竹田恒泰『天皇の国史』は「天空世界が本当にあった」と信ずるピュアな本 記紀神話を縄文・弥生時代に当てはめる驚愕



文/小内誠一

竹田恒泰氏の凄い本

SNSで好評だった、竹田恒泰『天皇の国史』(PHP研究所、2020年8月13日発売)の書評を続けていきたい。本書は古代と近現代の分量が多いのが特徴だ。旧宮家である竹田家の次期当主候補である竹田氏にとって、『古事記』『日本書紀』(通称、記紀)に説かれた内容を真正と証明することは、126代の皇統が歴史的事実であること即ち「俺スゴイ」に繋がるため大変熱心だ。

だが近現代の実証主義的な歴史学の立場からすれば『古事記』『日本書紀』の古い箇所は「神話」でしかない。大日本国憲法下の明治時代でさえ「建国神話は歴史的事実だった」というのは建前にすぎず、それをまともに信じている人などほとんどいなかったことが明らかになっている(古川隆久『建国神話の社会史——史実と虚偽の境界』)。

しかし建国神話は神話だと位置づけてしまうと皇統の正統性が揺らぐため、旧宮家に連なる竹田氏にはこれを認めることができない。そこで色々とスコラ学を展開して記紀が創作ではなく事実を反映した書物だと力説する。だが引用される論拠がド素人の作文だったりするため、竹田恒泰氏の学問的素養には驚かされる。たとえば古代天皇が137歳などあまりに長寿すぎることを合理的に説明するため竹田氏は、「古代日本では1年は180日だった」とする貝田禎造氏や宝賀寿男氏らの研究(春秋年説)を引用する。しかし貝田禎造氏も宝賀寿男氏もいわゆるアマチュア愛好家であって、この春秋年説がいわゆる歴史学の専門家によって定説として認められた例を私は知らない(論文検索サイトCiNiiでも調べたが、査読付き論文で取り上げられたことすらない)。

『天皇の国史』の信憑性を著しく損なわしめている原因は、竹田氏が自説に合致する研究ならば、内容を批判的に検討することなく全て「事実」として受け入れていることだ。竹田氏はツイッターで「全時代の最新学説を検証して、学界の最先端の見地を取り込んだ通史として仕上げた」と自信を覗かせているが、いかなる学界のものであるのか説明が必要であろう。

記紀と縄文・弥生時代

戦前の歴史教科書(国史)では記紀神話から記述が始まったが、戦後には実証性を重んじたため縄文時代・弥生時代という時代区分で始まる。歴史であるからには当然だろう。記紀は後8世紀に編纂されたもので、はるか昔の縄文・弥生の失われた記憶など書けるはずもないからだ。しかし竹田氏は記紀が神話的創作物だと認めることができないため、記紀と縄文・弥生を結びつけるという超絶理論を展開する。

先ず、高天原(天空世界)と葦原中国(地上世界)では、当初文化程度が著しく異なっていたことを確認しておきたい。『古事記』では「国生み」の前には伊耶那岐神と伊耶那岐神は金属製の剣を持っている。日本列島が形成される前から高天原には剣があり、高天原と葦原中国の文化の程度の差は歴然としているといえる。つまり、神が金属器を持っているからといって、直ちに地上世界を弥生時代と断定することはできず、葦原中国の状況から判断する必要がある。

竹田恒泰『天皇の国史』PHP研究所

私は驚愕したのだが、竹田恒泰氏は記紀に記された高天原(天空世界)が実在すると真剣に信じていることだ。聖書にある「エデンの園」が実在すると信ずること同水準の理論だ。記紀の高天原が実在すると信ずるほどピュアな精神をお持ちの竹田氏ならば、「エデンの園」も「極楽浄土」も実在すると信じているのだろう。

常識的な批判精神を持った現代人ならば、神代に金属器が現れる理由は「後8世紀の記紀編纂者たちが、自分たちが生きていた時代の常識に基づいて神話を編纂したからだ」となるのだが、「記紀は歴史的事実であり無謬」と考えている竹田氏にはそういった発想が全く欠落している。

ともかく私が言いたいことは、竹田氏の歴史観は、17世紀に「旧約聖書の天地創造は元前4004年10月18日、ノアの箱舟は紀元前2348年」と“発見”したアイルランド大主教ジェームズ・アッシャーのそれと本質的に変わりないということだ。

もう少し批判的な精神をもって「国史」を編纂するべきであることは間違いない。「神武天皇の即位は神話であり史実ではない」と仰った三笠宮崇仁親王の精神をもう少し見習うべきではないだろうか?


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