愛子さまに昭和天皇から継承された「帝王学」 天皇陵「墓碑」に隠された秘話


文/佐藤公子

昭和天皇祭

1月7日は昭和天皇の命日。皇居と武蔵野陵では、昭和天皇祭が行われました。

昭和天皇は、言うまでもなく、1901年に生を受けた明治天皇の初孫、大正天皇のご長男。

病弱だった大正天皇ですが、昭和天皇と年齢の近い兄弟が2人もできたことで、晩年の明治天皇は3人の孫をことの他かわいがったと、当時の史料には残っています。

昭和天皇は、明治憲法と日本国憲法と言う2つの憲法下で、11歳から20歳までは皇太子として、20歳から25歳までは摂政として、25歳から45歳までは国家元首・大元帥として、そして45歳から87歳の崩御までは象徴として人生をお送りになりました。

わずか25歳で、激動の昭和日本の荒波に立ち向かわなければならなかった青年・昭和天皇の覚悟はいかほどだったでしょう。

昭和天皇の陵墓

さて、1989年に崩御された昭和天皇はご両親(大正天皇、貞明皇后)と同じ、武蔵野陵墓地にその御陵があります。

「昭和天皇武蔵野陵」という”墓碑”がありますが、これは礼宮時代の秋篠宮さまが揮毫した陵誌(棺に添えられた墓碑)の文字が原型であると言われています。

葬儀に先立って、陵誌には「昭和天皇 武蔵野陵 昭和六十四年一月七日午前六時三十三分崩御 平成元年二月二十四日斂葬」と秋篠宮さまが揮毫をされました。

不思議ですね。天皇陛下でも、上皇陛下でもなく、なぜ秋篠宮さまが揮毫をされたのでしょうか?

「秋篠宮さまが字が上手かったから?」

と、ミーハーな声が上がりそうですが、これには理由があります。

実は秋篠宮さまは300年以上に及ぶある書道の継承者だったのです。

有栖川流書道とは…?

その書道の名前とは、「有栖川流」。江戸時代に創設された四親王家の一つ、有栖川宮家が継承した由緒正しい書道の流派です。

霊元天皇の書風を受け継ぎ、江戸時代後期、書道・歌道を家学とした有栖川宮の第5代・職仁親王(霊元天皇皇子)によって創始され、第8代・幟仁親王によって大成された。

明治の五箇条の御誓文の正本は、幟仁親王により有栖川流で記されている。また香淳皇后の武蔵野東陵の陵碑も有栖川流で書かれている。

明治以降は幟仁親王から威仁親王妃慰子、徳川實枝子、高円宮(編集部注:高松宮)宣仁親王妃喜久子の母子3代に受け継がれ、現皇室においては秋篠宮文仁親王と常陸宮正仁親王妃華子が宣仁親王妃喜久子より伝授され、継承されている。

有栖川流、wikipediaより

日本の書の文化史には「三筆」と呼ばれる書道の達人がいますが、その一人が嵯峨天皇(残りは空海、橘逸勢)でした。「書道」を貴ぶ文化が皇室に脈々と受け継がれ、令和の現在にも至っているとは感慨深いですね。

要領が悪かった秋篠宮さま

この、有栖川流と秋篠宮さまについて、皇室の文化に詳しいジャーナリストに伺う事が出来ました。

「五箇条の御誓文を有栖川流で書いたことからも分かるとおり、江戸時代以降の皇室の『書』には有栖川流が付き物です。昭和の時代になって、高松宮妃が有栖川流を継いでいたのですが、継承者がいなかったので、常陸宮妃の華子さまが皇室入りしたときに喜久子妃殿下から華子さまに伝授されました。

秋篠宮さまに有栖川流が伝授された経緯ですが、これもまた面白くて。上皇陛下がまだ皇太子だったころ、まだ子供だった秋篠宮さま(礼宮)を連れて、高松宮殿下のところに『礼宮が殿下のような字が書きたいと言っています』とお願いに行ったそうです。

それで、喜久子さまが教えることになったんですが、秋篠宮さまはなかなか飲み込みが悪かったようで(笑)、歌会始の題や天皇誕生日の歌を妃殿下の所に書いて送ってくるのですが、それがいつもぎりぎりになるまで来ない。

(書を習う秋篠宮さま)

有栖川流書道には決まり事があり、これが非常に複雑です。秋篠宮さまもなかなか上達しなかったそうです。それで、『ぼっちゃんはいつも字余りねエ』と、いつも喜久子さまが根気よく赤字を入れて直して差し上げたそうですね(笑)秋篠宮殿下に帝王学が身についていない客観的根拠の一つですね」(皇室ジャーナリスト)

飲み込みが遅かった秋篠宮さまだそうですが、最終的には祖父・昭和天皇の墓碑を揮毫するまでになったとは、非常な進歩です。

有栖川流の継承者は愛子さま?

皇室ジャーナリストはこう続けます。

「墓碑を見た喜久子妃殿下は『あら、立派な字になりましたね…』と感慨深げにおっしゃったそうです。喜久子妃殿下としては有栖川流の継承者は華子さまと秋篠宮さましかいないわけですから。残念ながらお子様に恵まれなかった妃殿下でしたが、立派に有栖川流の跡継ぎができたことをお喜びだったのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)

昭和天皇の陵墓を参拝しても、何も知らないと見過ごしてしまうような「昭和天皇武蔵野陵」の碑文ですが、長い皇室の文化の一つの「物語」がそこにあるのだと思って見ると、また違って見えるかもしれませんね。

そういえば、秋篠宮さまが伝授されて以降40年程が経ちますが、有栖川流が誰かほかの皇族に伝授されたという話はいっこうに聞きません。次はいったい誰が継承する事になるのでしょう。

皇室ジャーナリストは「あくまで私見です」と念押しして、最後に「飲み込みが悪かった秋篠宮様ではなく、華子さまから愛子さまに伝授されるのではないでしょうか。愛子さまこそ帝王学の伝承者です」と教えてくれました。

(書に勤しむ幼少期の愛子さま)

なるほど。

皇室に名百年も伝わる書道を次世代に繋げられるのは愛子さましかいない、ということでしょう。「書道」という目立たない、知られざる皇室の文化ですが、末永く続いて行ってほしいですね。それこそが「帝王学」ではないでしょうか?

11件のコメント

雅子さまがお習字の先生のように美しい字を書かれますから、達筆の遺伝子を敬宮さまはお持ちだと思います。
その上、雅子さまがお小さい頃から、手ずから習字を教えておられましたから、基礎はできておられます。

華子さまが敬宮さまに教えておいていただいていたら、きっと皇室文化は正しく後世に伝わります。
そういう意味からも、敬宮さまは皇室に残っていただきたい。それも天皇として。

言いたくはないのですが、秋篠宮家のお子様の習字はどなたのものも一度も目にしたことがありません。

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眞子さんの硬筆は見たことありますが、あまり綺麗な字ではありませんでした。書いている内容も幼稚でしたし。
悠仁さんに至っては、自分の名前も毛筆で書けなかったと、新聞に書いてありました。

酷すぎます(−_−;)。

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色んなことを覚えるには、基礎が邪魔をしてしまう場合もあるため、一概にそれが良いとは言いきれないと思います。
しかし、愛子さまなら要らぬ心配をよそに、皇室のあるべき品位と共に書道も伝承してくださると思います。

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秋篠宮さまは大事な書においても、真子さんやカコさんに伝え様と、考えもしなかった事からも、天皇には相応しく無いと言えますね。

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雅子皇后様は本当に素晴らしい方で愛子様の子育てもしっかりされていたのですね。愛子様は文才もあり絵本の読み聞かせから始まり書道も雅子皇后様からの直伝で次期天皇は愛子様しかいませんね。今の天皇陛下には浜尾侍従がついてしっかり天皇教育をされ美智子さんは子育てではなく高額な衣装を見せるミテコさんだったので秋篠宮も皇族の品格がなく育ったのですね。

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敬宮愛子さまは、お蚕の飼育も10年やっていらっしゃいました。
書はお小さい頃から、やっていらっしゃいましたが、
きっと、華子様がお教え下さっていると思います。
早々と公言すると、差しさわりがあるのでしょう。
常陸宮家・三笠宮家・高円宮家の皆様が、
陰になり、陰になり、天皇家を支えて下さっているのが分かります。
ご病気にされるのに、
一番効果があったのが、愛子さまイジメでしたから。
皆さま御労しくお思いだったと思います。

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KKが狙っている、外国法事務弁護士への抜け道、軽井沢の家の事などについても詳しく教えていただけるとありがたいのですが。

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私もぜひ知りたいです。皇女制度もそうですが、どうして秋篠宮家に都合がよいことばかり起きるのか仕組みが知りたいです。秋篠宮家は一体どういうネットワークを持っているのですか?ネットワークの構成メンバーと、ネットワークの作りかたや広げかたを知りたいです。

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残念ながら、秋篠は単に「習った」だけで、人前で揮毫したことはなかった様ですね。
もし彼が本当に能書家で、書字に造詣が深いのであれば、ルビだらけの原稿が人目についたことはなかったでしょう。
華子さまはアーヤがカッコいい漢字ばかり書きたがるので困る、と言っておられたそうです。
私は書の流儀はよく知りませんので、悪しからず。

ただ、私が見たもので、明かにアーヤが毛筆で書いたという書字は、墓標の様な整った字体ではありませんでしたね。ただ単に早く筆を滑らせた、草書っぽいものです。

墓標の文字は、側近のどなたかが例によって代筆したのではないか、と思います。

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ルビだらけって、まともに漢字が読めないんですね。
大卒の学歴を金で買っただけはある。

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