美智子さま「雅子さんは監禁してでも皇室のしきたりを躾けてあげなさい」の慈愛



文/木下聡

雅子さまと美智子さまの確執

昨年の代替わり以降、大変な活躍を見せられ、多くの国民から愛情と尊敬の念を集めている雅子さま。ハーバード大学を非常に優秀な成績で卒業し、外交官として活躍するキャリアウーマンとしての道を捨て、1993年に天皇陛下(当時は皇太子殿下)と結婚し皇室に入られた雅子さまだが、皇室入りされてからの道のりは苦難の連続であった。

当時、外交官を「一生の仕事」と考えられていた雅子さまに結婚の決意を抱かせたのは、天皇陛下の「外交という分野では、外交官として仕事をするのも、皇族として仕事をするのも、国を思う気持ちに変わりはないはず」という力強いお言葉であったという。

婚約会見においても「(外務省を去る時に)後ろ髪を引かれる思い」であったと率直に語られた雅子さまだが、結婚を決断された際の想いについて次のように語られた。

「いま、私の果たすべき役割というのは、殿下からのお申し出をお受けして、皇室という新しい道で自分を役立てることではないかと考えました」

このように、皇族としての国内外での様々な活動に意欲を見せられていた雅子さまであるが、皇室入りされた直後から期待と現実とのギャップに苦しめられることとなる。

「ハーバード大学を卒業し、外交官としての活躍されていた雅子さまは、皇族としては珍しい合理的思考法を身につけられておりました。しかし、実際の皇室は一見不合理にも思える因習や伝統に縛られた世界ですから、スマートで合理的な思考力を持つ雅子さまは順応するのに苦しまれたようです。

特に、美智子さまからの風当たりは厳しく、雅子さまが公務のやり方などに疑問を挟もうものなら、烈火のごとく怒りを露わにされ、“あなたはただ黙ってルールに従っておけば良いのです”などと仰られることもよくありました(宮内庁関係者)

雅子さまが公務の内容について質問される度に、宮内庁の職員や美智子さまから、厳しい叱責を受けられていたことは、当時の職員らの間では周知の事実であったようだ。『週刊文春WOMAN』では元東宮職の次のような言葉が紹介されている。

「雅子さまは公務に真剣に取り組もうとするあまり、内容に疑問を持って質問されることもあったといいます。ご自分ご経験を生かされつつ東宮妃として役立てないかということを模索されていたそうですが、両陛下あっての東宮という存在なので、そうした言動は皇室の中では裏目に出てしまわれることがあったそうです」(元東宮職)

『週刊文春WOMAN』(vol.3 2019夏号)

こうした雅子さまと美智子さまとの確執は、後に「人格否定発言事件」へと繋がっていくことともなる。

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「監禁してでも雅子さんには皇室のしきたりを叩き込みましょう」

皇室入りされて以来、皇室外交などよりも、「お世継ぎ」の期待を押し付けられ、公務の数も極端に減らされていた雅子さまについて海外メディアは「カゴの中の鳥」などと報じることもあった。

あくまで比喩として捉えられているこの「カゴの中の鳥」という表現であるが、当時の雅子さまのご様子や宮内庁の対応を知る職員の中には、これは単なる比喩表現ではなく、「雅子さまは、実際に皇室というカゴの中に閉じ込められていたのだ」と証言する者もいる。

「美智子さまや紀子さまは、皇室入りされて以降も、たびたび実家のご家族と交流されておりましたが、雅子さまだけは特例でご実家との交流を一切禁じられておりました。

どうやら、こうした措置の裏には、“少しでも早く、皇室の伝統やしきたりに順応させなくてはいけない”という美智子さまのご配慮があったようです。おそらく、皇室の慣習や伝統に対し、しばしば疑問を差し挟まれる雅子さまのご姿勢に不安を覚えられたのでしょう。

美智子さまは実際に“雅子さんは監禁してでも皇室のしきたりを躾けてあげなさい”と指示されていたようですから、相当に切迫した危機感を抱かれていたことは確かです」(前出の宮内庁関係者)

2003年には、TVニュースで「雅子さまが9年ぶりにお里帰り」などと報じられたこともあった。多くの国民が9年間もの間雅子さまが実家のご家族との面会を禁じられていたことに驚いたのであるが、こうした措置も美智子さまによる慈愛のムチであったようだ。

“人格否定発言”の裏にあった美智子さまの慈愛

こうした美智子さまの慈愛のムチは、後に「人格否定発言事件」にも繋がることとなる。天皇陛下は、2003年に欧州三カ国ご訪問への出発前の会見にて、雅子さまの心境について次のように述べられた。

「外交官の仕事を断念して皇室に入り、国際親善を皇族として大変重要な役目と思いながらも外国訪問をなかなか許されなかったことに大変苦悩しておりました」

「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」

この会見が行われた後に、雅子さまは精神科医を付けられ、「適応障害」との診断が下されることとなる。

「美智子さまは、、これまでの外交官としてキャリアを形成されてきた雅子さまに、一人の女性皇族として生まれ変わってもらうようにとご指導されてきたのですから、そうしたご指導が、陛下の目に、“人格を否定するような動き”として映ったことも無理のないことでしょう。

美智子さまは、こうした陛下のお言葉を聞かれた際には、目に涙を浮かべながら、“これも全ては雅子さのためなのです”と震えるような声で呟かれておりました」(同前)

こうした美智子さまの、傍目には虐待と捉えられてもおかしくないような厳しいご指導も、全ては皇后になられる雅子さまに皇室の伝統やしきたりを叩き込み、国民から愛され尊敬される立派な人格を形成させるための試練であったようだ。

現在では、「雅子さまイジメの主犯」などと批判されることもある美智子さまだが、実際には、こうした汚名を被ってでも雅子さまを立派な皇后陛下にしようと必死の努力をされていたのである。

このような美智子さまの自己犠牲の精神はまさに称賛に値するものであり、同時に、その偉大さの証明であるともいえるだろう。

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