美智子さま激高!「初夜」を描いた小説が「発禁」に 問題個所を全文掲載



文/佐藤公子

不敬罪は今も続く

8月の酷暑も緩和し、秋の足音が聞こえてきた。幸いなことに新型コロナも第二波は収束傾向にあるという。これを受け政府与党の消息筋によれば11月に“立皇嗣の礼”を挙行する調整に入ったそうだが、SNS上などでは「まだ国民は苦しんでいるのに」などと批判ともとれる疑問の声が相次いで聞かれた。皇室を公然と批判できることは社会が健全な証なのだろう。

今はないが戦前には「不敬罪」という罪があった。天皇皇后両陛下のみならず、神社や天皇陵に対する侮蔑的行為も不敬罪が適用された。一般的な名誉棄損は親告罪だが、不敬行為は非親告罪とされ、当事者の申告がなくても警察が取り締まることができた。

そして不敬罪の適用範囲も広い。日記に書いた内容にも不敬罪が適用された例がある。いくら個人的な日誌とはいえ、第三者が読む可能性がある以上、不敬の表示行為に他ならないというのである(大審院、明治44年3月3日、録258頁)。

ゆえに愛知県の現代アート祭典「あいちトリエンナーレ2019」で昭和天皇の御御影(写真)が燃やされたことが騒動(正確には燃やされた動画)になったが、もし戦前ならば逮捕されていただろう。幸い(?)にも戦後になり不敬罪がなくなり表現の自由が認められているため「犯罪」として本件が裁かれることはなかった。

だが、保守派などが「不敬すぎる!」と実力行使を伴う猛抗議を展開。結果、「あいちトリエンナーレ2019」は開催中止となった。さらに美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長が、祭典への公金支出を大村秀章知事のリコール運動を今月25日から開始するなど、まだまだ騒動は尾を引いている。

皇室タブー

このように不敬罪はなくなったが、それは形を変えて「皇室タブー」として今も残っている。

美智子さまは59歳の誕生日を迎えた1993年10月10日、突然倒れた。その後、しばらくは言葉が発せないという症状に陥るのだが、その誕生日の前日、皇后は一連の皇室批判報道に対し「批判の許されない社会であってはなりませんが、事実に基づかない批判が、繰り返し許される社会であって欲しくはありません」と文言で反論していた。

美智子さまが倒れる原因となった一連の皇室批判報道とは、かの『宝島30』や『週刊文春』による美智子さま「女帝批判」のことだ。

この美智子さまの「声失症」を境にメディアは一転、「美智子さまかわいそう」の論調が週刊誌を中心に広まった。皇室評論家の渡辺みどり文化女子大教授も「美智子皇后は、いわれない批判に、これまでグーッと胸の内に押し込めていたことを述べられた」「その直後に倒れられたわけで、まさに身を挺した『反論』だったと思う」(週刊朝日、1993年11月5日号)と述べている。

この「美智子さまの反論」に『週刊文春』も降参し、1993年11月11日号に謝罪文が掲載された。しかしこれだけでは騒動は収まらず、宝島社と文藝春秋の社長宅に銃弾が撃ち込まれるという事件にまで発展した。

(美智子さまのお見合い写真)

小山いと子『美智子さま』の「初夜」発禁騒動

この1993年に起きた「美智子さまバッシング」はあまりに有名であるためご存じの方も多いだろう。当時は「美智子さまかわいそう」だった世論も、21世紀に入りまたもや流れが変わった。

侍従たちの日記などが刊行され始め、かつて根も葉もないうわさと思われていていた「美智子さまバッシング」が、実は本当のことだったと明らかになり始めたからだ。一例をあげれば、昭和天皇に長く使えた小林忍侍従は、美智子さまの女帝ぶりや高額な衣装代を懸念している(小林忍『昭和天皇 最後の侍従日記』文藝春秋、2019)。これからも「美智子さまの本当の姿」が徐々に明らかになっていくだろう。

そこで今回は、美智子さまによる最初の「言論封鎖」ともいえるべき事件を紹介したい。作家・小山いと子(1901-1989)が雑誌『平凡』に連載していたノンフィクション小説「美智子さま」が、宮内庁(つまりは美智子さま)の逆鱗に触れ、連載中止に追い込まれた事件だ。

宮内庁が月刊誌『平凡』の発行元・平凡出版株式会社(現、マガジンハウス)に抗議をしたのは昭和38年(1963)3月のこと、一体このノンフィクション小説「美智子さま」のどこに美智子さまが激高されたのか?

当時の宮内庁は次の三点を問題点として挙げた。

  1. 興味本位の実名小説で、プライバシーを考慮していないこと。
  2. 事実と小説の間があいまいであること。
  3. 事実に相違することも部分的にあること。

宮内庁の抗議に対し、小山いと子は次のように反論した。

戦争中雲の上に皇室を押しあげて国民には知らせず、また戦争直後は皇室の暴露的な記事ばかり出た。そういう傾向を好ましくないと思い、皇室と国民とを親密にすべきだとの立場から、もっとほんとうのことを知らせるべきだと思いました。好ましくない個所があるなら、指摘して下さればお答えもしますが、私は筆をまげて書いたつもりは全くありません。

朝日新聞(1963年3月12日)

小山いと子『美智子さま』問題個所「全文」

「実名小説でプライバシーに踏み込んでおり、さらに事実とも相違している」という宮内庁のクレームに対し、「具体的にどこが問題なのでしょうか?」と切り返した小山いと子さん。小山さんは小説に絶対の自信があった。なぜなら小山さんは旧宮家の東久邇家や、現役の女官などに太いパイプを持っており、彼らから得た情報をもとに小説を書いていたからだ。だが宮内庁は、具体的な問題部分を指摘しなかった。

さるベテラン皇室ジャーナリストは当時を次のように思い返す。

「美智子さまが小説『美智子さま』を読んで驚愕されたのは昭和37年11月号に掲載された“初夜”の回です。すぐに反論すると『それが原因だ!』とわかってしまうため、あえて少し遅らせて抗議したそうです」(ベテラン皇室ジャーナリスト)

具体的に記述を見てみよう。初夜を前に美智子さまが、自分が「美しく見えているかどうか」を女官に確認する下り。

「私、疲れたように見える?」

愛する人に、初めての夜、少しでもそんな顔を印象付けたくはなかった。

「まあ妃殿下とんでもないことでございます。たいへんにおきれいでいらっしゃいますわ」

小山いと子「美智子さま」『平凡』1962年11月号

美智子さまの美意識の高さが伝わってくる。おもえば美智子さまのファッションは常に最先端で洗練されていた。初夜を望むにあたって、それを気にされていたことは確実であろう。

恋愛技巧?

続いて二人のもどかしい壁を隔てた交際から、初夜に臨むまでの悦びを次のように饒舌に表現する箇所。

自分の愛情だけを頼りに、隔絶された厚い壁の中に勇敢に飛びこんで来た美智子が、この瞬間、皇太子にはいきなり両の腕に包み込んで抱きしめてやりたいほどいとおしく思われた。

がそれをなさらなかったのは、克己、抑制に馴らされた日常と、逆に恋愛技巧に慣れていらっしゃらなかったからである。恋愛技巧という点からいえば美智子さまと同様であった。

小山いと子「美智子さま」『平凡』1962年11月号

「恋愛技巧」とは聞きなれない単語だ。いわゆる「手練手管」のことであろうか? お二人が本当に「初心者」であったのかは闇の中であるが、初心であったことを強調する記述は違う個所にも散見される。

まことに、このときまでは肉体的には髪の毛一筋さえも触れずにいた二人であった。皇太子の学友たちの心づかいで、衆人環視の中の二人きりという奇妙な状況の下で話し合ったときも、愛の恋のという言葉は一言もどちらからも出なかった。それでいて互いの気持ちは通じていたのである。

小山いと子「美智子さま」『平凡』1962年11月号

ところで、美智子さまは「事実と違う!」と仰っていたことを踏まえるならば、美智子さまは「恋愛技巧」「手練手管」に長けていたということだろうか?

唇に優しく触れらた…

最後に最高潮のシーン。

このようなお二人にとって、いわゆる恋愛技巧などは無用であった。講義を受けた生理衛生の知識なども不要といってよかった。苦難の道を経て来たゆえに、今二人きりでいられるということだけで満ち足りた幸福をお感じになっていた。

皇太子は美智子さまの手や髪や額や、美智子さまの心ひそかに案じた唇にやさしく触れられた…。より以上に優しい愛情の言葉とともに。

小山いと子「美智子さま」『平凡』1962年11月号

「恋愛技巧」に加え「生理衛生」の意味も難解である。本能の赴くままに初夜を迎えられたということだろうか?

いずれにせよ小山いと子『美智子さま』は、天皇家に対する尊崇の念が溢れている。本当に連載を中断させ、発禁にする必要があったのだろうか?

これを読んで激高された美智子さまの胸中には「事実と違う!」という思いがあったのか、それとも「事実の通りで恥ずかしい!」との思いがあったのか。慈愛に満ちた美智子さまの姿を再びお目にしたいと願わずにはいられない。