なぜ美智子さまは、侍従たちから嫌われたのか? 今明かされる平成皇室の「贅沢三昧」「パワハラ」の惨状



文/佐藤公子

侍従たちから嫌われた美智子さま

これまで平成皇室、とりわけ美智子さまは、一部のバッシング報道を除けば「慈愛に満ちた国母」として絶賛されてきた。皇室評論家の矢部万紀子さん(朝日新聞所属)が出版した『美智子さまという奇跡』(幻冬舎)という仰天タイトルがその全てを象徴している。

だが、お傍に仕えた侍従たちの証言から知れる美智子さまのイメージは、「慈愛に満ちた国母」とは全く違う。たとえば入江相政侍従長(1905-1985)は、美智子さまの意外な一面を次のように記録している。

昭和38(1963)年3月22日:次長から東宮妃が予の書くものについて恨んでいらつしやるから当分内廷のことについては書かない方が無難と長官が云った由。あきれたことである。

『入江相政日記』第3巻、朝日新聞社、345頁

美智子さまは何をそこまで恨んだのか? 時期的に見て美智子さまが「お恨み」になったのは入江相政著『天皇さまの還暦』(朝日新聞社、1962)で間違いない。だがいくら精読しても、美智子さまを「実に美しい方だと思った。聡明さが底のほうからにじゑ出てくるような美しさ」と大絶賛の雨あられ。唯一、批判と読みえる個所と言えば「人間だから、勿論欠点もあろう」の一か所のみである(しかも文この前後は、美智子さまを称賛している)。

人間だから、もちろん欠点もある——。どうやら、この当たり前の一文を美智子さまはお気に召さなかったようだ。美智子さまは人間ではなく、聖母マリアの生まれ変わりだとお考えだったのかもしれない。

入江相政

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トドメを刺す小林侍従日記

美智子さまに批判的なのは入江侍従だけではない。2019年に刊行された小林忍侍従の日記『昭和天皇 最後の侍従日記』(文藝春秋)を読むと、平成皇室の実情が事細かに記され、その実態を知るうえで最も重要な資料となりえる。

小林侍従とはどのような人物なのか? それを端的に伝えるエピソードがある。平成の時代になり小林侍従も70歳を目前としたころ、宮内庁より叙勲の打診があった。しかし小林侍従は「長い間お仕えしお世話になった昭和陛下からなら喜んでお受けするが、殆どお仕えしていない現陛下からは受ける気にならない」と辞退した(平成4年6月24日)。

この毅然とした態度ついて、近現代史家の半藤一利さんは「この一文を読んだときに、二君に仕えずという言葉が、宮中にはまだ生きていたんだ、と驚かされました」と絶賛している。そしてこの叙勲を辞退した逸話というのは、1993年の美智子さまバッシングで取り上げられた「K元侍従の叙勲辞退」がまさにそれなのである。

つまり1993年に起きた「美智子さまは贅沢三昧の女帝だ!」と暴露するバッシングは、根も葉もないつくり話なのではなく、実は皇室内に明確な情報源があったということだ。証拠を一礼あげるとすれば、即位礼で衣装代が何十億円もかかったことに小林侍従は「今後の先例になることを恐れる」(平成元年11月12日)と憂慮しており、先のバッシングと内容がリンクしている。つまり、事実だったのだ。

小林忍(左)、田中直(中)、卜部亮吾(右)

美智子さまはスタイリスト

引き続き小林侍従による「美智子さま評」を紹介したい。1993年にバッシングを受けた美智子さまが“声失症”になったとき、小林侍従は次のように日記に残している。

平成5年(1993)年10月23日(土):行幸、第48回国体(徳島、香川両県)。皇后陛下はその後もなお言葉が出ない状態が続いているので、大事をとっておいでにならず、天皇陛下のみ御臨席.ご視察。皇后陛下は即日に宮内庁病院で、東大の神経内科の教授の立会でCTスキャンなどの検査を受けられたが脳には異常が見当らず、3週間以内で治る見通しと。肉体的精神的の疲労、ストレスがひどいと起きる症状で、これが3週間以上続くようだと一種の脳梗塞だという。

それにしても国体へのお出まし中止(注)の発表が、昨日の夜11時とはどういうことか。御容態からいってお出ましは好ましくないことはテレビで専門家が口をそろえていっているのだから、早く発表すべきだった。尤も庁内にお出になることも却って御気力の充実の上でよろしいのではという医師がいたというが、言葉が出ないことをスタイリストの皇后陛下がどれほど気にするか、そのストレスを何と考えるのだろう。

(国体へのお出まし中止=第48回国民体育大会が徳島、香川両県で開かれ、天皇陛下が一人で23~27日日に両県を訪問)

小林忍『昭和天皇 最期の侍従日記』文藝春秋、2019

小林侍従によれば「失声症」になった美智子さまのストレスは、週刊誌のバッシング攻撃ではなく、言葉が出ない状況で公務に出ても格好がつかないことだったらしい。にしても「スタイリストの皇后陛下」という一語は、美智子さまの“女優ぶり”を端的に示す明文であろう。

無言の美智子さま

小林侍従の「苦言」は、微に入り細を穿つところもある。たとえば昼食の御馳走をケチる平成皇室…。

平成2年(1990)10月26日(金):皇后陛下お誕生日祝賀行事。如月加日のお誕生日は福岡県国体のため行啓中につき、祝賀行事は今日に延期されたもの。……午前中に終る。昭和天皇の時と異なり、両陛下でお受けになるものが多い。我々に昼食の御馳走もない。

小林忍『昭和天皇 最後の侍従日記』文藝春秋、1999

平成皇室に手厳しい小林侍従。美智子さまから疎まれていたことは、半ば公然の秘密であったような節もある。たとえば小林侍従が退職する折に、美智子さまは声をかけなかったことを日記に残している。

平成5年(1993)年3月31日(水):侍従職御用掛退職(注)。10時前に長官から退職の辞令をもらう。午後2時、宮殿鳳凰の間、両陛下お揃い。陛下から「御苦労でした。皇太后陛下のこと宜しく、からだを大切に」と、皇后陛下からはない。

(侍従職御用掛退職=小林氏は侍従職御用掛を退職し、4月1日から皇太后官職御用掛に就く香淳皇后の側近職員としての異動)

小林忍『昭和天皇 最期の侍従日記』文藝春秋、2019

もし一般企業ならば、こういった無視はパワハラと受け取られかねない。プライドの高い美智子さまからすれば、昭和帝に仕えた小林侍従は「邪魔な存在」だったのかもしれない。

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