雅子さまを笑顔にした愛子さま“4歳のお手紙” 天皇ご一家の深い絆に感動の嵐


文/伊藤友香子

華やかな外交デビューを果たした新皇后雅子さま

令和時代の新皇后となった雅子さま——。平成の時代には適応障害に苦しまれ、一時は皇后としての務めを果たせないとまでメディアは騒ぎ立てた。本来ならばこういったメディアスクラムを知識人が牽制すべきところにも拘らず、西尾幹二(電気通信大学名誉教授)や山折哲雄(国際日本文化研究センター名誉教授)といった“有識者”たちが「雅子さまは責任を取って離婚すべき」「皇太子殿下(当時)は秋篠宮殿下に皇位を譲り京都に引退すべき」などと悪乗りしていた(WiLL 2008年5月号、新潮45 2013年3月号)。

だが心配ご無用。令和と御代替わりするや、雅子さまは溢れんばかりの笑顔を湛えながら見事復活された。令和3年の新年には、皇室として初めて天皇皇后両陛下のビデオメッセージ公開があったが、こういった新しい取り組みは国民からの大きな歓迎を受けている。元旦には、両陛下のビデオメッセージについての報道にたくさんの奉祝コメントが挙がった。

皇后となられてからご快復めざましい雅子さまだが、特に、世間やメディアの注目を集めたのは、令和元年5月に国賓として招かれたトランプ大統領夫妻との会見である。洗礼された所作と流暢な英語でコミュニケーションを取られるお姿は国内外のメディアから絶賛を浴びた。その後に続いた、G20の日程に合わせて来日された各国要人との会見でも、優れた語学力と素晴らしいおもてなしの所作が絶賛されることとなった。

令和の新時代に皇后陛下として華やかな外交デビューをされた雅子さまであるが、このような皇室外交を担っていくことは、雅子さまが皇室入りされて以来の念願でもあったのだ。

強く望んだ皇室外交

雅子さまが皇太子(現天皇陛下)のお妃候補として浮上したのは1988年。ハーバード大学を卒業し、東大にも入学した雅子さまは、86年に雇用機会均等法が施行された翌年、「均等法世代」の初の女性外交官として外務省に入省された。

ある皇室記者は、当時の様子を振り返りながら次のように語る。

「輝かしい経歴を経て外交官となられた雅子さまの才色兼備ぶりは世間からの注目を集め、まさにキャリアウーマンの象徴ともいえる存在でした。

男女が性別の差別なく活躍できる社会という希望を胸に社会に出た均等法第一世代の女性の多くは、大きな変化もなく、いまだ閉鎖的であった男性社会の現実に失望する者も少なくありませんでした。

しかし、そのようななかなか変わらない社会のなかで、光り輝く雅子さまの存在は、多くの女性にとっての希望となっていました」(皇室記者)

そんな雅子さまが外務省を辞め、皇室入りされたさいには大きな驚きが起こったようだ。

「まさに天職ともいえる外務省の仕事を雅子さまは“一生の仕事”と捉えていたようです。

そんな雅子さまですから、皇室入りされた際にも、ご自身のキャリアや能力を皇室でも生かしたいと強く願っており、特に皇室外交へかける想いは並々ならぬものがありました」(前出の皇室記者)

しかし、その後に雅子さまを待ち受けていた運命はまさに過酷な現実であった。

公務よりもお世継ぎを

皇室入りされてからの雅子さまは、外交の機会は中々与えられずとも、それでも自分自身の能力を可能な限り生かそうと真剣に思い悩んでいたようだ。

しかし、そんな雅子さまに、期待されたのは「公務」ではなく「お世継ぎ」であった。お子様に恵まれなかった当時の皇太子ご夫妻であったが、東宮職も公務軽減がお子さま誕生に繋がると信じ、公務を制限していった。

先の皇室記者はまた当時の様子を次のようにも語った。

「雅子さまのような非常に優れた能力をお持ちの女性を、自立した一個の人格としてではなく、皇太子さまの付属物ででもあるかのごとく、お世継ぎの役割ばかりを期待する日本の皇室やマスコミ報道のあり方は欧米のメディアからは非常に奇妙に映ったようです。

ある海外の新聞などは、公務を制限し、皇室内でお世継ぎの期待ばかりをかけられる様子を皮肉り、「マサコは篭の鳥」というタイトルで報道するものまでありました

愛子さまへ注がれた愛情

不妊治療と流産を乗り越え、2001年12月に愛子さまが誕生されたが、その後も困難の連続であった。

2003年6月には、当時の宮内庁長官が定例会見で『やはりもう一人は欲しい』『多くの国民もそう考えているのではないか』と発言。

「ご出産後の初会見で、涙を浮かべられながら“生まれてきてくれて有難うという気持ちになって”と語られていた雅子さまにとって、愛子さまの存在までも否定するかのような宮内庁長官の発言には深く傷つかれたことでしょう」(前出の皇室記者)

この時、雅子さまは、たとえ望まれない性別であったとしても、愛子さまへ何倍もの愛情を注いで育てられることを決意したという。

仲睦まじく談笑される雅子さまと愛子さま

4歳だった愛子さまが雅子さまへ送られた手紙

その後、2004年には、雅子さまは医師から適応障害と診断される。

適応障害との診断が下される以前から、体調の異変を訴えていた雅子さまであったが、当時、精神病に関する理解の乏しかったために、マスコミはおろか宮内庁の医師さえも、「わがまま」「仮病」とみなすことがあったようだ。

病の苦しみに加え、メディアや国民からの心無い批判、周囲の無理解と、様々な要因が重なりその全てが雅子さまを深く傷つけたことは想像に難くない。

しかし、そんな雅子さまにも癒される瞬間はあった。

天皇家のご一家についても良く知る、ある宮内庁職員は適応障害の診断がなされた翌年の2005年にあったエピソードについて語ってくれた。

「これは、愛子さまが4歳の時のエピソードなのですが、当時“お手紙ごっこ”という遊びをおこなっていた愛子さまが病気に苦しむ雅子さまへ送られた手紙にこんな一言が書かれていたのです」(宮内庁職員)

“ママへ きょうは、なにがたのしかったですか”

文章には花に止まった涙を流すミツバチの絵が添えられていたという。

「2005年は皇太子ご一家、特に雅子さまに対するバッシングが加速した時期でありおそらく雅子さまが一番体調が悪い時だったのでしょう。楽しかったはずがありません。

それでも、苦しそうな雅子さまへ『ママ、たった一つだけでも今日は楽しいことはありましたか?』と幼かった愛子さまは、そのように気遣われたのです」(前出の宮内庁職員)

当時、苦しい想いをしていたのは実は雅子さまだけではない。当時の宮内庁は、雅子さまの希望に反して、泊りがけの公務を増やしていった。

最も愛情を必要としていた時期に愛子さまは、母親から引き離されて育ったことになる。母親と一緒にいて甘えたかった時期に、泊りがけの公務により引き離され、なおかつ、病に苦しむ雅子さまの姿を間近でみていた愛子さまの悲しみは想像して余りある。

「そんな中、大変深い悲しみや寂しさを感じていたであろう愛子さまは、ご自身の辛さを訴えるどころか、母親である雅子さまを気遣われたのです。手紙を受け取った雅子さまは笑顔を取り戻され、愛子さまをそっと抱き寄せました。その時に、誰よりも愛子さまへ愛情を注いで育てていこうと、あらためて決意したのかもしれません」(前出の皇室記者)

天皇皇后両陛下の結婚の際に、陛下は「僕が一生全力でお守りします」と雅子さまへプロポーズの言葉を送り、まさにその言葉通り、様々な困難から全力で雅子さまを守り抜いてきた。

そして、陛下に守られてきた雅子さまもまた、愛子さまに大変な愛情を注ぎ、全力で守り抜いてきたのかもしれない。現在の天皇皇后両陛下と雅子さまの輝くような笑顔も、この一家三人の間の愛情がなければ決して見ることは叶わなかっただろう。

10件のコメント

ミテコの嫉妬が、籠の鳥にしたのですね。

ご結婚後のはじめての晩餐会(?)で、
緊張しながらも、
エリツィン大統領とクリントン大統領の間でお話されている映像、
今も覚えています。

不妊も、友納紀子さんが著書のなかで、
雅子様が原因ではないと分かるように書いていました。

きっと皇室に嫁いだことを悔やまれた日もおありだったでしょう。
ですが、一国民として、嫁いでくださったこと、心から感謝申し上げます。

個人的には、トレンチコートでマスコミの取材に毅然と答える、
イギリス留学中のお姿が大好きです。

ひとりの女性として、
強く、賢く、美しく年齢を重ねることのお手本でした。

前の方は、老いるほどに心が顔に表れて醜くなっていきましたが・・・。

390
1

世界に誇れる皇太子妃殿下でした。

その方を汚い手で追い詰め、病気にした人間がいます。それを煽り立てた人間もいます。自らの職務を放棄した宮内庁職員も大勢います。
どう考えても怒りしかわいてきません。
全員責任を取ってください。

398
2

4歳にして、母親の苦しみを理解された愛子様。
まさに「選ばれし特別の存在」であることがよくわかるエピソードです。
欲望にまみれて生きるだけのどこぞの宮家など、比較の対象にすらならない。

愛子様がお生まれになって20年もたつというのに、いまだに立太子のめどすら立てられない。
国会議員は全員職務怠慢です。

子作りを優先しろと公務を減らしておきながら、愛子様がもっとも親の愛情を必要とする時期に泊まりがけの公務を増やしたという宮内庁。
いったいどなたの指示だったんでしょうね?

401
2

読んで涙しました。
努力の末に得られた希望のお仕事。そこでまた不眠不休の努力をしながら、国家のため国民のために働いておられたスーパーレディ。

皇太子殿下の愛のこもった強い願いを込めたプロポーズに、皇室のため国民のため、そして殿下への愛のために決意なさった雅子様。

それを子供を産む機械、男児を産む機械のように見なした上皇両陛下や宮内庁、識者や超保守の議員やマスコミ、そして煽動された一部の国民。

おいたわしい。しかし今はそれらを家族結束して乗り越えられ、国民の敬愛を受けておられる。

本当に素晴らしい。
心優しく気遣いの半端ない敬宮愛子様に是非、天皇になっていただきたい。

394
1

4歳にしてこの優しさ
4歳にしてこの賢さ
世知辛い世の中に生きている国民には光明が射し込み、このお手紙を拝見し感動された人達がどれほどいたのだろうか!
日本を救い安寧を与えてくださる方はもう、愛子様と決定しています❗️
又、お母様の作文も大好きで心が温まります、ありがとう!

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敬宮さまは幼き頃から聡明かつ心優しい方でいらっしゃる。お父上である今上陛下の教えもあったのでしょうけど、お母上である雅子さまに少しでも笑顔になってほしかったのでしょうね。

敬宮さまが素晴らしい皇女にご成長されたこと、ならびに徳仁天皇と雅子皇后が令和の象徴であることを一国民として、誇りに思います。どうか令和が長く続きますように。雅子さまのお体が早くよくなりますように。

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天皇陛下最大のご功績は、雅子様をお妃に選ばれたことだと思います。「僕が一生をかけてお守りします。」なんて素晴らしいプロポーズのお言葉なのでしょうか!
そして愛子様のご誕生とご成長は国民にとっての希望です。謂われのない誹謗中傷に苦しまれた雅子様、今コロナで日本も世界も大変な中ですが、当時のメディアコントロールの実態が日々明らかにされて行っています。その正体は恐ろしいと言うよりは醜く嘆かわしいものですが、ご家族の愛だけがそれに打ち勝つことができるのだということを4才の愛子様のお手紙から教えていただくことが出来ました。
大変わかりやすい記事をありがとうございました。

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この様な素晴らしい天皇皇后両陛下、敬宮愛子内親王殿下が我が国の象徴で大変に嬉しく誇りに思います。

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4歳の愛子様からのお手紙心に響く優しい文ですね。添えられていた絵のミツバチの涙、雅子皇后様を思う気持ちに涙してしまいました。ハーバード大学卒元外交官という素晴らしいキャリアを持つ雅子皇后様が令和の即位で流した涙、感性豊かで心の美しさは愛子様に継承されています。令和の末永く続く事、天皇一家の健康、愛子様成年皇族から天皇になられる事祈っております。

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まだ、4歳にしてこの賢さ。流石天皇皇后利用陛下のお子様ですね。子は親が育てたように育ちます。又親の生き方を学び育ちます。凄いですね愛子内親王殿下は。何処からみてもこの方以外に天皇を継ぐ人はいません。だからこそ、ミテコやキーコが狂ったように嫉妬するのでしょう。どこかの宮家と比べて、月とすっぽんどころの違いではなく、次元が違すぎる。

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