侍従「美智子さま衣装代は何十億円」「記念撮影に2000万円のドレス」が物議 上皇職「博物館で展示すれば…」とも



文/佐藤公子

大内糺は何者か?

9月に入り暑さが一息つき、新型コロナも収束の兆しを見せ始めているという。今後は徐々にではあるが皇族方の公務が戻ってくるだろう。はたして4月以降、姿を現さない美智子さまも外に出られる時が来るのだろうか?今回は美智子さまの昔を振り返り、令和皇室との違いを見ていきたい。

1993年8月号の『宝島30』に載った、大内糺(仮名、宮内庁勤務)「皇室の危機――菊のカーテンの内側から証言」という記事は、美智子さまバッシングの急先鋒となり、同年10月23日に美智子さまは思うように声を出せなくなった(失声症)。

美智子さまを追い詰めた、この大内糺なる人物は何者なのか――。すぐさま犯人探しが始まった。「そんな人物はいない。ヨタ記事だ」と主張する専門家も現れた。たとえば皇室専門家として名高い工藤美代子さん(元つくる会副会長)だ。

大内糺という名は大内、すなわち宮中を糺すという意図をもって作られた名前だろうが、この人物はどうやら侍従など内側の詳細を知っている者ではなさそうだ。大膳課の厨司とか内舎人のような立場の人物から情報を得て書いたものではないか、と推定される。

そこで遅ればせながら、宮内庁内部からも「大内糺」なる人物の洗い出しを検討すべきだ、誤報には強い抗議をすべきだ、という声が挙がってきた。しかし、内部説はあるものの職員ならまず「ご皇室」などという言葉は使わないとか、事実関係に誤りもあり、周辺の記者にしては素人臭い。結局、“犯人捜し”はうやむやのままヤブはつつかない方針となった。

工藤美代子『美智子皇后の真実』幻冬舎、2017

なぜ美智子さまは、侍従たちから嫌われたのか? 今明かされる平成皇室の「贅沢三昧」「パワハラ」の惨状

大内糺の情報源は小林忍侍従・卜部亮吾侍従の近辺か

このように大内糺の「実在」を信じる者は少なかった。だがこの考えを改めなければならない重大な発見があった。なんと大内糺の記事に出てくる「叙勲を断ったK元侍従」というのが、実は小林忍侍従(1923-2006)だったことが明らかになったからだ。これは小林元侍従の日記の中に「叙勲辞退」の話題が出てくるからだ(平成5年6月22日の日記)。

しかも、大内糺の記事に「K元侍従が親しい友人に語ったところによると、勲章辞退の理由は今の天皇陛下から項戴したくない、ということに尽きた。『昭和天皇陛下からだったら、有難く項戴させていただいたのに……』」とある箇所の、親しい友人とは、卜部亮吾侍従(1924-2002)であった可能性が高い。というのも、小林忍侍従の日記には次のようにある。

平成5年(1993)6月23日:卜部氏から同様の電話があったので、真意は、長い間お仕えしお世話になった昭和陛下からなら喜んでお受けするが、殆どお仕えしていない現陛下からは受ける気にならない、と伝えた。

小林忍『昭和天皇 最期の侍従日記』文藝春秋、2019

小林忍侍従は受勲辞退の理由について、(真意ではなく)表向きは「まだ非常勤ながら出勤しているから辞退する」と述べていたそうであるから、この真意は卜部亮吾侍従など最近辺の人物しか知り得ない情報である。よって、美智子さまを「贅沢三昧の女帝」と非難した大内糺の発言は、全くのヨタ話ではなく、実は皇居のオクでしか知り得ない情報が含まれていたことになる。

(なお上に引用した大内糺の記事に先立って、『サンデー毎日』1993年6月27日号にも「元侍従のひとりが、勲三等の叙勲を辞退した」という文がみられる。ただし「K元侍従」とまではない。大内糺は内部情報を知り得る立場にあり、辞退したのは小林忍元侍従のことであると知っていたので、自身の記事で「K元侍従」とイニシャルを限定したのであろう)

平成皇室を嘆く小林忍侍従

小林忍侍従の日記を読むと、平成皇室(とくに美智子さま)への疑問のまなざしを随所に感じ取ることができる。たとえば「即位礼正殿の儀」については次のような感想を述べる。

平成元年(1989)11月12日:諸役は古風ないでたち、両陛下も同様、高御座、御帳台も同様。それに対し、松の間に候する者のうち三権の長のみは燕尾服・勲章という現代の服装。宮殿全体は現代調。全くちぐはぐな舞台装置の中で演ぜられた古風な式典。

参列者は日本伝統文化の粋とたたえる人もいたが、新憲法の下、松の間のまま全員燕尾服、ローブデコルテで行えばすむこと。数十億円の費用をかけることもなくて終る。新憲法下初めてのことだけに今後の先例になることを恐れる。

小林忍『昭和天皇 最期の侍従日記』文藝春秋、2019

これについては賛否はあるだろうが、令和の即位礼も装束と燕尾服が同じ場に居合わせた点で「ちぐはぐ」であった。しかし平成の即位式での衣装代が数十億円とは仰天である。思い起こせば大内糺は、陛下と美智子さまの住まう赤坂御所を「クリーニング店」と揶揄しているが、このことが背景にあるのかもしれない。

また、元宮内庁職員で、美智子さまの傍に仕えた経験もある小内誠一さんは次のように語る。

「美智子さまの衣装代で最も仰天したのは、ただ記念撮影のためだけにマント・ド・クール(18世紀フランスの宮廷服)を発注されたことです。マント・ド・クールは現在では『高額で派手過ぎる』ということで皇室行事で使われていませんが、戦前ではローブ・デコルテ(現在、最上位の洋装ドレス)よりも格式が上でした。美智子さまはフランスの老舗メゾンにマント・ド・クールを発注され、およそ2000万円ほど。こういった不必要な衣装代も平成皇室の特徴でしょう」(小内誠一さん)

記念撮影のために2000万円のドレスを発注された美智子さま(左より上皇后美智子さま、香淳皇后さまのご母・久邇宮邦彦王妃俔子さま、梨本宮守正王妃伊都子さま)

平成と令和の即位関連費用

ところで令和の即位関連の総費用は166億円であった。

平成時より3割増なもの、物価差を考えれば割安になっている。「即位礼正殿の儀」については17億6700万円だ。平成と令和を比較して最も差があるのは、外国から来賓を迎え入れる宿泊費や警備代の費用だ。これが令和では50億8千万円と、平成の9億8100万円から41億円も増えてる。人件費の高騰や、テロなどの危険が増した現代においてはこれは止むを得ないだろう。

また令和における大嘗宮設営の費用は約12.5億円と、平成時の役14億円を下回ることが明らかになった(時事通信2020年8月27日)。30年間の物価差を考えれば半額以下の計算となる。令和の儀式は、細部に至るまで質素を宗とする皇室の伝統が息づいている。

なお、平成時に使われた数十億円の衣装代は「無駄遣い」なのだろうか? 現役の上皇職に話を伺った。

「美智子さまは国母として平成のあいだ国民に寄り添ってきました。多くの国民がこれに心癒されたことは間違いありません。2000万円のドレスも含め、無駄遣いは一つもありません。平成記念博物館などを作り、美智子さまの偉大な業績をたたえれば国民の福祉にもつながるものと思います」(上皇職)

このように考えるといかに平成皇室がバブリーで、令和皇室が質素であるのかがよくわかる。大内糺が記事の最後に書いた次の言葉は、実は小林侍従らのホンネだったのかもしれない。「ご利発で学識に富まれている上、ご性格は明るく、折り目正しい。ご自分にもお厳しく、神前の儀式も立派にこなされる。皇太子殿下はきっと先帝陛下に勝るとも劣らない賢帝になられると信じてきたし、今もその思いに変わりはない」

なぜ美智子さまは、侍従たちから嫌われたのか? 今明かされる平成皇室の「贅沢三昧」「パワハラ」の惨状