美智子さまの“自愛”が「雅子さまバッシング」を呼んだ 宮内庁が黙認した驚きの理由が明らかに



文/佐藤公子

平成と令和の違い

本日9月11日は紀子さまのお誕生日だ。これに合わせて発表された文章では眞子さまの結婚について「長女の気持ちをできる限り尊重したい」と述べており、結婚を容認したかたちとなった。「国民からの祝福」が得られない状況で結婚行事が挙行される可能性が高まった。

一方、平成から令和に移り、国民の「皇室への尊崇」は増すばかりだ。2019年4月の朝日新聞による世論調査によれば「皇室に親しみを持っている」は過去最高の76%に上ったという。また同年同月の共同通信による世論調査では「天皇陛下に好印象を持つ」が過去最高の85%に上っている。

即位から1年しか経っていないが、天皇陛下と雅子さまの優しい笑顔、愛子さまを交えた素晴らしい家族愛は国民の心をとらえて離さない。もっとも令和皇室は、平成時代のように派手な露出やファッションショーをなさらない。それでも国民から高い支持を受ける理由は何か?

「コロナ禍にあっても天皇陛下はメッセージを出されず、これには少なからず疑義があったように記憶しています。平成皇室だったならば、何かしらビデオで国民に語り掛けていたでしょう。

ですが共同通信の大木賢一さんが『平成の時代は、パフォーマンスじみたメディアへの露出が多すぎたと私は思っています。考えてみれば、ビデオで国民に語り掛けるのは、国民とは真逆の方向を向いて、国民に相対しているわけです。現在の陛下は、それとは違う道を歩んでいる、パフォーマンスは必要ない、国民に向かって何かを諭すようなことはしない。思慮深く遠慮深い令和の陛下にふさわしい新しい姿はすでに始まっている。私の思考は今、そんなふうにまとまりつつあります』と述べたように(現代ビジネス2020年9月9日)、平成皇室が異例なだけです。天皇陛下は象徴として真摯に心から国民に向き合われています。それが国民に届いている結果だと思います」(皇室ジャーナリスト)

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だが天皇皇后両陛下の道のりは必ずしも平たんではなかった。

皇室報道は時として苛烈を極める。その中でも最も酷かったものは、間違いなく平成時代の「雅子さまバッシング」だろう。週刊誌や月刊誌、ニュース、ワイドショーすべてが、適応障害で公務にでられない雅子さまを「さぼり」と決めつけ辛辣になじった。このとき宮内庁は何ら反論することなく静観を貫いた。どうしてだろうか?

今回はその一例を考察していきたい。経済誌『経営塾』(1996年7月号)のコラム「架空・身の上相談室」に、「東京都 皇太子妃三十二歳」(すなわち雅子さま)が次のような相談を寄せたという体裁の記事が掲載され、問題となった。

私は極東の国の皇太子妃です。……残念ながらこれまで子宝に恵まれていません。そのため、国民の興味は、いつ私が妊娠するかだけに集中しています。外に出ても、誰もが、なぜ妊娠しないのかとの目で見るのです。

『経営塾』(1996年7月号)

この問いに対する回答は「自分だけで悩むな。早く専門家かワシに教えを乞え」と題され「ワシは男女産み分けの権威と言われるS先生をよく知っているが、その先生に言わせれば、下手くそなセックスやいい加減なセックスをすると、女の子が生まれやすいという」などなど放言したい放題。

しかも最後には「それでもいやだというなら、ワシが直接教えてやってもいい。その手の知識は玄人はだしだ。きっとお主の役に立つと思うぞ」と締めくくられている。

宮内庁は静観した

1996年といえば今ほどジェンダー意識が醸成されていなかった時代とは言え、さすがに「やりすぎ」であることは明白だ。案の定、右翼団体などから猛烈な抗議を受け、出版元の社長・針木康雄(1931-2012)は、平身低頭の謝罪に徹して全国紙(読売新聞 1996年9月16日)に謝罪文を掲載、『経営塾』も『月刊BOSS』に名を変え事実上の廃刊となった(月刊BOSSも2019年廃刊)。

しかしこの騒動に宮内庁は、内内の宮内記者会においては「良識を疑うような内容で遺憾」などと苦言を呈しておきながら、対外的には無言を貫き、出版元に抗議などは一切しなかった。なぜか? 当時、宮内庁に務めていた小内誠一さんは次のように語る。

「宮内庁が出版元に抗議しなかった理由には次の四つがあると考えられます。第一に、東宮家側から『抗議して欲しい』という要望がなければ宮内庁は動きたくてもなかなか動けません。これが一番大きい。当時の東宮家はこういったゴシップが出ても等閑に付す姿勢でした。

第二に、低級ゴシップ記事にいちいち宮内庁が反応しているようでは、皇室の品位をかえって貶めてしまう可能性があります。これも重要な要素です。

第三に、宮内庁が抗議することで、皇室が言論統制しているかのような印象を国民に与えてしまいます。第四に、宮内庁か正式に抗議することは、右翼団体などによる過度な抗議活動を助長してしまう恐れがあります。これも皇室の望むことではありません。

宮内庁内には“抗議する基準”を明文化していますが、よほどのことがない限り、これが運用されることはありません」(小内誠一さん)

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美智子さまバッシングの場合にはすぐに抗議するのに…

ところで美智子さまがバッシングを受けた場合には「倒れられ、声が出なくなった」(1993年)とすぐさま報じられ、御代替わりの後に“雅子さまとの二重権威”を懸念する報道が出ると「血の混じった嘔吐をされた」(2019年12月)とすぐさま報じられた。このような宮内庁の速やかな対応により、批判的報道に抑制がかかり、美智子さまが元気を取り戻されたのは周知のとおりだ。

しかし雅子さまがバッシングされても、宮内庁が抗議することは少ない。もし宮内庁が猛烈な抗議をしていれば、2000年代の「雅子さまバッシング」は起こらなかったのではないだろうか? この理由について先ほどの小内さんに話を伺った。

「美智子さまの場合はご自身で週刊誌を確認され『この記事は正しくないので、抗議して欲しいと』という苦情を明確に伝えられますので、対応が迅速になるのだと思います。平成の前半ころは侍従職内廷係だった牧野名助さんが、毎日毎日、週刊誌を切り抜いて美智子さまに届けていました。こういう体制が平成の天皇家にはあった。

ですがこういう体制は他の皇族方にはないことなので、美智子さまの場合が特別だったと考えていただいて差し支えありません。このために美智子さまの時ばかりすぐに苦情やらストップ指令やらが入るというイメージが出来上がったのでしょう。

また美智子さまは、これくらいのバッシングは雅子さまにとって『良薬』になると思われていたきらいがあります。いわば雅子さまを見捨てることが美智子さまにとっての慈愛ならぬ自愛だったのです。メディア関係者と交流の深い美智子さまの一言があれば、雅子さまバッシングは起こらなかったでしょう」(小内誠一さん)

美智子さまの勁き声は令和になっても宮内庁内外に響いているというのは驚きだ。

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