愛子天皇を願った「女性皇族の手記」 喜久子さまの言葉に耳を傾ける



文/宮本タケロウ

愛子さまか、悠仁さまか

今月6日は、悠仁親王さま14歳の誕生日でした。宮内庁から発表された父殿下との仲睦まじい近影が公開され、心癒された人も多いと思います。同日の宮内記者クラブのレクでは「悠仁親王殿下は父・秋篠宮殿下と同じく自然観察への関心を深められている。また芸術活動にもご興味を示され、新型コロナ下での支援事業などに関心を持たれている」と加地隆治皇嗣職大夫とコメントしていました。

「中二病」という言葉があるように、悠仁さまは思春期の真っただ中で多感な年ごろの真っただ中です。そんな中にあって健やかに成長されているお姿を拝見することは、自然と「将来の天皇」への期待が高まるというものです。

ですが現行の皇室典範に従えば「次世代の皇室は悠仁さまお独りだけ」になる可能性が高く、皇統断絶の危機に瀕していることは事実です。そのため政府は女性天皇・女系天皇・女性宮家・旧宮家復帰など「皇位継承者の安定的確保」を目指して議論を重ねる予定です。この中で最も国民から支持されていて、また効果抜群なのは女性天皇なことは間違いありません。

しかし女性天皇を認めるからには「天皇の長子である愛子さまが次の天皇になるべきではないか?」という意見はもちろん出てきます。政府も愛子さまか悠仁さまかという議論にならぬよう、悠仁さままでの皇位継承順位を固定化したうえで議論する見込み用です。

国民の8割が愛子天皇を容認している中、その可能性を最初から封じる議論には反対の人も多いでしょう。ですが現在決定まっている皇位継承順位を維持することは尊法概念上、自然なことです。今回はこのような背景を踏まえたうえで、愛子天皇を容認した喜久子さまのお言葉を振り返ってみたいと思います。

眞子さま“雌叫び”が皇居に響く「雅子さまいい加減にして!母が結婚を…」 美智子さまの入れ知恵か

19年前の愛子さまご誕生

今から19年前の2001年12月、愛子内親王さまがお生まれになりました。

結婚後8年待った待望の皇孫が誕生したことにより、日本中が喜びに心躍った瞬間だったことは本サイトの読者でしたら、覚えていらっしゃることでしょう。

この時に、雑誌『婦人公論』(中央公論新社)に手記を掲載された皇族の長老がいらっしゃいました。

当サイト読者の方はご存知のことと思いますが、言わずと知れた、昭和天皇弟・高松宮宣仁親王の妃にして最後の将軍・徳川慶喜公の孫、喜久子殿下です。

(高松宮妃喜久子殿下)

1911年生まれの喜久子さまは当時、皇族の最長老。1959年の美智子さま輿入りの際は香淳皇后とともに「よりによって平民など!」と反対したと伝えられますが、時代や価値観の変化と共に1993年の雅子さま輿入りの頃には、大賛成で祝福されました。

『婦人公論』(中央公論新社)に掲載された喜久子さまの手記に、女性天皇に賛成する一文があったことはよく知られています。

しかし、女性天皇に賛成ではあっても、喜久子さまがどのような想いで女性天皇に賛成していたのかはあまり知られていません。

今回は、この喜久子さまの手記を詳しく紹介し、喜久子さまの真意に迫りたいと思います。

(喜久子さま手記)

高松宮妃喜久子さま手記

「めでたさを何にたとへむ」と題された妃殿下の手記にはこのような文章がありました。

女性の皇族が第百二十七代の天皇さまとして御即位遊ばす場合のあり得ること、それを考えておくのは、長い日本の歴史に鑑みて決して不自然なことではないと存じます。

めでたさを何にたとへむ(高松宮妃手記)『婦人公論』、中央公論社、2002年1月22日、134-135頁

一読で分かると思いますが、女性天皇の賛成論です。

皇位継承の議論においてはこの手記がしばし引用され、「愛子さまの天皇即位に皇族(喜久子さま)が賛成していた証拠」として言われることが多いです。

しかし、もう少し読み進めてみましょう。

実は喜久子さまは同時にこのようにも述べていらっしゃいました。

雅子さまは大変な子供好きと承っておりますし、体は御立派、まだまだお若いのですから、近く卒寿を迎える私の望みにも、きっと再びお応え下さるだろうと思います。好もしい出産の順序として、俗に「一姫二太郎」とも申します。

前掲書

「私の望み」とは言うまでもなく、第二子・第三子の誕生です。この望みに「お答え下さるだろう」と述べ、そして、「一姫二太郎」という言葉で男の子の誕生を期待しています。

第二子(男の子)を希望しつつ、愛子さまが天皇に?

妃殿下のご意見はこうです。

  • 愛子さまが天皇になっても不自然ではない
  • 弟の誕生を期待する

この一見二律背反するような二つの主張は何なのでしょうか。

私がいくら論評しても、喜久子さまの真意に迫ることはできないと思いますので、真意をしっかりと把握するために、問題の箇所を著作権の範囲内で全文引用したいと思います。

喜久子さま手記を公開する

喜久子さまは喜びを表現する和歌を三首詠んだ後、このように述べました。

 実のところ此の大大伯母(喜久子さまのこと、筆者注)は、元気なうちにあと二遍でも三遍でも喜びの歌を詠んで差し上げたいと思っているのです。雅子さまは大変な子供好きと承っておりますし、体は御立派、まだまだお若いのですから、近く卒寿を迎える私の望みにも、きっと再びお応え下さるだろうと思います。好もしい出産の順序として、俗に「一姫二太郎」とも申します。

 もっとも、「二太郎」への期待が雅子妃殿下に過度の心理的負担をお掛けするようなことがあってはなりません。そこはこうのとりの御機嫌にまかせて、お忙しい御公務のかたわら、皇太子さまと愛子内親王さまとお三方、仲むつまじくのびやかにお暮し遊ばすよう、願ってやみません。

 ただ、それにつけても、法律関係の責任者の間で慎重に検討して戴かなくてはならないのは、皇室典範の最初の條項を今後どうするかでしょう。女性の皇族が第百二十七代の天皇さまとして御即位遊ばす場合のあり得ること、それを考えておくのは、長い日本の歴史に鑑みて決して不自然なことではないと存じます。古代の推古天皇、持統天皇から江戸時代中期の後桜町天皇まで、幾人もの女帝がいらっしゃいました。外国でながら、英国のエリザベス朝、ヴィクトリア朝のように、女王のもとで国が富み栄えた例もたくさんございます。

 嬉しさに心昴るあまり、あれやこれや取りとめのない感想になりましたが、求められるままそれを記して、私よりの御祝いの言葉と致します。

                                      (平成十三年十二月十一日記)

めでたさを何にたとへむ(高松宮妃手記)

いかがでしょうか。「あれやこれや取りとめのない感想」と仰る通り、

  • 愛子さまが天皇になっても不自然ではない
  • 第二子(弟)の誕生を期待する

と矛盾することが並列されていますが、スマートにナイーブに(純朴に)読むとこのように解釈できるでしょう。

「弟が生まれれば万事解決だが、期待しすぎてご負担をかけてはいけない。仮に弟が生まれなくても、愛子さまが天皇になられれば良いのだから、問題ない」

と。

つまり、喜久子さまは「『女性天皇』は賛成だったけれども、弟が生まれればその弟が優先であろう」と考えていたということになりますね。

つまり、少なくとも喜久子さまのお考えは「直系長子継承」ではなかったということになるでしょう。

悠仁さまご誕生に喜久子さまは何とお述べになっただろう

残念ながら、喜久子さまが望まれた愛子さまの弟はお生まれになりませんでしたが、それから4年後、待望の男の皇孫、悠仁さまがお生まれになりました。

喜久子さまは悠仁さま誕生の2年前にお亡くなりになりましたが、仮に御存命であらせられたら、悠仁さまご誕生に際し、どのようなお言葉をお述べになったことでしょう。

喜久子さまは徳川幕府最後の将軍(徳川慶喜)の孫でした。2600年以上続く皇室を幕府のように無くさないために、知恵を絞ることが必要でしょう。

眞子さま“雌叫び”が皇居に響く「雅子さまいい加減にして!母が結婚を…」 美智子さまの入れ知恵か

小室圭さん、皇族の肩書でビジネス?「紀子さま弟も“皇嗣妃実弟”の名刺を…」と宮内庁