陛下、雅子さま、靖国神社にご参拝なさいませ



文/宮本タケロウ

天皇と終戦記念日と靖国神社

令和2年目の終戦記念日が間近に迫ってまいりました。

コロナ禍での終戦記念日ですが、日本武道館で行われる戦没者追悼式には両陛下のご臨席を賜れるとのことで、両陛下にとっても久しぶりの外出公務となります。
飛沫感染を防ぐ為に、国歌の斉唱はなし(曲を流すのみ)、マスク着用とのことですが、日本国の象徴として戦没者の慰霊をされる両陛下のお姿が見られるのはありがたい限りです。

(両陛下、2019年8月15日、日本武道館)

さて、毎年この季節になると、インターネット上や各論壇でかまびすしい議論となるのは、天皇陛下の靖国神社ご親拝ではないでしょうか。

1975年に昭和天皇が親拝されたのを最後に、天皇の靖国神社参拝が途絶えてから44年が経ちました。
なぜ、昭和天皇は靖国神社への参拝を辞めたのか。

それは、1978年の「A級戦犯合祀」であるいう説が有力視されています。

宮内庁長官・富田朝彦の「富田メモ」と昭和天皇に20年仕えた侍従・卜部亮吾の「卜部亮吾侍従日記」にはこのように書かれています。

私は或る時に、A級が合祀され
その上 松岡、白取までもが
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか
易々と
松平は平和に強い考えがあったと思うのに
親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない
それが私の心だ

(富田メモ)

靖国神社の御参拝をお取り止めになった経緯

直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず(2001年7月31日)

(卜部亮吾侍従日記)

一部には「冨田メモは冨田宮内庁長官の感情を書いただけだ」「“冨田メモ”も“卜部亮吾日記”もいずれにせよ天皇の“私的意見”であって、“大御心”ではない。“大御心”は靖国神社支持である」などと言われますが、側近による書面での記録が2つも存在し、双方ともに同じ内容であることから、“冨田メモ”や“卜部亮吾日記”という一次資料の史料価値を論駁するのは極めて困難だと思います。

また、私的な意見であっても大御心であっても、昭和天皇が参拝をやめた直接の動機が“A級戦犯合祀”であったことには変わりません。

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「A級戦犯か天皇か」そして「靖国神社かA級戦犯か」

このことは、昭和天皇の側から見れば、「追悼施設としての靖国神社」と「A級戦犯合祀という政治性」を天秤にかけて、「追悼施設としての靖国神社」を捨てたという判断に至ったと言えます。

一方、靖国神社の側から見れば、「昭和天皇のご親拝」と「A級戦犯の合祀」を天秤にかけて「A級戦犯の合祀」を選んだということになるでしょう。

このように、昭和天皇も靖国神社も、双方ともに「A級戦犯」をマターにしながらお互いを取捨選択したかたちになります。

が、恐れながら、私は、A級戦犯合祀を理由にした親拝を止めた昭和天皇のお考えには全く賛同できません。
なぜなら、昭和天皇自身もA級戦犯として訴追される可能性があったからです。
よく誤解されていることですが、昭和天皇は軍部の操り人形ではありませんでした。

(大元帥・昭和天皇)

政府が決めたことに判を押すだけの存在ではなかったのは多くの昭和史研究からも明らかです。

「かかる危機に際して盧溝橋事件が起こったのである。これは支那の方から仕掛けたとは思わぬ。つまらぬ争いから起こったと思う。その中に事件は上海に飛火した。近衛は不拡大方針を主張していたが、私は上海に飛火した以上、拡大防止は困難と思った。当時、上海の我陸軍兵力は甚だ手薄であった。ソ連を怖れて兵力を上海に割くことを嫌っていたのだ」。

(『昭和天皇独白録』1937年8月18日宮中大本営作戦会議の回想)

御上:作戦構想についてはよく分かった。南方をやって居るとき北方から重圧があったらどうするか。 
総長:北方に事が起これば支那より兵力を転用することなども致しまして、中途でやめる様なことはいけません。 
御上:それで安心した。

(増田都子、前掲書、『木戸幸一日記』から引用)

このように大元帥として戦争を指導していた昭和天皇が戦犯指定されなかったのは、単にマッカーサーが占領政策に天皇の利用価値が高いと判断したからでしかありません。

また、敗戦まで日本の植民地であった韓国で近年このような発言があったことは記憶に新しいかと思います。

「一言でいいのだ。(中略)私としては間もなく退位される天皇が望ましいと思う。その方は戦争犯罪の主犯の息子ではないか。そのような方が一度おばあさんの手を握り、本当に申し訳なかったと一言いえば、すっかり解消されるだろう」

(ブルームバーグインタビュー:ムン・ヒサン韓国国会議長発言、2019年2月12日)

韓国人にとっては、戦犯として訴追されようがされまいが、昭和天皇が戦争を率いた事実は変わらないということになります。

確かに、昭和天皇は戦犯として訴追されなかっただけで、戦争の「責任」はありますし、事実として戦争指導者でした。
ということを考えると、「A級戦犯」という単なる政治的フレームを論拠に「靖国神社参拝を辞める」というのは、自分の身代わりに処刑されたかつての部下たちに非常に失礼であると言えるでしょう。

名誉を回復したA級戦犯たち

また、A級戦犯と言えば、「靖国合祀」ばかりが注目されますが、靖国に祀られるA級戦犯は死刑か起訴後に死亡した14人だけで、有罪のA級戦犯自体は合計25人います。
死んだ14人は靖国神社に合祀されたがために、死後も批判の対象となっていますが、有罪だけど死刑にはならなかった11人は比較的に幸福な戦後を生きました。
例えば外務大臣・重光葵です。
重光葵は出所後、外務大臣となり、国連加盟交渉に尽力。1956年に国連に加盟した時は、なんと国連(連合国)で演説も行っています。

「A級戦犯」が国連で演説したわけですが、それにソ連も中国もアメリカも韓国も、誰も文句を言いませんでしたし、日本国内からも反対はありませんでした。


また、国連加盟の1年前、中国の周恩来が率いた1955年のバンドン会議開催に日本は使節団を派遣しますが、この時の外務大臣も重光葵でした。
現在、中国はA級戦犯が祀られている靖国神社を苛烈に批判していますが、当時の周恩来が、日本を「元A級戦犯を外相に据える!」などとを問題視したという記録を私は知りません。
批判しないどころか、A級戦犯が派遣した日本政府代表と、当時国交のなかった日中間の関係改善の会談まで行ったというのが歴史の真実です。

A級戦犯を国務大臣に認証した昭和天皇

また、戦時中に内大臣で、昭和天皇の信任が厚かった木戸幸一も東京裁判で死刑判決は受けなかったものの、終身禁固刑でA級戦犯で有罪となりました。

にも関わらず、昭和天皇は、1969年に木戸が傘寿を迎えた際には賜杖の下賜まで行っているのです。

A級戦犯となった後も昭和天皇の信任が厚った木戸幸一ですが、実は東京裁判における木戸への判決はなんと、判事11人中5人が死刑賛成、といったわずか1票差で死刑を免れたという結果でした。

歴史にIfはありませんが、仮にあと一人が木戸の死刑に賛成していたら、木戸幸一も靖国神社に合祀されるA級戦犯となっていたことは確実です。

さらに、戦時中に大蔵大臣だった賀屋興宣もA級戦犯として終身刑になりました。死刑にならなかったA級戦犯・賀屋興宣ですが、出所後の1963年から64年まではなんと池田勇人内閣の法務大臣を務めました。

この際は勿論、A級戦犯・賀屋興宣は昭和天皇から国務大臣として認証を受けています

また、賀屋興宣が閣僚を務めた1963年から64年は、1965年に日韓基本条約が結ばれるための事前交渉が日韓の間で行われましたが、現在、苛烈に靖国神社を批判する韓国がこの間に「A級戦犯が閣僚を務めている国とは交渉できない!」などとは言いませんでした。

A級戦犯は昭和天皇の身代わりになった

いかがでしょうか?
「A級戦犯」という政治的用語にこだわるのが、いかにバカバカしいかお分かりかと思います。

死刑となったA級戦犯たちは、命をもって罪を償ったのに、その一方で死刑とならなかったA級戦犯は名誉を回復するというのは非常に奇妙であり、死んでいったA級戦犯はまぎれもなく「死に損」ではないでしょうか。

もちろん昭和天皇ご自身はまぎれもない戦争の当事者であり、かつての部下でもあるA級戦犯個人に対して、様々な感情をお持ちなのは仕方ありません。その点では靖国親拝中止は仕方がなかったかもしれません。
「あいつのせいで戦争が長引いた」とか「あいつがあの時ああしたから戦争になった」と、当事者として、様々な感情はお持ちでしょう。
しかしながら、だからといってA級戦犯が昭和天皇の身代わりになって死んでいったという事実は変わりません。

自分のために刑死したかつての部下が祀られていることを理由に靖国神社に参拝しないという昭和天皇のご決断は、批判されてしかるべきものではないかと思います。

陛下、靖国神社にご参拝なさいませ

昭和が歴史となりゆき、平成も終わり、令和が始まりました。
令和の御代の天皇陛下には、昭和天皇のような「A級戦犯」に対する個人的なわだかまりはありません。
であるなら、「A級戦犯」という政治的フレームにこだわらず、むしろ「戦犯」という汚名を甘んじて受けた上、死んで昭和天皇をお守りした、そのような意味で英霊なのだとお思いになっていただき、靖国神社に親拝していただきたい。
それが、まぎれもない戦争当事者であった昭和天皇の皇孫としての義務ではないかと、私は思います。

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