秋篠宮殿下「側室が欲しい」の放言に、紀子さま“怒髪天”「私だって!」 側近ら冷や汗



文/宮本タケロウ

橋本琴絵の電波ツイート

先日9月6日の悠仁さま誕生日にあわせて、希望の党公認で選挙に出馬した経験のある橋本琴絵氏のツイートが話題になりました。

要約すると、

「悠仁さまが成人する18歳に全国から若くて健康な女性を公募して大勢の女性と坊やで性行為をさせる。多くの子どもを出産させる。そうすれば皇室は安定する」(皇室ブロガー・ヘカテー氏による要約を引用)

ということで、つまり女性は男子を産む道具というわけです。

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真剣に論評するまでもないかと思いますが、そもそも現在の皇室典範では側室の子どもは皇族として認められていません。

嫡出の皇子と嫡男系嫡出の皇孫は,男を親王,女を内親王とし,三世以下の嫡男系嫡出の子孫は,男を王,女を女王とする。

(皇室典範第6条)

正妻の子である嫡出だけが皇族と定められているので、側室制度を導入するには皇室典範を改正する必要があります。

おそらく国民も国会議員も誰も賛成しないであろう「側室制度」ですが、歴代天皇の約半数は側室から産まれているのも事実で、ご存じの方も多いでしょうが、明治天皇(生母・中山慶子)も大正天皇(生母・柳原愛子)も側室の子供でした。

明治天皇の后であった昭憲皇太后には子どもがおらず、5人の側室との間に15人の子どもが産まれたが、成人したのは5人のみで、しかも5人中男の子は大正天皇ただ一人。大正天皇は成人するまで自分の母は昭憲皇太后と思っており、自分の本当の母が柳原愛子(二位の局)と知って強いショックを受けたということは広く知られています。

側室制度を廃したのは実は明治天皇

明治時代まで存在した側室制度は、大正天皇が側室を取らなかったことと、昭和天皇が正式に女官制度を改革したことで廃止されたと一般には言われます。

が、実は「側室制度の廃止」は大正・昭和に先行して、明治天皇の思し召しでもあったことはあまり知られていません。

前述のように、明治天皇には男子が「大正天皇たった一人」しかいませんでした。

これを心配した重臣たちが明治天皇に「皇室の繁栄のために新しく側室をとってはいかがでしょうか」と強く勧めたことがあったのです。

『明治天皇紀』にはこうあります。

侍従長侯爵徳大寺実則、御側女官を召し出されんことを情願す、天皇、皇男子に乏し、国民窮かに之を歎き、是れ皇室の繁栄を増進し、国家興隆の基礎を致す所以にあらずとなす…

伯爵山縣有朋・伯爵松方正義等有志の臣僚 再三之を実則に謀り、速やかに御側女官を召し出し、皇男子を得て、将来陸海軍に従事し、三軍統率の任にあてさせられんことを僥倖し、実則をして情願せしめんとす

『明治天皇紀』

このように、山縣有朋や徳大寺実則など、多くの重臣らから「側室をとってください」と再三にわたって情願されていた明治天皇ですが、どのような判断を下したのでしょうか。

『明治天皇紀』は明治天皇の態度をこう述べます。

天皇遂に 聴きしたまはず

同上

「側室はとらない」

そう決断したこの時、明治天皇はまだ44歳でした。

まだ40代の若さで子作りをしようと思えばできた明治天皇が側室をとることを拒否した理由は、近代化=西洋化を進める当時の日本にとって、キリスト教的な価値観の強い欧米先進国に見習い、一夫多妻的な「妾(めかけ)」の制度を廃止することが国家的な課題となっていたことがあげられます。

側室は欧米的にはただの「多重婚」

近代日本の皇室と側室の廃止について、華族社会と妾/側室を家族社会学的な見地から研究した森岡清美の『華族社会の「家」戦略』にはこうあります。

皇庶子に与えられる皇嫡子に次ぐ待遇、とりわけ庶男子にも嫡男子に次いで皇位継承権を持ち、皇后の実子と定められることによって皇太子となりうる日本の制度は、(中略)私生児公認の制度がないヨーロッパ諸国の外交使節にとって、甚だ理解しがたいものであった。

森岡清美『華族社会の「家」戦略』吉川弘文館、2001年、384頁

このように西洋諸国にとっては、愛人を公然と認め、庶子/私生児にも家を継ぐ権利を与える日本の風習は単なる多重婚/一夫多妻制にしか見えないものであり、野蛮なものだったのでした。

これにより、皇室だけでなく国家レベルで「妾/側室」を廃していく形で法整備がなされていきます。

1870年(明治3年)12月に制定された『新律綱領』(布告第九四四)では妻と妾を同等の二等親と定められた。妻と妾が同等の権利をもった、ということではないが、「妾」の存在が公認された。

1880年(明治13年)7月、刑法(太政官第三六号布告)(明治15年1月施行)で「妾」に関する条項は消えた。しかし、内務省は「刑法の改定は戸籍上に関係無之(関係これなし)」という指令を発し。刑法施行前に入籍した妾は「総テ従前ノ通取扱(すべて以前の通り取り扱う)」とされた。

1898年(明治31年)、戸籍法によって戸籍面から妾の字消える

「妾」wikipediaより

このように、明治維新後3年目の1870年には公認されていた「妾」ですが、その後法整備が進み、刑法(当時は民法が未整備)で「妾」の条項が消え、1898年に制定される戸籍法でついに「妾」が戸籍に記載されなくなるのです(むしろ、それ以前は戸籍に「妾」が表記されていたのは驚きますね)。

これで、正妻以外に夫と関係を持つ女性は単なる「愛人」となったのでした。

明治天皇の「側室はとらない」とする決断は、このように「妾/側室」の廃止に進む世相と、また一夫一婦制を模範とする西欧社会に倣って、近代日本の国民の範となろうとしたことが背景にあると言えるでしょう。

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明治時代から続く日本の欧米信仰

さて、近代日本皇室は西洋の王室を見習って、側室制度を廃止したわけですが、翻って現在の皇室を見てみると、皇位継承の議論において「西欧の“先進的な”王室は直系長子!」など、ヨーロッパ王室を範として議論を進めようとする意見も多くあります。

明治時代から現代まで、日本では「欧米では…欧米では…」「ヨーロッパの王室では…」と、ずっと“オウベイデワ論法”を続けていることになります。(個人的には「何もかも倣う必要はない」と思います)

しかしながら、ふと考えると、明治時代に西洋社会から野蛮な風習と思われた「側室」や「私生児」ですが、むしろ、「多重婚/ポリアモリー」や「婚外子」に関しては西洋社会は19世紀よりもむしろリベラルになったと言えるでしょう。

むしろ先進的な欧米の感覚から考えれば「正妻の子でないから父親の跡を継ぐ権利がない」というほうが古く遅れた価値観と言えます。

実際に日本でも、2013年には最高裁「婚外子相続差別は法の下の平等を定めた憲法に違反し無効」とする判決が裁判官14人の全員一致で出されています。

秋篠宮殿下の側室発言

考えてみれば、つい30年ほど前までは「同性婚」を認める国は世界に一つもありませんでしたが、2001年にオランダで同性婚が認められるようになって20年経った今日では、むしろ「先進国なら同性婚を認めるべきだ!だから日本も!」という価値観が浸透しています。

もしかしたら、これから30年後には

ポリアモリー/多重婚も認めるべきだ!欧米では認めている!それが先進国だ!

というふうに言われるようになるかもしれません。

事実、ジャーナリスト・伊藤詩織さんもポリアモリーについて受容的な意見を表明しています。

いまから30年後、その時には悠仁さまは44歳…明治天皇が欧米的な価値観を目指して側室を拒否した年齢に達します。

また当事者の言葉として、次のようなエピソードを皇室ジャーナリストの佐藤公子さんから教えてもらいました。

「秋篠宮殿下がタイで夜遊びされていたとき、側近たちに『側室が欲しいな。ヒッピーな社会情勢にあわせるならオシャレなトレンドは一対一じゃなくて、そういう自由な関係だろ?』と冗談をよく言っていたそうです。それが紀子さまの耳に伝わって『私だって!』と喧嘩されたこともあり、側近たちは冷や汗ものだったそうです。側室制度復活となれば秋篠宮殿下が喜ぶかもしれませんね」(佐藤公子さん)

社会の価値観が変わると、国家の制度も変わります。確かに伝統に乗っ取れば、皇位継承者の安定的確保のために「側室制度」を復古するのが一番容易です。

はたして30年後の日本人が「側室」を是とするのかどうか、注目していきたいですね。

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