文/宮本タケロウ
秋篠宮さま立皇嗣の礼
秋篠宮さまの立皇嗣の礼の日にち(11月8日)がいよいよあと2週間ほどに迫ってきました。
紀子さまも、本来であれば4月19日に行われた儀式が半年以上も延期になり、コロナウイルス禍の先が見えない混迷の中にありましたので、「本当に立皇嗣の礼がやれるのか?」と不安になっていたとのことですので、無事に着々と準備が進んでいる様子に安堵の笑顔を見せていると聞きます。
ところで気になるのは、「秋篠宮の立皇嗣の礼、反対!」の動きです。
立皇嗣の礼が4月に予定されていたころからすでに(動きとしてはそれ以前から)インターネット上では「立皇嗣の礼、反対!」の動きが徐々に加速し始め、Change.orgという署名サイトでは「立皇嗣の礼、反対!」の署名運動が次々に立ち上がりました。

また、ヤフーニュースなどでも秋篠宮家の動向が伝えられるたびに、「秋篠宮の立皇嗣の礼、反対!」「アホのアーヤが天皇になっても敬愛しない」「秋篠宮がテンノーになるなら、もう令和で終了で良い」などとの意見が多数を占めるに至っているのはサイト読者の皆様も周知の事実だと思います。
人々が秋篠宮さまの「立皇嗣の礼」に反対する理由は何なのでしょうか?
[ad1]愛子天皇派の漫画家・小林よしのりはこう語る
「立皇嗣の礼反対!」の意見を理解するために、まず、熱烈な愛子さまファンで「愛子さまが天皇にあれば日本は素晴らしい国に生まれ変わる!」などと言う漫画家・小林よしのり氏の論を引用しましょう。
そもそも秋篠宮殿下の「皇嗣(こうし)」という立場は「皇太子」とは全く違う。(中略)
皇嗣とは流動的な立場で、後に皇嗣でなくなることは当たり前にあり、それを廃嫡などとは言わない。これは何がなんでも秋篠宮さまから悠仁さまに継承したい男系固執派が持ち込んだ用語である。
同様に、皇太子となることを宣明する「立太子の礼」はあっても、「立皇嗣の礼」が行われたことは史上一度もない。それなのに政府は2020年、ありえない「立皇嗣の礼」をやろうとしている。これは、暫定的な皇位継承順1位にすぎない秋篠宮殿下が次の天皇に「確定」したかのごとく、国民に錯覚させようという策略である。
エコノミスト・オンライン「男系天皇継承は男尊女卑の悪習である=小林よしのり(漫画家)」2010年1月14日
つまり、皇嗣は流動的な立場なのだから、「儀式なんかで確定させるな!」という意見です。
そして、最終的に「立皇嗣の礼反対派」の意見は、憲法に記載された「天皇の地位は国民の総意に基づく」という条文に至ります。
いま国民から噴出している「秋篠宮ご夫妻は次期天皇夫妻として認め難い」という声に、耳を傾ける必要があるのではないでしょうか。それらの声を「畏れ多い」「デマに踊らされている」「陰謀論」等と切り捨てるのではなく、国民は何に憤り、何を問題視しているのかをまずは汲み取り、その真偽を明らかにする必要があるはずです。
戦後の平和憲法にうたう「国民統合の象徴としての天皇」は、国民の総意(民意)に基づくのですから。
「令和皇室レポート」(2020年3月15日)
こうした意見は、確かに「天皇の地位は国民の総意に基づく」と憲法で決まっている以上、正論ですね。
となると、“国民の総意”の法的な体現の場は、ほかならぬ“国会”の場ということになりますので、国会で皇位継承順位の変更、具体的には「秋篠宮さまではなく、愛子さまを皇太子に!」という議論をする必要が出ていきます。

国会で皇位継承順位を変更することはできるのか?
国会で“皇位継承順位の変更”を議論する…
果たしてそんなことできるのでしょうか?
少し調べてみますと、実はこの問題に関しては、現在の皇室典範を制定するとき(1946年)に既に政府内(内閣と国会とGHQ)で議論をされていたことがわかりました。
現在の皇室典範には「皇嗣の変更」についての条文がありますが、これについて「皇嗣の変更(皇位継承順位の変更)は国会の議決を経るべきではないか?」という想定問答を内閣法制局が作成しているのです。
皇嗣の変更は国会で議論すべきかどうか…その答えは驚くべきものでした。
引用しましょう(旧字体を現在の字体に改めた)。
問:皇嗣の変更は、国会の議決によることが本当でないか。少くとも、国会に異議権を与えるか、利害関係人が国会に異議を申立てる途を拓くべきではないか。
答:皇嗣変更の場合に具体的事実関係の裁定にあたって、その調査手続や論議を公行群議することが適当でないことが多く予想せられ、又、場合によってはかえって国民環視の内で御本人の名誉を毀損するような事が議せられることになる場合もあり得る。むしろ国会に代わり得る少数の権威者達が十分審査検討して冷静公正な判断を加える制度にした方が安当であると考える。又国会の異議権を与えるとか、利害関係人が国会に異議を申立てる途を拓くことは、結局において国会の議に付さるのと同じことになるのみならず、異議という形式で問題をとり上げられることにより、却て問題は紛糾する慮があり、又政治問題ないし政争の具に供せられる危険も生ずる。以上のようなことを考慮すると、このような問題を国会の議に付することは避けたいと考える。
芦部信喜・高見勝利『皇室典範〔昭和22年〕日本立法資料全集1』信山社、1990年、193頁
はっきりとお分かりいただけると思います。
「“皇位継承順位の変更”は国会で審議しない」となっていますね。

皇位継承順位の変更は国会で議論しない…
内閣法制局が作成した資料によれば、皇位継承順位の変更という皇族個人の問題を国会で話し合うと政争の具になってしまうので、少数の権威者が内々に審議すべきだとしています。
これが1946年から80年近くにわたって引き継がれている政府見解です。この事実は非常に大切なことでしょう。
なぜなら、時の政権が勝手に政府見解を変えてしまっては、法治国家の原則が崩壊してしまうからです。
考えてみれば安倍政権や菅政権では、黒川検事長の定年延長や学術会議の任命拒否など、様々な問題で、プロセスや根拠を明らかにしないまま、「いずれにせよ、適切に対処した」という雑な一言で政府見解を勝手に覆すということを繰り返し、良識的な多くの国民から強い批判を浴びてきました。
「政府見解を勝手に変えるアベ政権・スガ政権にNO!」
「民主主義を、法治国家の原則を守れ!」
サイト読者の皆様には、そう思う人もきっと多いと思います。紀子さまもガッツポーズして大喜びしていることでしょう。
日本が民主的な法治国家であるために、「立皇嗣の礼」が滞りなく行われることを一緒に祈っていきたいですね。
秋篠宮さまが立皇嗣の礼を経て、堂々とした確固たる皇位継承者となった日こそ、素晴らしい日本の民主主義と法治国家の原則が再確認される輝かしい日になるのだと、そう確信しています。
喜びをともに分かち合いましょう!
紀子さま万歳!
(*一部、編集部により変更しております)
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