近の責任重大である。

小林忍『昭和天皇 最後の侍従日記』文藝春秋、2019

その写真とは次の一枚。

「論外」「良識を疑われる」「日頃からキリットしない」「大きなマイナス」と驚きの評価だが、皇太子殿下(現、天皇)と雅子さまの写真を比べればその差は瞭然である。

読者の皆様も驚いていることだろう。令和の両陛下の結婚写真には凛とした高貴さが漂っている。結婚された皇太子殿下の精悍な表情と、雅子さまの慈愛に満ちた優しさが写真全体から伝わってくる。これこそ皇室の威厳なのだろう。

紀子さまと雅子さま

また小林侍従は秋篠宮殿下と紀子さまの結婚については次のように述べている。

平成元年9月26日(火曜日)

御結婚の日どりは来年6月末ときまり発表された。6月半ばに英国での御修学が実質的に終了するので、殿下の早い御希望に応えてそうきまったらしい。9月説もあったというが、そのほうが9月まで御修学の期間なのだから当然なのだが。

小林忍『昭和天皇 最後の侍従日記』文藝春秋、2019

秋篠宮殿下は、周囲の声を押し切り「今すぐ結婚できないなら皇籍離脱する」との覚悟を見せたが、宮内庁内での反発が多かったことを如実に示している。

また雅子さまと紀子さまの違いについては次のように。

平成5年6月9日(水曜日)

皇太子結婚式。(中略)妃殿下の洋装がよく似合った。

平成5年6月22日(火曜日)

秋篠宮邸前を通ったが、門前の車庫前に同宮妃殿下がお子さんをつれ運転手とお話ししておられたので、おじぎをした。全く普段着のスラックスにTシャツという姿で、最初は妃殿下とは気づかないほどだった。

小林忍『昭和天皇 最後の侍従日記』文藝春秋、2019

この二つの日記は連続しており、興味深い。小林侍従の真摯な感想であるに違いない。どうしてここまで差がついたのだろうか。それは雅子さまの育った環境が素晴らしく、慢心することなく真摯に育ったからであろう。

令和の天皇家ご一家と秋篠宮家の「違い」について言及されることが多くなってきたが、それは(表に出なかっただけで)昭和・平成の時代からあったことは間違いないだろう。

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