竹田恒泰『天皇の国史』における「靖国神社御親拝」の正誤



文/小内誠一

竹田恒泰氏の最新著書

8月13日発売の竹田恒泰『天皇の国史』(PHP研究所)を手に入れた。竹田恒泰氏といえば旧宮家に連なるお方で、明治天皇から女系・男系の両方をたどって玄孫にあたる。また執筆や講演なども精力的にこなされ、保守論客の一人としても名高い。その竹田氏が天皇を軸に日本の通史を書いたというのだから、これを読まずにはいられない。

また、ここ2週間ばかり宮内庁時代の友人らと靖国問題について勉強会をしていたこともあり、『天皇の国史』の「靖国神社御親拝」のチャプター(606-608頁)を一先ず読み、驚いた。今回はそれを記録しておきたい。

昭和天皇の靖国参拝停止の原因は?

何より驚いたのは、昭和天皇が靖国親拝を停止した理由について次の書いてあることだ。

だが、宮内庁長官を務めた富田朝彦が昭和63年(1988)に記した『富田メモ』と、侍従の卜部亮悟による『卜部亮悟侍従日記』に、「A級戦犯合祀」が御親拝停止の原因であると読める記述があり、現在では御親拝の停止はこの合祀が原因であると考えられている。

竹田恒泰『天皇の国史』PHP研究所

保守派である竹田恒泰氏が「親拝停止は合祀が原因」と認めた意味は大きい。昭和天皇が靖国親拝を止めた理由が「A級戦犯合祀」にあることは“常識”なのだが、「A級戦犯が合祀された靖国神社に天皇が親拝すること」を至上命題とする保守派は、どうしても「合祀が原因で親拝が停止した」と認めることができなかった。

そこでこれまで保守派は色々と詭弁を弄し、終いには合祀を強行した松平宮司が「私の在任中は天皇陛下の御親拝は(政治的論争になるのを避けるため)強いてお願いしないと決めていました」と逆ギレするに至った。しかも宮司が変わり、小堀邦夫(第12代宮司)が靖国神社創建150周年を機に天皇親拝を実現させたいと宮内庁に掛け合ったが、取りつく島もなかったというのだから笑えない話である。その小堀氏が次のように手記を寄せている。

陛下にお越しいただくのは非常に難しいということは承知していますが、たとえ至難の業であるにしても、「私人」としてなら何らかの方法があるのではないかと考えていました。教学研究委員会で私が「戦略」と言ったのはそのことです。

ひとつは、展示施設「遊就館」のリニューアルでした。(中略)遊就館の展示の内容を全面的にリニューアルし、博物館並みの施設に改め、その記念式典に陛下をお招きする。そして遊就館にお越しになった“ついで”として靖国神社に足を延ばしていただくという方法です。

『靖国神社祭神祭日暦略』の改訂版を完成させた後、献上本を作り、ご覧いただくこともきっかけになるのではないかと期待していました。

現実が厳しいことはよくわかっています。来年は創建百五十年で平成最後の年ということでご親拝をお願いしましたが、掌典職にはこちらの原案すら受け取ってもらえず、「五十年、百年の次は創建二百年が節目」と言われました。

『文藝春秋』2018年12月号

現状のままなら靖国親拝が実現するのは、最短でも靖国創建200周年(西暦2069年)となる。

A級戦犯合祀は不快だったのか?

このように「合祀が原因で親拝できなくなった」と認めた点で、竹田恒泰氏の著作は(保守として)画期である。しかし次の一節はあまり合理的ではない。

昭和天皇は戦犯容疑者には気の毒と思いを抱きつつ、いわゆる「A級戦犯」が合祀されることで、ただでさえ風当たりが強かった靖国神社の参拝が、いよいよ不可能になったことを嘆いていらっしゃる

竹田恒泰『天皇の国史』PHP研究所

昭和天皇や侍従たちが残した言葉からこの表現は正しくない。昭和天皇は「合祀によって靖国参拝が不可能になったことを嘆いている」のではなく、「宮内庁の警鐘を無視して合祀を強行した靖国神社の愚行を嘆いている」のが正確だ。竹田恒泰氏が資料的価値をみとめる『卜部亮悟侍従日記』には「靖国神社の御参拝をお取り止めになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」(2001年7月31日)とあり、『富田メモ』には合祀を強行した松平宮司を昭和天皇は「親の心子知らず」と批判している。

また、昭和天皇は(竹田氏が主張するように東条英機に対しては好意的であったようだが)松岡洋右外相らについては嫌悪感を隠さない事実も重要である(昭和天皇独白録)。よって昭和天皇がA級戦犯全員に対して優渥していたという竹田氏の理論も、一方的な見方に基づいた見解である。

御製の解釈

最後に、昭和天皇が昭和61年8月15日に詠まれた御製「この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれひはふかし」の解釈について述べておきたい。これについて竹田氏は「昭和天皇が靖国神社においでになれないことを晩年まで憂いていらっしゃった」と解釈するが、あまりにご都合主義だろう。この「うれひ」とは「靖国神社に親拝できないこと」ではなく「A級戦犯合祀」に他ならない。

この御製の意味について徳川義寛元侍従長は「合祀賛成派の人たちは自分たちの都合のよいように解釈した」と、いわゆる保守派を批判している(『侍従長の遺言』)。また皇室の和歌相談役(宮内庁御用掛)だった岡野弘彦(國學院大學名誉教授)は著書『四季の歌』のなかで、この御製を添削した際に徳川侍従長から聞いたエピソードを紹介している。

それによればこの「うれひ」とは「ことはA級戦犯の合祀に関することなのです。お上はそのことに反対の考えを持っていられました」と述べ、その理由について「一つは(靖国神社は)国のために戦にのぞんで戦死した人々のみ霊を鎮める社であるのに、そのご祭神の性格が変わるとお思いになっていること。もう一つは、あの戦争に関連した国との間に将来、深い禍根を残すことになるとのお考えなのです」と述べたという。

この証言を裏付ける発言を、徳川元侍従長は晩年の対談録のなかで次のようにまとめている「靖国神社は元来、国を安らかにするつもりで奮戦して亡くなった人を祀るはずなのであって、国を危うきに至らしめたとされた人も合祀するのでは、異論も出るでしょう」と(『侍従長の遺言』)。

以上を総合すれば、靖国神社に御親拝いただくために「首相が参拝を継続し、常態化することで中国・韓国に、批判することが無意味と思わせるころが必要」などという竹田氏の主張は甚だ見当違いである。第一に、昭和天皇の大御心を思い図り、A級戦犯合祀をまず解決するべきではないだろうか?


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