秋篠宮さまと“既成事実化”を狙われた紀子さま 美智子さま「あの女を追い出せ」絶叫された過去



文/木下聡

週刊誌の報じた渦中の女

現在、結婚延期状態となっている眞子さまと小室圭さん。週刊誌等では、一部で「“立皇嗣の礼”開催後に結婚発表!」などと報じられることもあるものの、結婚延期の最大の原因となった小室圭さんの母親の佳代さんが抱える金銭トラブルの解決について目途は立っておらず、先行き不透明な状況が続いているのが現状だ。

この問題含みのご結婚騒動に、紀子さまはすっかり頭を抱えられているという。しかし、実は、かつて紀子さまが秋篠宮殿下と結婚された際にも、様々な問題が発生し、周囲から強い反対を受けていたようだ。

秋篠宮殿下と紀子さまのご結婚が周囲から強く反対された主な理由は以下の三つである。一つ目は、婚約された時期が昭和天皇が崩御された直後の喪中であったこと。二つ目は、当時、皇太子であった天皇陛下が結婚されていなかったこと。そして、最後に、紀子さまが庶民的な家庭に生まれ育っており、皇族である秋篠宮殿下とはあまりにも身分が違い過ぎたことだ。

こうした事の多くは、紀子さまが秋篠宮殿下の結婚相手の候補として浮上した後に問題となったのであるが、実はそれ以前から一部の週刊誌では紀子さまの情報をキャッチし、怪しげな女性であると報じていた。たとえば、雑誌『フォーカス』(1986年10月24日号)は紀子さまについて写真付きの記事で「渦中の女」などと報じている。

雑誌『フォーカス』(1986年10月24日号)にて報じられた紀子さま
当時から大変な美少女として男子学生から人気であったという。

 

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学園一の美男子として女子生徒から人気であった秋篠宮殿下

紀子さまの存在が、週刊誌等で報じられた時には、すでにお二人は恋人として親しく交際されていたようだ。

お二人共に、学習院大学に在籍し学生生活を送られていたのだが、紀子さまは学園一の美少女として知られたマドンナ的存在であり、また、秋篠宮殿下も大変な美男子として、女子生徒からの凄まじい人気を誇っておられたという。

お二人は、当時、学習院大学に在籍していた学生ら皆から羨望の眼差しを受ける理想の美男美女カップルであったようだ。

秋篠宮殿下は、大学生時代に「7人のガールフレンドがいた」という逸話も残っており、そうしたエピソードからも、殿下のモテモテぶりが伺われる。

このように、当時のご学友からは理想的なお似合いカップルとして認められていたお二人であったが、ご結婚実現のハードルは低くなかったようだ。

「結婚出来ないなら皇族を辞める」と発言された過去

かつて、秋篠宮殿下は「紀子ちゃんと結婚できないなら皇族を辞める」と発言されたと噂されているが、この発言についても先の『フォーカス』の記事に書かれている。

金のブレスレットをしたり、口髭を生やしたり、常に自由奔放ぶりが話題となってきた礼宮さま(23)。最近は、なんと「皇籍離脱」まで口にされたと伝えられているが、実はその裏で、若々しい恋愛が進行中らしいのである。(中略)

「礼宮さまの反抗の原因は、兄との待遇の違いと言われてるが、それは当然のこととして育ってきたはず。真相は結婚問題です。川嶋さんは父親が教授とはいえ教職員宿舎住まいであまりに身分が違う。周囲の反対に、“それなら平民になればいいんだろう”とでも仰ったんでしょ。ロンドンに留学に出されたのも、彼女から離すためと聞いています」(皇室ジャーナリスト・河原敏明氏)

『フォーカス』(1986年10月24日号)

こうした当時の記事からも、自由奔放な秋篠宮殿下の言動により、周囲の者が大変手を焼いていた様子が伺われる。

結婚反対に焦りを感じられた紀子さま

実は、こうした周囲の反対に対して、紀子さまは大変な焦りを感じられていたようだ。そこで、なんと紀子さまは、秋篠宮殿下との既成事実を作るための大胆な強硬策に出られたという。

「2年ほど前から、彼女はよくひとりで東宮御所に遊びに行くようになった。礼宮さまの運転するオレンジ色のワーゲンで御所内をドライブしたりしてデートを重ねていました。礼宮さまの部屋で二人きりで2~3時間すごし、侍従が慌てるということも何度かあった」(皇室担当記者)

『フォーカス』(1986年10月24日号)

当時、秋篠宮殿下の部屋でお二人がどのような時間を過ごされていたかは想像に任せるほかない。かつて、紀子さまに関して「堕胎を行った」などという噂も流れたのも、このような報道がなされた後のことであった。

また、このように秋篠宮殿下に対して、非常に積極的に迫ってこられた紀子さまに対し、美智子さまなどは大変な不快感を示されたという。

「このように紀子さまが、秋篠宮殿下のお部屋に入り浸っておられることを知った美智子さまは、大変憤慨されたご様子で“あの女を追い出せ”と絶叫されることもありました。

その後、美智子さまは、紀子さまのことを大変気に入られることとなるのですが、、当時は週刊誌等で“渦中の女”などと報じられたこともあり、“信用ならない女である”との印象を抱かれたのでしょう」(宮内庁関係者)

このような騒動が起こった後、1989年8月には婚約内定が報じられ、周囲の反対を押し切り、お二方は結婚を実現されることとなる。

秋篠宮ご夫妻の長女眞子さまは、多くの国民から反対を受けながらも、ご結婚への固い意志を持ち続けられていると噂されているが、こうした頑固さや意志の強さは両親から譲り受けた性格であるのかもしれない。

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