秋篠宮殿下に「帝王学」は無謀か 今上陛下との差に「愛子さまに期待」と関係者



文/小内誠一

秋篠宮殿下、54歳の“立皇嗣の礼”

安倍晋三首相は先月28日午後、持病の悪化を理由に辞意を表明した。後任は今月中頃にも決まり、菅義偉官房長官が最有力候補であるという。

菅官房長官は、神道政治連盟や日本会議国会議員懇談会にも所属している保守系の議員で、これまでも女性天皇・女系天皇・女性宮家には反対の意を度々表明している。ゆえに皇室典範改正の議論においては、安倍首相と同じく男系男子の路線を踏むものと思われる。愛子さまの即位への道はまだまだ険しい。

また産経新聞(2020年8月28日)によれば、本来4月19日に開催される予定だった“立皇嗣の礼”の挙行について、宮内庁関係者が「首相交代でこれまでの議論が白紙に戻るようなことがあれば、影響は避けられない」と再延期を危惧している。だが、菅官房長官が新総理となれば、現政権の体制をそのまま引き継ぐ可能性が高く、“立皇嗣の礼”も現在目標としている10月・11月の挙行でいけるのではないだろうか。

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“立皇嗣の礼”と“立太子の礼”

ところで秋篠宮殿下の“立皇嗣の礼”は、かつての“立太子の礼”に準ずる。皇太子とは皇位継承権一位であることが確定した地位のことを言い、皇位継承権一位のことを皇嗣という。「皇太子」という語の初出は『日本書紀』推古天皇即位元年の「厩戸豊聡耳皇子(聖徳太子)を立てて、皇太子とす。価りて録さに摂政らしむ。万機を以て悉に委ぬ」であるが、これが制度化されたのは令制(8世紀)が成立した後であるようだ(荒木敏夫『日本古代の皇太子』吉川弘文館、1985)。

現在は皇室典範によって皇位継承の順位が機械的に定められるため“立太子の礼”は儀礼的・形式的なものになっているが、かつては「後継ぎをあらかじめ内定させておくことで、跡目争い防ぐ」という重大な目的があった。

天皇が一夫多妻だった頃は、皇子として生まれただけで、自動的に皇位継承権をもつ「親王」の地位が与えらたわけではなかった。天皇から“親王宣下”を受けることで親王になり、さらに“立太子の礼”が行われた。現在では一夫多妻は廃れ、非嫡出子は皇族として認められず、三世内の皇子は生まれながらに親王となるため、近代以降、親王宣下は行われなくなった。

なお、かつて立太子(立皇嗣)は成年式と密接な関係があり、上皇陛下は18歳になられた時この二つを同時に挙行したが、平均寿命が延びに伸びつつあるため今上陛下の“立太子の礼”は31歳、秋篠宮殿下の“立皇嗣の礼”は54歳(予定)と高齢化が進んでいる。

余談だが、仮に旧宮家男子を皇室に戻すことになった場合、現皇室とは血縁関係が遠いため「親王」を名乗ることはできない。皇室典範第六条に三世以下の男性嫡子は「王」になると定められているからだ。歴史的に見て「王」と「親王」とでは、その正統性は大きく違う。ゆえに、旧宮家男子が皇籍復帰するならば、新たに「親王宣下」をする必要があるのではないかと思う。こういった点からも旧宮家男子の皇籍復帰はハードルが高い。

立太子の礼

立太子(立皇嗣)と自己修練

ところで皇太子(皇嗣)になると、陛下に付き添い宮中祭祀により深く携わることになる。これも帝王学の一環だ。“立皇嗣宣明の儀”の後に行われる“壺切御剣の親授”を済ませると、秋篠宮殿下と紀子さまは、宮中三殿の殿上に昇り(昇殿)、神事に携わることになる。いわば天皇陛下の祭祀の継承者としてお近くに仕え、その奥義を習得していくのだ。

宮中祭祀は独特の威儀(所作)を伴うため、一朝一夜で習得できるものではない。お召しになる装束は7~8㎏と重く、長時間の正座をともなう場合も多いため肉体的負担も大きい。祭祀が近くなると上皇陛下はテレビをみながら正座をして鍛錬していたことは夙に知られる。

今上陛下は登山やジョギングを趣味とされて、日頃から肉体鍛錬を怠らない。私は一度だけ今上陛下の登山に同行したことがあるが、我らお付きの職員はすぐに息を切らしたにもかかわらず、陛下は涼しい顔で笑顔を湛えながら黙々と登られていたことが鮮やかに記憶に残っている。山小屋で休憩した時には、陛下から「どうぞ。周りの皆さんにも配ってあげてください」とお菓子と果物を頂き、同行してきた新聞記者らにも配った。

また今上陛下の「登山」という趣味は、肉体鍛錬のみならず日本文化への深い洞察までも込められている。この時の登山について陛下は次のように回顧されていた。

私は幼少の頃から、「道」というものに大変興味があった。その発端は、小学生の時に私の住む赤坂御苑(赤坂御用地)内に鎌倉時代の古道が通っていることを知ったためである。

人々が信仰心に触発されて入山し、修験者が抖擻行脚した足跡を辿り、その歴史の温もりを感じる絶好の場所であろう。私にとって信仰の山への登山は、過去を偲びながら歩む生きた歴史探索なのである。

徳仁親王「修験の山を訪ねて」『山岳修験』第7号(1991.6)、「歴史と信仰の山を訪ねて」『山岳』169号(2016)

このように天皇となる者の日常は、己が鍛錬と内省につとめる毎日なのであり、それこそが帝王学の基礎にあると信じる。まさに「日々是修行」である。

秋篠宮殿下の「帝王学」が始まるか

日本国の象徴である天皇は「如何なる象徴であるべきか」を自身に問いかけつつ、長い人生をかけて模索していくものだ。ノンフィクションライターの奥野修司氏は「天皇は孤独であって、何事も決定するのは天皇ひとりである。親しい友人がいたからといって相談するわけではない」と述べているが、その通りだろう(『天皇の憂鬱』新潮社、2019)。まさに自己修練しなければならない帝王学もある。

だが、自己修練とは別に、教養や専門知識を身につけるために周囲の手助けを得ることは必要だ。今上陛下も、皇太子となったころ将来のために必要な教養を身につけるために「梓会」という勉強会が定期的に開催された。最初は進講のかたちをとっていたが、やがて美術や歴史などの専門家らが集うサロンのような勉強会になった。

このような帝王学のあり方を振り返るとき、皇嗣となられたあとの秋篠宮殿下の「帝王学」が如何なるものになるか恐怖を感じずにはいられない。若いころから“遊び人”として知られる殿下は趣味らしい趣味もなく、兄陛下のように体力があるわけではない。儀式の所作について自信がないことを、殿下ご自身が「前回は私の隣に今の陛下がおられて、私はそこで行われる所作を、分からなければ隣を見ていればいいと、そういう感じがあった」と率直に吐露されており、果たしてこれから所作を覚えられるのか不安がよぎる。

また眞子さまと小室圭さんの結婚問題が解決しないことは帝王学以前に、父親としての威厳に関わる問題である。眞子さまは成人されているとはいえ、皇室は旧態依然とした場所であり、宮家は今でも家長制の名残を残している。宮内庁に務める知人は次のように嘆く。

「殿下は帝王教育に無関心だ。観劇の公務をこなしても象徴天皇の素養がつくわけではない。まだまだ即位の現実から目をそらしているのではないか。天皇家と秋篠宮家の歴然たる差を見ると、私は愛子さまに期待しています

陛下が涼しい顔で山登りできるのは幼少期からの修練の賜物だ。秋篠宮殿下に立ちはだかる山道は険しい。54歳から始める「帝王学」は無謀ではないだろうか? 陛下の域に達するには少なくとも20年はかかる。ならば、陛下の背中を見て育った愛子さまにこそ「帝王学」を学んでいただくのが筋ではないだろうか?

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帝王学とは何か?

さて、秋篠宮殿下が「皇太子が受けるべき帝王教育を学んでいない」ことを理由に、「皇太弟」の尊号を辞退された。また同時に、殿下は高齢での即位に消極的であることから、またもや特例法により秋篠宮殿下の即位が除外される可能性は高いだろう。

ところで「帝王学」「帝王教育」という言葉はよく聞くが、具体的には何であろうか?

人によっては「もはや帝王学など存在しない」とか「帝王学(教育)ではなく象徴学(教育)だ」と主張する人もいる。確かに皇室典範には「天皇になるために習得する学問」が規定されているわけではない。しかし、今上陛下が皇太子だった頃、将来に向け教養を付けるため「梓会」という勉強会が定期的に開かれていた。形をかえてもやはり(広義の)帝王学は存在し、必要であると言わざるを得ない。

そこで今回は、古代から近世までの「帝王学」を振り返ってみたい。

古くからあった「帝王学」

「令和」という元号は、その出典が国書(万葉集)であることが注目を浴びた。それまですべての元号は漢籍(中国古典)を出典としていたからだ。平成は『史記』の五帝本紀の「内平かに外成る」及び『書経』の大禹謨の「地平かに天成る」から取られている。明治になるまでは政府や朝廷の公式文書は「漢文」で書かれていた(カトリック教会がラテン語を公用語としているのと似ている)。

前近代の日本では、中国から伝来した書籍、とりわけ儒教の経典や漢詩文集などを尊重し規範とする傾向が長らく続いた。帝王学の教科書も例外ではない。渡来人・王仁によって『論語』や『千字文』が将来された5世紀初めころの第15代・応神天皇朝から、そうであったと考えることが自然である。

平安初期の9世紀代になると、菅原是善(812-880、道真の父)の門下生・藤原佐世(ふじわらのすけよ、847-898)が編纂した『日本国見在書目録』(漢籍の分類目録)は、そのころ宮廷の文庫などにあった漢籍1579部の中に『帝範』『群書治要』『貞観政要』などを載せている。この三書が、帝王学の教科書として長く学ばれていくことになる。

まとめ

このように古代から近代に至るまで、帝王学に漢籍は必要不可欠だった。そして、明治となり漢籍に基づく学問体系が廃止された後も、昭和天皇に至るまで『帝範』『群書治要』『貞観政要』の三書はとりわけ帝王学の必読書として愛用されてきたことが解る。

明治以降(特に戦後)になると、これら漢籍がご進講に用いられることは少なくなった。だが、平成と令和の両陛下もまた、これら伝統的な帝王学本に幼少期から親しまれていると聞く。なお、孔子『論語』のご進講は、伝統的にかならずある。

明治天皇の側近だった元田永孚は、経書が廃止された後にも「何の書を問はず講する所は、君道渦徳皇道の要旨、孔子の教学に基づかざるは無し」と述べていることは今もなお生き続けている。

秋篠宮殿下の「帝王学」はこれから始まるのだが、はたして「論語」を学ばれるだけの余裕はおありだろうか…。私は秋篠宮殿下に「帝王学」は無謀であると思う。もっとも秋篠宮家としても、期待の星は悠仁さまに絞られているのかもしれない。もちろん国民の8割は愛子天皇を切望しているのであり、これが実現することが最も民主的である。

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