悠仁さまの「極秘・誕生資料」 雅子さまから「国家的マタハラ」は本当だった



文/宮本タケロウ

秋篠宮家へのバッシング

コロナ禍が落ち着きを見せる中で、皇室にもかつての活気が戻ってきた。さる10月28日、天皇皇后両陛下と上皇ご夫妻、秋篠宮ご夫妻は、鎮座百年祭を迎えた明治神宮を参拝された。皇族方が一堂に会するのは、今年一月の新年祝賀・一般参賀以来となった。美智子さまは大型マスクにサングラス姿という驚くべき姿で前に現われ、国民の度肝を抜いた。

美しすぎる美智子さま。

そしていよいよ御代替わりの最後を飾る“立皇嗣の礼”が11月8日に迫っている。だがネット上の世論は芳しくなく、本サイトの読者の多くも、秋篠宮家に対して疑問を抱いていることだろう。秋篠宮殿下ご本人のみならず、紀子さまや眞子さま佳子さまへの批判が激しいが、さすがにまだ中学生の悠仁さまを苛烈にバッシングするには至っていない。

「未成年をむやみに批判しない」という人として最低限の節度を保っている状況には筆者も取りあえずはほっとしている。しかしネット上では悠仁さまについて「試験管ベイビー」「産み分け」など状況証拠に基づく「噂」が流布していることも事実だ。前回の記事でこれの「噂」を科学的に否定しようとしたが、うまいかなかった。ですが「噂」は「噂」にすぎない。小室圭さんが握るとされる「悠仁さまの秘密を録音したテープ」というのも、『週刊文春』2019年6月27日号などが騒いでいるだけのものだ。

今回は14年前に悠仁さまがご誕生したときの極秘ともいえる感動物語を振り返ってみたいと思う。

美智子さま「雅子は恩知らず!」に、天皇陛下「老害はいいかげんに」の慈悲

悠仁さまのご誕生を振り返ろう

まず、サイト読者が悠仁さま誕生時の以下のような思い出を聞かせてくれた。

「本当にうれしかったですね、40年ぶり(※正しくは約41年ぶり)の男性皇族の誕生でしたから。当時はロボット工学の専門家が座長を務める有識者会議が、『女系容認』という皇統の断絶が目されていたときでしたので、紀子さまのご懐妊に『神の意思』を見た気がしたものです」(サイト読者、30代女性)

確かに、皇位が男系で繋がれてきたのが日本の皇室の過去であり、女系天皇は皇統の断絶に他ならない。それが「土壇場で継がれた!」という「安心感」は非常に多くの人々に共通する感動だったことだろう。

「私にとって、2006年当時の悠仁さまご誕生は皇統を救ってくださる希望の星として映りました。

動物を見て可愛らしく微笑む悠仁さま、 ブータン王子と並んで交流される悠仁さま、 宮内庁の文化祭に出品される悠仁さま、田んぼの写真をお撮りになる悠仁さま…

すくすく成長される悠仁さまの姿を見るたびに、ああ、これで皇室は安泰だな、日本は大丈夫だ。ぜったい大丈夫!…と思いを新たにするんですよ」(サイト読者、30代女性)

皇室のメンバーに若い男の子がいらっしゃる、両陛下に可愛い甥がいるということは、いわゆる「愛子天皇派」の人達にとっても嬉しいことであろう。

敬宮さまにとっても悠仁さまは、可愛らしい年下の従兄弟である。可愛い従兄弟の成長は、敬宮さまにとってもまるで実の弟のように喜ばしいはずだ。

紀子さまに対するバッシング…

さて、いわゆる「愛子天皇派」は、悠仁さまのご誕生を「兄一家である天皇皇后両陛下を秋篠宮が出し抜いた」と捉えるが、少し違った認識をする人もいる。

「実は、秋篠宮家は平成の一桁台には、実は壮絶なバッシングを受けていたんですよ」

そう語るのは、皇室ジャーナリストのI氏だ。

「秋篠宮は兄である陛下に先んじて結婚され、お子様を二人も先にお持ちになりました。第二子を妊娠された当時、紀子さまは周囲から『皇太子夫妻に子供がいないのに、もう第二子を作るのか』と批判されたのです。

佳子さま誕生後、『皇太子殿下がまだだから、もう二人も生まれたことだし、遠慮しよう』と12年間もずっと遠慮されてきたのが秋篠宮両殿下なのです。それを悠仁さまの出生で『出し抜いた』だなんて…本当に酷いデマだと思います」( 皇室ジャーナリストI氏、以下同)

確かに、I氏の言う通り、悠仁さまご懐妊時には週刊誌がこのように報道している。

1994年12月29日、第2子で次女の佳子内親王が誕生したとき、「(いまだに子女が誕生していなかった)兄宮・徳仁親王および同妃雅子に遠慮すべき」とのバッシングや批判があり、秋篠宮ご夫妻は以降は長らく子供をもうけなかった。

『週刊文春』2006年2月23日号:内容抜粋

兄の皇太子(現天皇陛下)に遠慮し続けて、12年…

遠慮に遠慮が重なって、気が付いたらいつしか「皇統の危機」が叫ばれるようになっていた。

「佳子さま誕生が1994年で悠仁さま誕生が2006年です。この12年間、出産適齢期の28歳から39歳までずっと遠慮され続けてきたのが紀子さまと秋篠宮さまなのですよ…

その12年間は、皇太子殿下と雅子さま(現・両陛下)には『子ども産めプレッシャー』がかかり、秋篠宮殿下には『子ども産むなプレッシャー』がかかっていた。

つまり、国家的マタハラが行われていた期間だったのです。考えてみてください、12年間というのは、3人くらい子供が生まれていてもおかしくない期間でしょう?『出し抜いた』…だなんて笑止千万!むしろ、『雅子さまさえいなければ全く問題なかった。秋篠宮ご夫妻が遠慮さえしなければ…』と歯がゆく思う方も多いでしょう」

紀子さまに対する壮絶な国家的マタハラ

なるほど、確かに、この期間に秋篠宮さまが『遠慮』さえしなければ…紀子さまに男のお子様が何人か生まれて、悠仁さまにお兄様が何人かいた可能性も大きい。

つまり、悠仁さまはただの分家の分家であった可能性もあるのだ…

I氏はこう言って話を終えた。

「雅子さまのご存在に配慮した結果、紀子さまに対する12年間に及ぶ国家的マタハラの末に、『このままでは皇室が終わってしまう』と、(当時の)天皇陛下と上皇陛下の了承を得て、ようやくお生まれになったのが悠仁さまなのですよ。悠仁さまの健やかな成長を見守ること、これが令和の国民の義務ではないでしょうか」

国民一同、悠仁さまの健やかな成長を見守りたい。

美智子さま「雅子は恩知らず!」に、天皇陛下「老害はいいかげんに」の慈悲