昭和天皇「皇統を秋篠宮に移してはならない」の真相 美智子さま「不貞」を危惧か



文/小内誠一(宮内庁OB)

確かに仰っていたお言葉

いよいよ本日11月8日、秋篠宮殿下が皇位継承者となることを内外に宣明する「立皇嗣の礼」が執り行われる。皇統が秋篠宮家に移ることが名実ともに確定する儀式である。一部の秋篠宮家ファンからは「皇統が秋篠宮家に移って嬉しい!」「これで愛子さんの即位はなくなった!悠仁さま万歳!よかった!」と歓びの声があがっている。一方、昭和天皇が仰っていたと時折言及される「礼宮に皇統を移すな」「浩宮の次は浩宮の子」と仰っていたとしばしば言及されることがある。この発言の出どころはどこなのだろうか?

ネットやSNSが充実した現代では、あまりに多くの情報が溢れていて、そのソースを確かめることが難しいこともある。一方で、ソースは明確でもフェイク情報である場合もある。御代替わりにともない「雅子さまは馬アレルギーである」と宮内庁『女性セブン』2019年10月24日号は「ご家族で那須どうぶつ王国(栃木県)へ出かけられた際も、馬に近づかれることはあっても、乗馬はされませんでした」と関係者の声を紹介しているが、雅子さまは那須どうぶつ王国で乗馬されている。

(乗馬され笑顔で皇太子殿下に手を振られる雅子さま)

 

一方、例えばソースが不確かであっても事実なこともある。それが今回紹介したい「皇統を秋篠宮に移してはならない」という昭和天皇のご発言だ。

実ははこのご発言は(逐語的にそう仰ったかどうかは別として)、昭和の時代に宮内庁に務めたことのある人物ならば、昭和天皇が秋篠宮殿下や川嶋家に複雑な感情をお持ちだったことはよく知られた事実でしかない。

おそらく当時の宮内庁職員らを情報源にして、週刊誌メディアではなく、ウェブサイトやSNSを通して、国民に広まったのだろう。

偉大な昭和天皇。

 

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昭和天皇が抱いた美智子さま・川嶋家・秋篠宮さまへの想い

以下の事項は、私の伝聞と推測に基づくものであることを先に断っておく。

昭和天皇が、秋篠宮殿下へ不信感を抱いた理由は、殿下ご自身の気質や、紀子さまとそのご実家・川嶋家のなみなみならぬ向上心だけではなく、美智子さまへの不信感が強かったからに違いない。

昭和天皇と香淳皇后は「おくゆかしさ」を愛される方だった。ゆえに人気アイドルかのように週刊誌に取り上げられ、衣装代に年数千万円もつぎ込まれる美智子さまの振舞に「皇室をゆがめている」との思いが強かったようだ。小林忍侍従の日記を引用しよう「(質素にすれば平成即位礼は)数十億円の費用をかけることもなくて終る。新憲法下初めてのことだけに今後の先例になることを恐れる」(平成2年11月17日)。

また、美智子さまが息子・明仁皇太子殿下を「子供扱い」することも気に召さなかったようだ。再び小林忍侍従の日記を引用する「我々の意見では(天皇陛下)お一人がよいと思うが、何事もできるだけお揃いでというのが平成流」(平成4年10月20日)。

なにより昭和天皇が危惧された美智子さまの最大懸念は、その“性の奔放さ”さだ。イギリス王室では不倫だのなんだのでゴシップまみれなのだから、日本の皇室で同じことが起きていても全く不思議ではないし、むしろこれまで表に出てこなかったことのほうが不思議だ。

美智子さまは“性に奔放”な性格で、結婚後も愛人がいるのではないかと度々囁かれていた。昭和天皇が秋篠宮殿下に不信感を何度も示されていたのは、心の奥底のどこかで「秋篠宮殿下の父親は明仁皇太子ではないかもしれない」という疑義があったことは容易に想像がつく。なにせ秋篠宮殿下の性格はまったく兄・徳仁殿下(当時)と似ても似つかないのだから。三度登場の小林時侍従の日記には、「特に日頃からキリットしない動作の多い秋篠宮殿下」(平成2年6月30日)とまである。

パーティ中に大活躍される秋篠宮殿下(礼宮)。

 

秋篠宮殿下ご結婚に反対された昭和天皇

同じ恐怖が紀子さまに対してもあったに違いない。大学のサークルで秋篠宮殿下と知り合った紀子さまも、美智子さま同様に「肉食系」女子だ。昭和天皇は結婚にあまり乗り気ではなく、むしろ後ろ向きだった。その結果、(体調不良も重なったとはいえ)秋篠宮殿下と紀子さまの婚約発表は、昭和天皇が崩御された後になった。

あまりにも似すぎている美智子さまと紀子さまの「習性」に、昭和天皇が仰天されていたことは容易に想像がつく。ゆえに昭和天皇の在世時に、秋篠宮殿下と紀子さまは婚約発表をすることはできなかった。

この婚約発表は、昭和天皇が亡くなられて半年後のことで「時期尚早」との声が宮内庁内でも多かったが、秋篠宮殿下は「結婚できなければ皇籍離脱する!」と騒ぎだし、時の両陛下も追認された。

どうして秋篠宮殿下は、結婚を強行されたのか? 昭和時代に「結婚反対」され、結婚するなら混乱している「今しかない」と思われたのではないだろうか?

幸せいっぱいの笑顔をふりまく秋篠宮殿下(礼宮)と紀子さまの婚約内的記者会見。昭和天皇の喪中に行われたため喪服である。

 

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