天皇陛下と愛子さまの「御歌」に込められた想い 歌会始の儀が延期へ


文/佐藤公子

歌会始の儀は3月に

新型コロナウイルス感染拡大を受け、宮内庁は12日と15日に皇居・宮殿での開催を予定していた「講書始の儀」と「歌会始の儀」の延期を発表した。現在、1都3県(東京、神奈川、千葉、埼玉)で1月8日から2月7日まで緊急事態宣言が行われており、多数が集うイベントなどの自粛が求められている状況にある。

宮内庁は当初、招待者を絞り感染対策を講じて実施する予定でいたが、感染者急増の中、地方から上京する高齢の参列者もいることなどを両陛下が案じられ、3月中の実施を目指す形となった。

令和初の歌会始の儀にて

歌会始の歴史

歌会始の儀は大正15年、「皇室儀制令」で宮中の儀式の体系が定められた際に、皇室行事の一つとして位置づけられた。ところが、同年12月に大正天皇が崩御され、ただちに宮中喪が発せられたため、実際に「歌会始の儀」という名称で始められたのは昭和3年からである。宮内庁OBの小内誠一氏が解説する。

「人々が集まって歌を詠み、その歌を声に出して披露する“歌会”自体は、すでに奈良時代から行われていたことが『万葉集』からもわかります。しかし歌御会始の起源については諸説あります。文永4年1月15日、宮中において亀山天皇御臨席のもとで歌会が催されたことを示す“内裏御会始”という記述が『外記日記』にあることから、文献上は鎌倉時代中期までさかのぼることができます。実際に、歌御会始が1月に開催されるようになったのは、室町時代の中期以降であり、それ以前は2月あるいは3月に行われていたこともあったそうです

歌御会始は、江戸時代にもほぼ毎年催されていましたが、大きな改革があったのは明治になってからです。明治5年には、皇族や側近や公卿ばかりでなく、官吏にも詠進が許されるようになり、明治7年には一般国民にも詠進が認められるようになりました。

その後も明治12年からは、一般の詠進歌のうち特に優れたものが『選歌』として歌御会始で披講されるようになりました。昭和15年からは、天皇の御製はもちろん、選歌も新聞紙上で発表されるようになり、昭和23年からは選歌に選ばれた人が皇居に実際に招かれるように。2年後の昭和25年からは、披講の場に出席できるようになったのです。当然、和歌への関心は急速に高まっていくことになりました。歌会始の儀は、皇室と国民を結ぶ、世界に類を見ない一大伝統行事なのです」(小内誠一氏)

天皇ご一家の御歌

さて、令和となって初めての「歌会始」となった2020年の勅題は「望」であった。天皇陛下は、訪問先の学校や施設で出会った子供たちの声が響く情景を歌われ、その将来が明るくなってほしいと願うお気持ちをお詠みになった。

《学舎に ひびかふ子らの弾む声 さやけくあれと ひたすら望む》

雅子さまは、被災地訪問を通じて出会った高校生などの若者たちが、復興のためにできることを献身的に行っている姿に、感銘を受けたお気持ちを詠まれた。

《災ひより 立ち上がらむとする人に 若きらの力 希望もたらす

また、来年2022年の歌会始の儀には、成年皇族となられる愛子さまのご出席も見込まれているが、実は愛子さまのお歌が、2020年末に発行された学習院女子中・高等科の同窓会「常磐会」の機関誌「ふかみどり」に掲載されている。

《学び舎の 冬日あかるき窓の辺に 集へる友の 影重なりて》

同じ「学び舎」を歌われた陛下と愛子さま。御歌からも、素晴らしい親子関係の様子が伝わってくる。新型コロナウイルスが1日も早く終息し、世界に誇れる皇室と国民の交流の場が戻ることを祈念したい。

新年の天皇ご一家ご近影

1 個のコメント

  • 日本語の美しさと、
    天皇陛下ご一家の心根が一緒だということに、
    あらためて感動を覚えます。

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