宮中晩餐会で“無視”された雅子さま 上皇職「美智子さまファーストですので…」の弁明



文/宮本タケロウ

菅総理誕生で、愛子さま待望論は風前の灯火

本日14日午後、辞任を発表していた安倍晋三首相の後継を決める自民党総裁選が行われ、予想通り、新総裁に菅義偉官房長官が選出されました。菅官房長官は安倍政権をそのまま継承していくことを表明しており、皇位継承問題という点からは「愛子さま即位」(女性天皇・女系天皇)は難しい状況になったと言えるでしょう。

とは言いつつも秋篠宮家の人気は凋落の一途。9月11日の紀子さま54歳の誕生日に発表された文書において「長女の気持ちをできる限り尊重」と、眞子さまの結婚を容認する発言をしました。これには秋篠宮派の方々も落胆を隠せません。眞子さまと小室圭さんが、このまま結婚すれば、一層「愛子さま待望論」は高まるでしょう。

平成のあいだ東宮家(現、天皇家)はバッシングの対象でしかなかったのに、令和となり一転。雅子さまの笑顔が公務で見られるようになるとは、だれが予想したでしょうか? 平成時代、美智子さまと雅子さまの仲が今一つだったことは夙に知られる事実です。元宮内庁職員の小内誠一さんも「皇室内で雅子さまは、さぞかし居心地が悪かったろうと思います」と回顧しています。

ですが、事実がいつのまにか独り歩きしてしまった不可思議な事件もあったりします。今回はそんな事件の経緯を見ていきたいと思います。

美智子さま残した「週刊誌スクラップ帳」に、雅子さま唖然「誰がそんなものをお読みだったのでしょうか…」

文春砲…

2014年11月13日、宮内庁ホームページから、『週刊文春』記事にある一件の反論文が発表されました。

反論文は「2003年に国賓で来訪したメキシコ大統領の歓迎宮中晩餐会の際に、雅子さまが上皇陛下から紹介を飛ばされ、雅子さまを無視する形で隣の秋篠宮さまを紹介してしまった」という”元東宮職”の証言を皇室ジャーナリスト友納尚子氏が書いた記事に対して、「事実無根」とするものでした。

宮内庁の反論は「週刊文春編集部と著者の友納尚子氏に訂正を要求する」という強い語調になっています。たしかに、序列やプロトコルを大切にする宮中の外交行事で海外の賓客に皇太子妃(当時)が紹介を飛ばされるということがもし事実ならとんでもない大事件であり、宮内庁の抗議は当然のことと言えるでしょう。

(宮内庁反論文の一部)

反論文では、「念のため秋篠宮殿下に確認したところ」として、以下の秋篠宮さまの発言を「証人」として掲載していました。

念の為(中略)、当時皇太子妃殿下の次に控えておられた秋篠宮殿下に伺ったところ,自分(殿下)は,行事などの際に,何か手順通りに進められなかった場合は,直ちに気が付く方だし,また,再発を防ぐためにもかなりの長きにわたりそれを記憶しているつもりだが,これまで国賓をお迎えした際の陛下の皇族御紹介で何か手順と異なることを陛下がなさったという記憶は全くなく,皇太子妃殿下を飛ばして自分が紹介されたということは決してないと思う。

また,万一にも自分が先に紹介されそうになったら,自分は必ずその場で陛下に申し上げ,皇太子妃殿下の紹介が先になるように取り計らったと思うとの御返事を頂きました。

宮内庁ホームページ(「週刊文春」(平成26年11月13日号)の記事について)

いかがでしょうか。これは、当時雅子さまの隣に立っていた秋篠宮さまの証言であり、これ以上信憑性が高い証言はないことから、友納尚子氏の記事がデタラメだ…ということが明かされたわけですが、しかし、その1年後、目を疑う訂正文が入りました。

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当時、秋篠宮さまはいなかった…?

なんと、宮内庁が反論文で「当時、皇太子妃殿下の次に控えておられた」とした秋篠宮さまは、実際には欠席をしており、愛知県に公務に行っていたというのです!

1年後に出された宮内庁の宮内庁の訂正文は、間違いを認めながらも、どこか苦しいものに。

週刊文春の記事内容をそのままに受け取り,「雅子妃を飛ばして,秋篠宮殿下に移ってしまったのだ」との同誌の記事から,「当時皇太子妃殿下の次に控えておられた」と記載したことにより,実際には当日,秋篠宮殿下は愛知県お成りのため欠席されていましたが,秋篠宮殿下がメキシコ大統領の宮中晩餐におけるお話をされたような印象を与えたことは当庁の不手際でありました。

当時の発表文の中で,「念の為2003年10月にメキシコ大統領を国賓としてお迎えした際の宮中晩餐での御紹介の状況につき,当時皇太子妃殿下の次に控えておられた秋篠宮殿下に伺ったところ」との記載は,「念の為宮中晩餐で,出席されたすべての皇族方を天皇陛下が御紹介する場において,秋篠宮殿下が何か奇異に感じられたことがあったかを伺ったところ」と訂正します

宮内庁ホームページ(「週刊文春(平成26年11月13日号)の記事について」の一部訂正について)

宮内庁は「週刊文春の記事に『雅子さまが飛ばされて秋篠宮殿下が紹介された』と書いてあるから、その通りに『当時、隣にいた秋篠宮さま』と書いてしまった」と言っていますが、いくらなんでも子供の言い訳にしか読めない印象を受けます。

(宮内庁訂正文)

欠席していた秋篠宮さまの証言をあたかも”最強のアリバイ”かのように出してしまった「ぽか」は、逆に「雅子さまが紹介を飛ばされてしまった」という週刊誌報道が正しかった可能性を示唆してしまう結果になってしまいました。

宮内庁の広報担当に取材

本件の経緯について、宮内庁の広報担当に聞きました。

——このような「ぽか」が起きた背景は何でしょうか?

「一番の原因は、記事が出たのが2014年で問題のメキシコ大統領晩餐会が2003年ですので、『11年前のことを誰も覚えていなかった』ということに尽きます。反論文の中で、『念のため秋篠宮さまに確認した』とありますが、秋篠宮さまとしてはその場にいなかったので、当然、雅子さまが紹介を飛ばされたこと自体ご存じなかったわけです。

ご存じない以上、『皇太子妃殿下が紹介を無視されるということは自分が知る限りない。知らない』とご発言されたのでしょう。この発言を宮務官が総務課に伝え、そのまま長官まで決裁に上げた、こういうことです」

——そもそも、「雅子さま無視事件」はあったのでしょうか?

「それはわかりません。友納尚子氏は『元東宮職から聞いた話』と主張しています。ですが、宮中晩餐会のレシービングラインは東宮職であれば東宮大夫か侍従、女官長くらいしか見られる位置にいません。彼らがペラペラ外部に話すとは思えませんが…」

美智子さまファースト

このように、2003年10月に起きたとされる「雅子さまの紹介が飛ばされてしまった」件について、宮内庁の広報担当の断言を控えます。一方で、「あってもおかしくない」と断言した関係者もいます。さる現役の上皇職は次のように語ります。

「平成時代の皇室は、雅子さまを腫物のように扱わなければ“お叱り”を受けることもありました。やはり当時は美智子さまファーストだったんですね。美智子さまが仰るには『これは雅子さんが乗り越えるべきハードルです』とのことです。

令和となり雅子さまは見事に復活、あの素敵な笑顔に我々も胸をなでおろしています。これも美智子さまが雅子さまに“慈悲の試練”をお与えくださったおかげでしょう」(上皇職)

上皇職は今も「美智子さまファースト」のようです。

美智子さま残した「週刊誌スクラップ帳」に、雅子さま唖然「誰がそんなものをお読みだったのでしょうか…」