「美智子さまは何をお考えか」「清子さまには“甚だ心外”」 元侍従が平成皇室の実態を暴露



文/佐藤公子

悠仁さま14歳に

本日、9月6日は悠仁さま14歳のお誕生日だ。次世代の皇室を担う悠仁さまが、ご健勝に過ごされていることは国民にとって最大の喜びだろう。宮内庁もこの日に合わせて悠仁さまと父殿下の写真を公開した。また宮内庁の談話として、この夏の宿題には感染症史にかんする課題に取り組まれ、新型コロナに苦しむ国民に寄り添われたという。

秋篠宮殿下と悠仁さま(宮内庁提供)

続く11日には紀子さまの誕生日が控えており、メディアの質問に答えた文章を発表される。この中には延期が続く眞子さまの結婚問題についての回答も含まれており、何か新たな進展があるのか期待が高い。

「皇嗣妃の誕生日は文章での回答となりますので、記者会見のように関連質問で深掘りもできません。眞子さまの一件については、差し障りのない無難な回答になるでしょう。むしろ延期が続いている“立皇嗣の礼”の挙行目途について何か発表があるのではないかと予想されます」(皇室ジャーナリスト)

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薄れゆく「慈愛に満ちた平成皇室」の記憶

令和となり平成の頃の記憶が薄れてきたが、来月10月20日には美智子さま86歳の誕生日が迎えられる。

さる上皇職は「昨年は台風19号の被害を受け誕生祝賀会が中止になってしまった。今年も新型コロナの影響で開催できるか怪しい状況だ。せめて我々だけでもお祝いする場を設けたい」と語る。今年4月以降、定期健診以外では外出されていない美智子さまだが、徐々に忘れ去られていくその胸中はいかばかりだろうか?

「平成皇室では色々ありましたよ。オクのオクまでは職員すら立ち入れませんが、なかなか不思議なコトが次々と…。あえて私の口から語らなくても状況証拠はいくらでもあります。徐々に実態が明らかになっていくでしょう」

そう語るのは、平成に両陛下(現、上皇上皇后)の近くに仕えた元宮内庁職員の小内誠一さんだ。この言葉の通りことが起きている。被災者の声に膝を折り耳を傾け、日本の安寧のために祈り続ける「慈愛に満ちた平成皇室」像は演技だったと気づく人が多くなった。これまでヨタ話としか思われていなかった「美智子さまバッシング」の声が、本当のことを証言している可能性がにわかに高まったからだ。

傍証を挙げておこう。1993年に美智子さま批判の先鞭をつけた「美智子さまにみるロイヤル・パワーの”威力”」(サンデー毎日 ‘93.6.27号)と「皇室の危機 菊のカーテンの内側からの証言」(宝島30 ’93年8月号)という有名な二つの記事には次の三つの共通話題がある。サンデー毎日から撮要しつつまとめる。

  1. この春、七十歳を目前にした元侍従(宝島30: K元侍従)のひとりが、勲三等の叙勲を辞退した。「昭和さんなら、ありがたくいただきましたが、いまの陛下からはいただきたくないと平成皇室のあり方に疑義を呈した。
  2. 天皇、皇后両陛下がお車で外出される場合、交差点はノンストップ、他の交通は赤信号などで遮断される。警備上の安全を確保するため必要な措置で、昭和天皇時代もそのようにしてきた。しかし即位の礼後の平成二年秋、両陛下自身がこの措置に“注文″をつけられた。――国民の中に入っていく皇室でありたい。自分たちのために、庶民の交通が遮断されるのは、忍びない――というものだった.頭を抱えた警察庁が考え出したのは、比較的交通量が少なく、安全な交差点で、作為的に信号待ちを作り出す方法だった。従来通り交通規制をしながら、両陛下には、規制をしていないように装う。両陛下の願いを叶えるために、その手間が増えただけだった。
  3. 両陛下は御所にお客を招かれると、深夜まで歓談される。そのため、侍従が深夜十二時まで働けば、内舎人、大膳(料理人)などの担当者は午前一時、二時まで仕事となる。(宝島30: 午前一時、二時になってからも、「インスタントラーメンを作って下さい」「リンゴを剥いて」といったご下命があったりする)職員にとっては、キツイ深夜勤務になるのだ。ところが、両陛下は、「皆、喜んで奉仕していると思われている」(侍従職関係者)という。

実在したK侍従

冒頭でも述べたが、この二つの記事の告白は、長らくヨタ話としてしか扱われてきた。たとえば漫画家の小林よしのり氏は『天皇論』(小学館)のなかで「伝聞情報が多く、本当に宮内庁職員によるものかも定かではない代物」「愚にもつかない誹誇中傷」と一蹴している。

しかし2019年に、昭和から平成にかけて侍従をつとめた小林忍氏(1923-2006)の日記が文藝春秋から刊行されると、この小林侍従こそが、先の記事にあった「叙勲を辞退したK元侍従」だったことが明らかになった。なにしろ本人が、日記の中で『サンデー毎日』の記事に言及しているのだから疑いようがない。

平成5年(1993)6月24日(木):

侍従長にサンデー毎日特別号(御成婚関係)の記事―小生の叙勲辞退―について聞かれる。最初、小生から経緯を説明。皇太后宮職の引間庶務係長から4月半頃、旭三の叙勲となるが受けますかとのことだったので、まだ非常勤ながら出勤しているから辞退する旨答えた。

卜部氏から同様の電話があったので、真意は、長い間お仕えしお世話になった昭和陛下からなら喜んでお受けするが、殆どお仕えしていない現陛下からは受ける気にならない、と伝えた。

小林忍『昭和天皇 最期の侍従日記』文藝春秋、2019

また同職場の卜部亮吾侍従の日記にも、内部情報の漏洩に困惑する宮内庁の様子が書かれている。

平成5年(1993)年6月15日(火):

秘書課長から元侍従の勲章辞退が「サンデー毎日」で取上げられ困惑の体 どこから洩れたか

『卜部亮吾侍従日記』第5巻、朝日新聞社、2019

以上、『サンデー毎日』『宝島30』の記事が、内部情報に基づいて書かれていたことは確実である。よってバッシングの内容も事実だった可能性が俄然高まるのである。まして小林侍従が平成皇室に極めて批判的であったことこそ、この可能性を力強く裏付けている。通常、こういった侍従の日記は、後の公開される可能性を予期して皇室不満は書かれないのが通例なのだ。

平成皇室への不満

小林侍従の平成皇室への疑問は多岐にわたる、衣装代に何十億円もかかるのは問題だとか、美智子さまはスタイリストだとか、退職の時に美智子さまからお声がなかったとか…。いずれも週刊誌に書かれていたことと異口同音であることは明白だろう。

続いて今回紹介したいのは、紀宮さま(現、黒田清子さん)と平成の両陛下への苦言。私的日記とはいえ、ここまで書くとは驚きである。

平成元年(1989)年4月18日(火):

紀宮内親王殿下成人(お誕生日)。侍従長のお祝詞言上は極めて簡潔。これに対し陛下から「ありがとう」とお礼。肝心の紀宮さんからは一言もない。甚だ心外。両陛下は一体何をお考えか。御自分も結構だが、成人になられた御本人から祝賀の職員に何の御挨拶もないとは

小林忍『昭和天皇 最期の侍従日記』文藝春秋、2019

何気ない日常の一幕に「違和感」を感じてしまうほど平成皇室に思うところがあったのだろう。なおこの一幕について、元宮内庁職員の小内誠一さんは次のように述べている。

「一応、平成皇室に仕えた身として“弁護”させていただきますと(笑)、この時はまだ昭和天皇の喪中であったため“祝い事は簡潔”にという方針でした。なので職員への“お礼”を省いたのでしょう。さすがに忘れていたとか、もともと感謝する気がなかったとかではないと思いますよ(笑)。小林侍従は、日記には書けないような他にもっと大きな不満を抱えていたので、このちょっとした不自然さに感情を露にされたのでしょう」(小内誠一)

眞子さま「国民が結婚を祝福してくれて嬉しい♬」“奇蹟の勘違い”が物議 紀子さま泡吹かれる