文/宮本タケロウ
雅子さまと紀子さまの衣装かぶり
紀子さまと言えば、雅子さまとの「衣装かぶり」がよくやり玉に挙げられます。
「衣装かぶり」についてはご本人方が納得の上でわざと衣装をかぶらせているのであれば外部の人間が何も言うことはありませんが、今回は「衣装かぶり」について、もう少し幅の広い視野から、女性皇族の衣装の変遷から論じてみたいと思います。
まず、“皇族と衣服”というテーマについて、女性皇族は和服を着ますが、男性皇族は和服を着ないという点がよく言われます。
確かに、陛下をはじめ、男性皇族は公式の場で和服を着ないことが現在の不文律となっています。
平成時代に侍従長を務めた渡邊允氏はこう述べます。
ところで、「皇后さまは和服をお召しになっているのを拝見するけれど、天皇陛下はどうなのですか」という質問も時々受けます。
陛下は公式な場で和服をお召しになったことはないと思いますが、夕方、お食事の後、何か急の用事があって居間に伺った時などに、和服を着ておられることが時折ありました。ただ、そういうリラックスされた時でも、着流しというのは一度も拝見したことはなく、いつも袴を付けておられました。
渡邊允『天皇家の執事』文藝春秋、31頁
公式には洋装、プライベートでは和装という振り分けは戦前からも同じだったようで、旧宮家出身の作家・竹田恒泰氏もこのように述べています。
明治時代、私の曽祖父が紋付羽織袴で写っている写真があります。でもそれは、公式なものではなく、極めてプライベートな、家族との写真です。これにより、明治期には、皇族男子であっても、普段着として着流し、羽織、袴など(つまり武士の服装)を身に着けることはあったことがわかります。
(中略)次に、現在、「皇族女子は着物をお召しになることがあるが、皇族男子は着物をお召しにならないこと」について考えます。結論的には私もよく分かりません。
竹田恒泰氏ブログ(yahooブログサービス終了のためすでに閉鎖)
竹田恒泰氏は「分かりません」と率直に述べますが、今回調べを進めてみると、確かに「女性が着物を着るのに男性が着物を着ない」という状況に確たる理由はないということが分かりました。
というのも、現在の女性皇族が公の場で和装を着るという状況も、明治以来の近代皇室の歴史から見れば、昭和(戦中・戦後)からのほんのわずかな流れに過ぎないからです。
なんと、女性皇族が公の場(儀式以外)で和服を着る現在の状況が始まったのは、終戦の1年前1944年のことだったのです。
女性皇族の衣装の変移について
三笠宮家の彬子女王の論文「女性皇族の衣装の変移について」に詳しく書かれますので引用しましょう。
戦況が厳しくなってくると、国民は苦しい生活を余儀なくされる。国民とともにある皇室でも国民生活に配慮し、簡易な「宮廷服」と呼ばれる衣装が考案され、様々な場面で着用されるようになった。
宮廷服とは、戦時中の昭和19(1944)年、香淳皇后、秩父宮妃殿下、高松宮妃殿下、そして当時の式部官らがご相談のうえ作られた、上半身は細い和服のような襟合わせで、白のパイピングがしてあり、下半身は袴のようになっている、三笠宮妃殿下の言をお借りすれば「乙姫様のような」二部式の衣装である。
彬子女王「女性皇族の衣装の変移について」『京都産業大学日本文化研究所紀要』第24号・平成31年3 月
「乙姫様のような」とはなんともかわいらしい表現ですが、宮廷服の実物はこのようなものでした。

白黒で分かりづらいですが、明治大正時代の女学生の格好、現在でも女子大生の卒業式に用いられる衣装に似ているように思えます。
これは、海外からの輸入が禁止されたので、洋服地が手に入らなくなり、手に入る日本の布地で作れるものを、ということで始まったとのことです。戦時中は女学生の制服もセーラー服にモンペ姿だったことを思い出します。
この“宮廷服”は戦時中も宮中での儀式で着用されましたが、戦争が終わった後も、厳しい国民生活に配慮して着用が続き、終戦7年目の1952年の新年祝賀の儀になるまで着用され続けました。
戦時中の宮中での儀式は、この宮廷服の上に、緞子のような厚手の織物を肩衣のように羽織り、勲章をつけてお出ましになっていた。当時は、外へのお出ましの時も、室内でも宮廷服をお召しになっていたという。(中略)
戦争が終わり、宮中での儀式が通常通り行われるようになっても、時世に配慮し、宮廷服でのお出ましは続いた。昭和26(1951) 年5 月17 日の貞明皇后の崩御の時も、香淳皇后以下、妃殿下方は黒の宮廷服で臨まれた。
同上
しかしその後、一番重い新年祝賀の行事は、香淳皇后から、直宮の三妃殿下方は「お掛け」というお召し物を拝領され、数年間はそれをお召しになっていた。
1951年の貞明皇后ご崩御時は宮廷服で、翌年の新年祝賀の儀は「打掛」だったとあります。
現在は洋装で行われる新年祝賀の儀に「お掛け」という和装で臨んでいたというのは興味深いですね。

皇族女性の和服は戦後から
彬子女王の同論文によれば、その後、公の場で女性皇族が和装を着る機会が増えていったのは、1950年代からであることが書かれます。
香淳皇后は昭和27(1952)年10 月10 日、第4 皇女であられる順宮厚子内親王殿下の御婚儀の折には和服をお召しになったことが知られている。この辺りから徐々に和服を公の場でお召しになる機会が増えていくようである。
同上
そして、1954年になって、明治時代に制定された公務員の服制に関する法律(「大礼服」などの着用義務)が廃止されたことが画期的なきっかけになったとそうです。
そして、昭和29(1954)年7 月1 日、「内閣及び総理府関係法令の整理に関する法律」により、明治時代から連綿と続いてきた服装令は廃止された。
以降、宮中儀式等での女性皇族の服装は、制度で定められたものではなく、時の皇后陛下を始め、妃殿下方の思し召しによって柔軟に変化するものとなっていくことになる。
同上
いかがでしょうか。「皇后陛下を始め、妃殿下方の思し召しによって柔軟に変化するもの」という点がとても面白いですね。
「衣装かぶり」は国民へのサプライズ!?
このように、戦中戦後から、女性皇族の衣装の在り方は非常に流動的に変化し、世相や時の皇后や女性皇族の意見を取り入れつつ、今に至りました。
平成時代には「雅子さまと紀子さまの衣装かぶり」が云々と言われましたが、女性皇族の衣装に関するこうした流動的な変遷を見ると、平成の「雅子さまと紀子さまの衣装かぶり」も、平成時代の新しい伝統だったと言えるでしょう。
女性皇族の衣装は、「皇后陛下を始め、妃殿下方の思し召しによって柔軟に変化するもの」と先ほど述べましたが、「衣装かぶり」をした雅子さまと紀子さまの胸中をさぐると、同じ世代の若い女性皇族が衣装を合わせることで、賓客の心を和ませようという意思があったと言えるのではないでしょうか。
こうして考えてみると、「衣装かぶり」は実は「ペアルック」と言うほうが適切かもしれません。
「衣装かぶり」改め「ペアルック」は、常にお互いを尊敬し、支えあった、仲睦まじい平成時代の2人のプリンセスの我々国民に対する嬉しいサプライズだったのかもしれませんね。
客観的に見て、雅子さまの衣装を紀子さんが真似している様にしか見えません。
また、その意図は自分も雅子様と同じ地位にいる存在だと思わせる為。センスの良いのは自分で真似をしてるのは雅子様の方だと思わせるため。
この記事、何がいいたいの?…元に戻ると「宮本タケロウ」さん発信でした。
ペアルックなんて雅子さまに失礼。
被らないように紀子さんが配慮すべきでしょ。なぜ誰も注意しないんだ?
事前に衣装の擦り合わせがある❗️と見た事が有ります。皇后陛下と違い、紀子さんは自分が真似しても他人のせいにして批判したりイチャモンつけたりして品が無い‼️衣装が被っても着ている人で見る目も変わります❗️
何時かの秋篠宮家の家族写真も、モロに真似ているのがわかりました‼️
タワケロウさんの記事はいつも長ったらしくもっともらしいタイトルの割には内容はくだらない。今回も結論はペアルックかい。全くといって服装のセンスのない紀子さんは皇后陛下やダイアナ妃の猿真似に徹しているのは万人の認めるところだ。人品・教養等雅子さまと紀子さんでは月とスッポン程の差がある。タワケロウさんの記事は読むに値しないし腹がたつだけだ
意に介されることはないのに
一方だけいきり立つ
衣装かぶりも皇居正門を通過したのも身位が下の方の御方の一人相撲なんですよ
宮本タケロウ❗️
寒中お見舞い申し上げます。
コロナにも感染せずにお元気そうですね。
この記事,前にも読んだ記憶があるのですが,私の記憶違い?
雅子皇后様とミヤヒ『衣装被り』の問題点は皇室衣装の歴史にあるのでなく,コメントにもありましたが,ミヤヒの雅子皇后様に対する大コンプレックスから出た発言『あまり真似されるので私の衣装を東宮御所にお贈りしましたの。』と,美智子妃主催のお茶会で述べた事にあるでしょう?
そもそも,被った事が話題にならなければ問題は起きないし,雅子皇后様は信子様とお衣装が被ってしまった時,何も申されませんでしたよ。
衣装は身位の高い方から順番で決めていく慣例が今も続いていますが,あえて責任を追求するなら,それを破ったミヤヒにあるでしょう。
皇室絶対のルール,ヒエラルキーを破って来たのは秋篠家ですよ。
そうだ❗️
2つほど宿題を出しましょう。
①新年に宮内庁から公開された天皇家と秋篠家の写真,敬宮様が水色のジャケットをお召しになっていたのを見て,『水色は秋篠家の色なのに』とミヤヒが言った層だけど,そうなん❓
②新年祝賀の儀で,天皇家も,他の宮家も半蔵門から皇居に入られたそうだが,秋篠家のみ,皇居正門から入ったのは何故❓❓❓
まぁ②は宮内庁にも問い合わせしますが,ヒエラルキーに反しますよね?
ついでに皇居の門の名前,由来などレポートしてみたらいかがでしょう?
江戸時代は,半蔵門は名前の由来の通り『取り締まられる』人専用と聞いておりましたが。
まぁ時代も変わりましたしね。
ペアルック?またまたおかしなこじつけですね。
だいたい当時から雅子様は皇太子妃でホーチキは一宮家の嫁に過ぎないのに対等に扱うマスコミやミテ夫妻、そしてそれで勘違いして増長してしまったアーヤ夫妻。
そして子供たちにもその立場の違いを正しく教えず育てたために今の数々の秋篠宮家の問題が起きているのではないですか。
最初から兄夫妻を敬い、支えるという本来の姿を貫き通せば、男のお子様がいらっしゃらない天皇夫妻も国民も秋篠宮の立太子を心から祝ってもらえたと思いますよ。もう遅いですけどね。
親がきちんと、兄と弟の違いを厳格に徹底的に教え育てなかったのだと思います。
勝手に宮中改革して庶民の子育てを入れたせい
というより、庶民でも古き時代は家長の絶対性を大事にしてきたはず。次男が何でも兄と同じであることを望み、帝王学をしっかり学び、自身を律され、ご自身の立場をいつも意識しながら育たれた兄君と好き勝手して、自由ばかり貪ってきた弟。
一般家庭でもちゃんと育った兄弟はたくさんいるけど、皇太子一家(昭和の皇太子)においては、親の責任と思います。
仮にペアルックだとして、雅子様が紀子様の衣装を真似していると批判されたのはどうしてでしょうか?
誰かの指示か、誰かへの忖度があったんでしょうか?
以前に雅子皇后陛下と眞子さまの衣装が被り、眞子さまが焦っていたが、皇后陛下は気にしないでとおっしゃったという記事がありました。
となるとやはり、目上の人が先に衣装を決め、そのあと目下の人が衣装を決めるのが通例ということですよね?
結局、紀子様が雅子様の衣装を真似、美智子様の指示か何かで雅子様をバッシングさせたということですね。
宮本さんは紀子を擁護する記事を書けと誰に言われているんですか?
投稿した時間見たら分かるよ、きちんと投稿順に並べたらいかが?
タケロウさん、頭弱いですね。
宮本タケロウ=川島舟 だから。
お、じゃあ今度川島舟とその一族のいろんな疑惑について書いて欲しいですね。
川島紀子も含めて。
タケロウさん、期待して待ってますね。
老害婆さんでしょうね。
わざわざ記事にする必要も無し
それよりは宿題は終わったのでしょうか
ミテコさん実妹の嫁ぎ先、昭和電工が公害指定後も水銀を垂れ流し続けた第2水俣病問題
水俣病に対して昭和電工の保障が大幅に遅れた問題
宿題提出期限は守ってくださいませ
何時ものように逃げるつもりでしょうけど。
ミテコさんの妹の嫁ぎ先昭和電工(秋さんの実家かしら❓)よりも皇后雅子様の祖父のことだけを取り上げるマスコミ‼️双刃の剣の坊ちゃんの名前悠仁(雅子さんへの当て付けに付けた名前とか?)水俣を撮ったユージン、スミスが由来とか⁉️美智子さんにも返ってくる名前だね。
そうそう,私も気になっておりました。
これまでのように公式発表されたものの羅列ではなく,『星くず様』のように現地に行かれ,その土地の,害に苦しむ方々をしっかり取材して下さい。
もっとも,現在はコロナです身動き取れないですからね,言い訳には困りませんね。
衣装は、皇后、皇太子妃から順番だと思います。
大人がペアルックはないのでは?
アーヤ妃が着こなせない色は、被らないし。
山吹色のオレンジ系やゴールド系など輝く色系は、着こなせないから被ったことないかも。
宮本たけろう氏の記事、ながったらしくて分かりにくいし、何を言いたいのか不明‼️秋篠家の擁護をしたいのは分かる…
福山雅治さんが『生まれつき裕福だった人と成り上がった人は、品性が違うのが分かる』という内容の発言をしていました。二人の妃殿下を見て、「こういうことなんだ」と納得。宮本たけろう氏の記事にも品性が無いですね。
衣装被りは秋篠宮妃でしょう。
皇室には序列があって、平成の頃は、皇后→皇太子妃→秋篠宮妃→眞子佳子さん姉妹→華子さま→百合子さま→信子さま→彬子さま→瑤子さま→久子さま→承子さま(現在いる成年してる女性皇族方のみ)というふうになっていくので、下位のものが上位のものと衣装を被せるというのは二つの意味が考えられます。
ひとつは嫌がらせで被せた。ひとつは仲の良さ、親交の深さを言うものが感がられます。
信子さまは間違いなく後者。秋篠宮妃はどうなんでしょうね?
ご自分がしてきたことを令和になってからやられてるのはどういう意味があるのでしょうか?_
紀子さんは雅子さまだけでなくダイアナ妃の衣装もたしか真似しまくっていましたよね。
皇族のご衣装は位の高い方から決めるのですよね?
週刊誌も令和になる前にも
『雅子さまが皇后になられたら女性皇族のトップとして行事のドレスコードを決めなければならない。和装と洋装どちらにするか、そしてどのような衣装をお召しになるのか皇后である雅子さまから女性皇族に通達しなければならないのです』と書いていました。
あとから真似るのは間違いなく下のもの=紀子さまですよね?
愛子さまご誕生のときの退院のときの雅子さまのお召し物を意識されたとおぼしき衣装とかもいろいろありますね。流石に雅子さまのせいにはできないからって適当なお茶の濁し方がさすがタケロウ氏。
ジャーナリストなのですか?
いつものごとく、いやいつも以上にくだらない駄文に開いた口が塞がりません…
ノルマがあって記事を何とかしてでもあげないといけないんですかねー。書けばいいってもんじゃないぞ。
皇族方はあえてお色を合わされることもあると昭和のお写真を拝見したことがあります。
紀子さまの場合はただの虚栄心でかぶせてきただけですよね?あんなに尊敬申し上げて、何でも真似していた美智子様のお召し物を真似たら良かったのにぃ♪
あ、マントも真似してたことありましたね!(笑)
皿はさすがにないか?
でもどんぶりみたいなお帽子かぶられていましたね!
自己愛パーソナリティ障害でみられることがあるという「嫉妬対象の真似」だと思いますよ。「自己愛 猿真似」で検索すると、いろいろ怖い事例がでてきます。「憧れの対象」を真似するんじゃないんです。「嫉妬対象」を真似るんです。自分がその地位を乗っ取ってしまおうという意識のあらわれです。
だっておかしいでしょ、最近のリングコーデとか。天皇一家に好意を一滴も持ってない、むしろ相手のもっている資質に嫉妬して憎んでいるような人が、あの猿真似なんて。ぼっちゃんが生まれた時の白い衣装も、モロでしたよね。
無邪気な真似にみえますか?
タケロウさんお約束した新潟水俣病昭和電工の事どうなりました。調べると約束しましたよね?
しばらく出てこないから追放されたのかと思っていましたがしつっこくまた出てきましたね。
逃げても無駄ですよ。
衣装かぶりは紀子さんと老害おばあさん以外は皇后陛下以下誰も気にしません。オツム空っぽだけれど見栄と欲だけ強い二人が大暴れしているだけですよ。皇后陛下が全く気にしていない以上コーシ妃とやらも黙っているべきです。
そうそう、そう思います。
当の雅子さまは色が、デザインが、などと全く気になんかしておられないでしょう。
そんなアホな程度の低いどうでもいいことを気にして、相手も同じように考えているかのように妄想してちょっかいかけて結果墓穴掘ってるのは、皿マント、ホーチキ、タケロウ君だけです。
このコラムの趣旨とはちょっと違いますが、
皆様は 立皇嗣の礼の時に皇族席にいらした
眞子様佳子様のお衣装について どうご覧になられましたか?
鮮血とも言えるような赤のドレスの佳子様と
ウェデングドレスにも使えるような白のドレスの眞子さま。
その横のロイヤルブルーの信子様。
テレビのニュースでは ほんの一瞬でしたが、
びっくりしてしまいました。
宮中やセレブの方のドレスコードは存じませんが
庶民感覚では「これってお祝いだったんじゃなかったっけ?」って思ってみていました。
その佳子さんの赤い衣装に高円宮の承子さまのお衣装が真紅の色で被ったと、紀子さんが文句を言ってましたよね?
大体の色が決められてるのですから被ったっていいと思いますけどね。文句ばっかり言うのね、きこさんて。
以前は前皇后が、この日は洋装、色は◯◯、と決めて他の宮家に通達を出すと聞きましたね。今はもう無くなったのでしょうか?
匿名さん
承子様も秋篠宮家のお色は水色もしくは青ということで、赤系のお色が被るとは思っておられなかったのかもしれません。
そういえば、この日の紀子様の洋装も薄いウグイス色でした。
秋篠宮家のお色はその時々によって変わるのですね。
う~む、真似されたと言ってる割りには全然着こなせてないですねぇ。まさに猿真似にしか見えない。
皇后様は本当に自分のものにしてサラリと着こなしていらっしゃる。勝負になってませんよ。
ペアルックにさえなってませーん。
最近の家族リンクコーデも真似てるなぁと思いつつ、全然次元の違うものになりさがっていますよ。地味を通り越して、???の世界に成り果てていますよね。これまで何の努力もせずに過ごしてきたから「自信を持つ」の本当の意味も理解できないのが透けてみえる。勘違いのみ。
それも一家丸っとそれですもんね。情けなや…
タケロー、どうせなら恥さらすだけでなく一度顔もさらしてみな、暇があったら見てやらないこともない、かもしれない笑笑
ん?皿とドンブリのリンクコーデ?ウケル
立皇嗣の礼での襟の立ち上がった紀子さんのドレス。
もうこれは雅子皇后のドレスのデザインを真似したなと一瞬で思いました。
首元の宝石はくすんで見えるドレスもさることながら、宝石は身に着ける人によって輝きも印象も変わるものだと実感しました。衣装はいくらそれらしく皇后陛下の真似ができたとしても、にじみ出るお人柄は到底真似できません。
どんないい素材のドレスでも、紀子さんが着たらボロ雑巾に見えてしまう不思議。
宝石がくすんで見えたのは、それがイミテーションか、ランクの低い石だったのかも。
着けているお人もそういうことなんですね!
近所のスーパーにありったけの装飾品を身につけ高級な服なのよと
見せびらかし自己満足している
成金全開の年齢の割にはやけに皺の多いおばさんにしか見えないです
高級なドレスはカーテンにしか見えない
有刺鉄線にパールを差し込んだようなネックレス
高級化粧品を使っていても内面が皺だらけなので面の皮だけが厚くなりエステに通っても
最早どうしようもない鬼子妃
どこからどう見てもふつうのオバサン。普通のオバサンのほうがお金をかけなくても
品が有り綺麗な人がたくさんいる
紀子さんが絢子さんの結婚披露宴に絢子さんのドレスと同じデザイン、柄のを着ていてカメラマンさんがキコヒがなるべく映らないように四苦八苦されていたのを思い出します。とにかく真似しいなんです、キコヒは。自分自身がセンス無いし、他人のセンス盗むのは皿さんから学んだものです。雅子さまのセンスの良さは本当に真似したいくらい素敵ですもの。しかし雅子さまはこんな意地悪な姑にイジメられてひと言も愚痴さえも言わないのはさすがとは思いますが、私なら皿もキコヒも殴る蹴るしても足りないわ。
何だ、この記事は?と思ったら、やっぱり宮本タケロウだった。
この人に書かせるのはやめてください!