異彩放つ秋篠宮さま 「趣味」を「公務」に落とし込む“華麗なる機転”



文/伊藤友香子

全国戦没者追悼式とコロナ禍

天皇皇后両陛下は15日、千代田区の日本武道館で開かれた「全国戦没者追悼式」にご臨席された。新型コロナウイルスの第二波が懸念される中、出席者を通例の6000人から550人にまで絞り、国歌斉唱なども取りやめとなり、参列者のみならず天皇陛下と雅子さまもマスク姿で臨まれた。

正午の黙祷の後、天皇陛下はコロナ禍について「新たな苦難に直面していますが、私たち皆が手を共に携えて、この困難な状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います」と触れながら、先の大戦の悲劇について「戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」と述べた。

戦没者慰霊は皇室から切っても切り離せないものである。今回の挙行は、相次いで皇室行事が延期・中止となる中にありひときわ存在感を放った。ほかの皇族方も同時刻、戦没者に黙祷を捧げられたという。

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皇族方の公務外活動

外出自粛が求められる中、皇族方の公務はほぼ白紙状態となっている。そんな空いた時間を使って佳子さまはダンスに勤しまれ、眞子さまは小室圭さんと連日電話をしているという。また上皇陛下はハゼの研究を再開するため、皇居の生物学研究所に今でも週に一回のペースで通われている。

公務の傍らで私的なご研究やご活動を続ける皇族方の精力には驚かされるものがある。特に、近代で最も活発にご研究に熱意を燃やされたのは昭和天皇であることをご存知だろうか。

「生物学者として数々の著書も遺す昭和天皇は、幼少期から弟宮の雍仁親王(やすひとしんのう)と毎日の昆虫採集を日課にしていたそうです。1914年(大正3年)5月4日に、東宮御所内に「東宮御学問所」ができると、「倫理」「漢文」「国語」に加え「生物」などの英才教育が始まりました。生物学の担当は理学博士の服部広太郎という人物で、昭和天皇は「先生」と呼び、全幅の信頼を置いていたといいます」(皇室ジャーナリストの佐藤公子氏)

その昭和天皇が新種として発見したクシクラゲの一種「コトクラゲ」が7月30日、1941年から79年ぶりに、神奈川県藤沢市江ノ島の沖合で採集された事が話題となっている。

学名に「ライロクテイス インペラトリス(皇帝)」と、皇帝の名を冠するクラゲの存在には、ロマンを感じずにはいられない。これが報じられたことで、改めて皇室の生物学研究に関心を持った人も少なくないのではないだろうか?

「生物学といえば昭和天皇、上皇陛下が、海洋生物のご研究をされていたことがよく知られています。また、上皇陛下の弟宮である常陸宮さまも、学習院大学理学部をご卒業後、東大理学部で細胞分裂の生物学をご研究され、がん研究に国際的な貢献をされていらっしゃいます。

こういったご研究は皇族の“私的ご活動”の範囲となり、研究費用に関しては私費である内廷費や皇族費で賄われています」(佐藤公子氏)

特に、昭和天皇は学問に対して謙虚な姿勢を貫かれ、①一般人と競合しない分野であること②公務に差し支えないこと、を重視されていたという。

何度か持ちかけられた学位の話も“私の研究は趣味ですから”と固辞され、ご研究範囲も御用邸のある那須や葉山に限られていたというから、公私を明確に区別されていたことがうかがえる。

異色な経歴を持つ秋篠宮殿下

さて、歴代天皇の功績が光る皇室において、異質さが目立つのが秋篠宮殿下のご研究とそのご経歴だ。まず殿下のご経歴は以下の通り。

  • 昭和63年 学習院大学法学部政治学科ご卒業
  • 昭和63年~平成2年 英国オックスフォード大学大学院動物学科にてご修学
  • 平成8年 理学博士(国立総合研究大学院大学)

学習院大学法学部に学び、文系の道を歩まれていたはずの秋篠宮殿下だが、大学ご卒業と同時に留学、理系分野への転身を遂げられているのだ。

この転向について、上皇后美智子さまは昭和62年10月15日の会見でこう述べられている。

礼宮は、大学の政治学科で勉強しておりますが、これと並行して御所で生物学や動物学、博物館学など自然科学10科目ほどをそれぞれ専門の教授の下でこの3年間学び続けてきました。

『新天皇家の自画像 記者会見全記録』薗部英一、1989

つまり、大学での専門分野の他に、わざわざ全く別分野の家庭教師をおつけになり、そちらの方面で理学博士までたどり着いたということだ。

ちなみに、このときはまだ宮家当主として独立する前の事で、大学の学費も私的な家庭教師の費用も、内廷費が充てられていたと考えられる。内廷費は定額制であり、ここからご一家の生活費や研究費、恩賜金なども捻出される。当時の天皇家にとっては小さくない負担だったに違いない。

どういった経緯で秋篠宮さまが政治学から生物学への転身を決められたか詳細はわかりかねるが、殿下ご自身が“母は何でも好きなことをやらせてくれた”とインタビューに答えられたこともあるから、ある意味、美智子さまが殿下のワガママを受け入れる形だったのかもしれない。

動物園訪問も仕事のうち

その後、総合研究大学院大学から理学博士を授与された際には、当時『週刊文春』などが挙って疑問を呈した記事を掲載している。

「秋篠宮さまを指導してきた五條堀教授といえば進化遺伝学のボス的存在。さらに、秋篠宮さまの過去三本の論文には、アメリカのシティ・オブ・ホープ研究所の大野乾先生が共同研究者として加わっている。

大野先生は米国科学アカデミーの会員でノーベル賞候補とも言われる世界的権威。

無名の学者ではそんな先生と共同研究なんてなかなかできません。実際、秋篠宮さまがどこまでご自分で研究されたのか疑問です」

『週刊文春』1996年10月17日号

今では、“皇室随一の生物学者”であるかのように語られる存在となった秋篠宮殿下。動植物に関連する多くの団体の名誉総裁を兼任され、平成時代には秋篠宮家が皇族一多忙だという報道が数多くなされていた。

元宮内庁職員の小内誠一氏はこう話す。

「かつて殿下は“動物園に行くというのは、私は、ある意味では仕事みたいなもの”(『秋篠宮さま』江森敬治)とおっしゃったこともあるそうです。

趣味から始めたものを、内廷費と皇室の威光で博士まで取得し、公務へと落とし込んでしまった稀有な皇族といえるかもしれません。

昭和帝は私的ご研究を“公務に差し支えない範囲で”と慎み深くいらっしゃいましたが、これを逆手に取って、水族館訪問や動物園訪問までも“ご公務”にしてしまった殿下は、ご自身がおっしゃるように素晴らしく要領の良いお方だと思います。

今後はその機転を存分に発揮され、天皇陛下と雅子さまをお支えする皇嗣というお立場に注力されることを祈ります」(小内誠一氏)

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