紀子さまを突き動かす雅子さまへの“憧憬” 盛大な「立皇嗣の礼」にこだわるワケとは



文/伊藤友香子

菅官房長官の会見

25日午前の記者会見で、菅義偉官房長官は皇位継承について「安定的な皇位の継承の維持は、国家の基本に関わる極めて重要な問題。男系継承が古来例外なく維持されたことの重みなどを踏まえながら、慎重かつ丁寧に検討を行っていく必要がある」と改めて強調した。

23日夜に配信されたインターネット番組「防衛大臣河野太郎と語ろう」内での河野防衛相の「女系容認発言」を受けてSNS上などで議論が活発化する中、改めて現政府の意向を示した形だ。

また菅氏は、4月19日の予定されていたものの、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて延期となっていた「立皇嗣の礼」についても、「社会経済活動のレベルや感染症の状況を踏まえながら、今後、改めて(政府の)式典委員会を開催し、検討していくことになる」と説明。

4月14日の延期発表段階では年内挙行を目指す方針を示していたが、「2度も延期を重ねた」という事態を避けるためか、挙行時期については言及しなかった。

「延期が正式に決定される前、儀式は大幅な簡素化を余儀なくされました。4月21日に2回に分けて行われるはずだった饗宴の儀は3月段階で中止、また、中心儀式の『宣明の儀』の招待客も約350人から50人に減らし、秋篠宮邸のある赤坂御用地と皇居を往復する、事実上のパレードである車列も中止

これにはさすがの秋篠宮さまも『一方的に恥をかかされた気分だ』と憤慨されていたと聞き及びます。政府としては多少儀式が華やかさに欠けるものであったとしても、さっさと終わらせたいという意向があったそうなんですが、これは秋篠宮さまと紀子さまの『できるだけ盛大に行いたい』との意向を受けて断念したようです」(全国紙社会部記者)

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ハードワークをこなされる紀子さま

紆余曲折を経た立皇嗣の礼。お代替わり行事の締めくくりを彩るはずだったこの儀式に懸ける紀子さまの想いは格別であったという。秋篠宮家の事情に通じる松山喜久氏(仮名)は「それはそれは楽しみにされていらして、中止となった際には泡を吹かれるほど大きなショックを受けておられた」と話す。

この関係者によれば、紀子さまは儀式が滞りなく終了した後、宮中祭祀に深く関わるお立場になることを待ち望んでおられたという。

「『立皇嗣宣明の儀』と『壺切御剣』(つぼきりのぎょけん)という皇太子の護り刀の親授(しんじゅ)を済ませなければ、秋篠宮さまと紀子さまは、昇殿し神事に携わることができません。紀子さまは祭祀から足が遠のきがちな雅子さまへの対抗心を強烈に持たれていて、全ての祭祀に出席率100%で臨まれようと努力を積んでいらっしゃいました。

元々足腰がお強い紀子さまですが、即位の礼で長時間装束をお召しになった際は、少々衰えを意識されたとか。現在は、宮邸地下のダンススタジオに週2回にペースでパーソナルトレーナーを招き、かなりハードなトレーニングを積まれていますよ」(松山氏)

雅子さまへの強烈な羨望を持つ紀子さま

さて、紀子さまがこれほどまでに雅子さまへの対抗心を燃やされるのはなぜなのだろうか? 

実は、紀子さまの皇室入りは、雅子さまの経緯とは異なり、ご自身の涙ぐましい努力により叶ったといういきさつがある。

紀子さまと秋篠宮殿下の交際開始時のエピソードについては諸説あるので省くが、お二人の交際が始まって以来、紀子さまは朝日新聞の内藤修平記者から、4年にわたり取材を受けられていたという。

婚約内定時には内藤記者宛てに『長い間、いろいろとお世話になりまして、有難う存じました。』(朝日新聞、1990年6月29日)との手紙を綴ったほど懇意な関係を築き上げ、この報道機関との蜜月が秋篠宮殿下との成婚を後押ししたとも言われている。

皇室ジャーナリストの佐藤公子氏はこう話す。

「学習院大学教職員用の共同住宅に住まわれていたことから“3LDKのプリンセス”と言われ、ごくごく一般的な女子大生であった紀子さまが、大人の記者と良好な関係を築くためには、一方ならぬ努力が必要だったでしょう。時には記者を気持ちよく持ち上げ、良い記事を書いてもらうための接待もあったかもしれません。紀子さまの皇室入りに懸けた熱い思いが伺い知れるエピソードです」(佐藤公子氏)

一方の雅子さまは、天皇陛下からの熱烈なプロポーズを受けていたものの、一時はお妃候補を追いかけ回す報道取材に対し「私はこの件に関しましては、まったく関係ございません」と完全否定宣言をされたほど、皇室入りを意識されず、世界で活躍することを夢見ておられたお方だ。

経歴も驚愕のハイスペックであり、オールAに近い成績で名門ハーバード大学経済学部に進学、ご卒業された後は、1985年に21歳で帰国されると、翌年、東大法学部にストレート入学。2カ月後には外交官試験をパスされるという、常人では到達できない経歴をお持ちである。

「このように、何よりも皇族となることを強く意識されてきた紀子さまが、ご自身では到底届かない実力を持つ雅子さまを強く意識され、羨望や嫉妬などあらゆる感情を抱かれるのも無理はありません。度々隙間風が噂される秋篠宮家とは対称的に、極めて温かな家庭を営む天皇ご一家への妬みもあるでしょう。敵わぬ相手に認められるために、時には泥臭い根回しもやってのけ、努力に努力を重ねる…。これはもはや、性別を超えた恋心にも見えます。

紀子さまの原動力は、何よりも雅子さまに認められたい、雅子さまに追いつきたい、という並々ならぬ野心が根幹となっているのでしょう。紀子さまの悲願が叶い、盛大な立皇嗣の礼が執り行われ、無事神事に携われることを祈っています」(小内誠一氏)

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