両陛下、全国戦没者追悼式にご臨席へ 「オレは大和撫子としか付き合わない」と靖国参拝者 玉音放送から75年



文/佐藤公子

全国戦没者追悼式が開かれる

天皇皇后両陛下は15日、全国戦没者追悼式(東京・北の丸公園内武道館)に臨席される。正午の時報を合図に、天皇皇后が参列者と共に「全国戦没者之霊」の標柱に一分間黙祷される予定だ。コロナ禍の影響で参列者は規模を縮小し500人程度に、また国歌斉唱も取りやめとなったことが発表された。

天皇陛下は昨年の追悼式で「おことば」を発せられ、平成時代並びに昨年と同様「深い反省」という言葉を交えながら「世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」と締めくくられた。今年はどのような言葉が発せられるのかが注目される。

玉音放送が流されてから75年となり、参列者の高齢化は一層進んでいる。戦後生まれは日本の総人口の83%を超え、また厚生労働省によれば全国被爆者の平均年齢は令和2年3月末時点で83.31歳となった。追悼式に出席した目白信夫さん(90)は「終戦時に二十歳だった人は、もう95歳になります。私も90歳になり、来年はもう来れないかもしれません。戦争の惨禍の記憶をどうやって次の世代に繋げていくのか」と不安をのぞかせた。

同日午前、靖国神社では

また同日午前の靖国神社も戦没者慰霊のため多くの人が参拝に訪れていたが、コロナ禍につき神社側が分散参拝を呼び掛けていたため、例年の半分ほどの人の出入りとなった。

鳥居外の大燈篭の近くで旧日本軍の衣装に身を包んだ参拝者(38)に話を伺うと「終戦記念日だというのにディズニーランドは今日も大混雑らしいじゃないですか! 日本人の平和ボケには困ったものですわ。英霊や天皇陛下に誠を捧げないで、ミッキーや金髪ホストとばかり濃厚接触して入れ込む! 女の操は軽くなるばかりで、ご先祖様も泣いてますよ。

小学校時代のまいんちゃん(福原遥さん)みたいな清純派で処女で黒髪の大和撫子でないかぎりオレは付き合うつもりはありません。まいんちゃんは中学生になり『ピチレモン』のモデルになって髪を染めたときに『ああ、玉音放送を聞いて泣いていた人たちの気持ちはこうだったんだろうな。これがオレの終戦記念日だ』と思いましたよ」と息巻いた。この後も全く関係のない話が続き驚いたが、どうやら多少お酒が入っていたようだ。

他方、靖国参拝の後にディズニーへ行くという女性(20代)からも話を伺うことができた。「今日は祖父に頼まれて参拝に来ました。日本が平和だから靖国もディズニーも同じ日に行くことができます。戦死した曽祖父もそういう日本を喜んでいると思います」

旧日本軍コスプレのイメージ画像(本文の登場人物とは無関係です)

歴史

政府主催の追悼式は日本が主権を回復した昭和27年(1952)5月2日の新宿御苑で、二回目は昭和34年(1959)3月28日、東京・千鳥ヶ淵戦没者慕苑完成に合わせて行われた。

現在のように8月15日に確定したのは昭和38年(1963)からで、日比谷公会堂で式典があり、翌年は靖国神社境内で挙行された。武道館での挙行は昭和40年(1965)から。なお式壇中央の標柱には、当初、宗教色のない全国戦没者追悼之「標」とあったが、昭和50年(1975)に日本遺族会などからの要望で「霊」に改められた。

なお終戦記念日当日に天皇陛下が靖国神社に訪れたのは、上記の昭和40年(1965)の戦没者慰霊追悼式の一度しかない。昭和天皇は、戦後計8回(1945年11月20日・1952年10月16日・1954年10月19日祭・1957年4月23日・1959年4月8日・1965年10月19日・1969年10月20日・1975年11月21日)、靖国神社に親拝している。


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