美智子さま残した「週刊誌スクラップ帳」に、雅子さま唖然「誰がそんなものをお読みだったのでしょうか…」



文/佐藤公子

平成皇室の七不思議?

新型コロナウイルスの感染が収束傾向に入ったのと同時に、皇族方の公務も徐々に再開の兆しを見せ始めた。眞子さまは16日、外出を伴う公務を。皇族方の雅な笑顔と振る舞いに心癒される国民は多い。皇族方が地方行幸するともなれば、沿道には多くの人が詰めかけ「〇〇さま~!」「万歳!」と声をあげる。たとえ沿道に行けなかったとしても、ニュースなどで流れるお姿を拝見するだけで、心が温まるものだ。

このような「国民と共に歩む皇室」というイメージは平成になってから、それも美智子さまによって作り上げられたものだ。平成時代に美智子さまは「慈母」のごとく報道され続けた来たが、これは美智子さまがメディアとの攻防に勝利した結果でもある。週刊誌などに「美智子さまへの批判的な表現」が出ると、宮内庁がそれに逐一反論したり、急に美智子さまの体調悪くなったと報じられたりすることが日常茶飯事となった。このような光景は昭和の香淳皇后にも、令和の雅子さまにも見られない特異なものだ。

あまりの電光石火の反応に「美智子さまの愛読書は女性週刊誌などと噂されるほどだった。皇后陛下でさえ、我々庶民と同じような趣味をもたれているとは心温まるエピソードだ。平成の時代に美智子さまの近くで仕えた元宮内庁職員の小内誠一さんは次のように漏らす。

「美智子さまの愛読書が女性週刊誌というのは、ややオーバーな表現かもしれません。ですが、女性週刊誌や総合誌の皇室記事を発売日にくまなくチェックされていたのは事実です」(小内誠一さん)

だが皇居に住まわれる美智子さまがコンビニや書店などに週刊誌を買いに行くことは目立ってしょうがない。そんなことしてはそれこそ週刊誌の記事にされてしまう。

「美智子さまに仕える侍従職の一人が、登庁中に発売された週刊誌を買い、登庁後に皇室記事を切り抜いてスクラップ帳に貼りつけ、資料として美智子さまや職員らと情報共有していました。記事の内容によっては出版社側に訂正や謝罪の要求をしました。

こういった監視体制のシステム化は美智子さまだけに見られる特別なことで、東宮妃時代の雅子さまは『我関せず』を貫いておられたと記憶しております」(小内誠一さん)

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『卜部亮吾侍従日記』に残る、専属職員の存在

宮内庁職員の業務の一つに「週刊誌の切り抜き」があるとは驚きだ。「君子は危うきに近寄らず」という言葉があるが、どれほど高貴な方であっても週刊誌を読みたいという衝動は抑えがたいのかもしれない。

当時の侍従日記を読み直すと、確かに「週刊誌」の話題が多く見つかる。しかも小内誠一さんの指摘通り、一人の職員が週刊誌切り抜き作業の専門職としてしていたようだ。昭和天皇の侍従を務め、御代替わりの後も侍従職御用掛(平成5年まで)の任を預かっていた卜部亮吾さん(1924-2002)の日記には、至る所に「牧野氏から週刊誌」を受け取ったという記述が確認される。例えば次のように。

1995(平成7)年3月30日(木曜)

7時起床、雨、朝食、8・15の各停に坐り 9・25出社、牧野氏から週刊誌切抜き ……昼は表参道で求めたすし弁当、1時すぎ本庁へ

『卜部亮吾侍従日記』第5巻、朝日新聞社、2007

同様の記述が、この個所を含め6か所ほど日記に確認される(他の個所は資料として記事末尾にまとめる)。いずれの個所も「牧野氏から午前中に週刊誌の切り抜きを受ける」点で一致している。しかもこのような記述は平成になってから初めて現れた。よって平成の宮内庁では週刊誌の切り抜きスクラップ帳製作が業務の一環としてルーチンワーク化していたことが解る。

このような業務体制こそが、宮内庁による迅速な対応を可能にしたことは想像に難くない。かかる意味で雅子さまや愛子さまへの報道過熱が止まらなかった要因の一端は、このような体制がなかったことによるだろう。

週刊誌切り抜き担当「牧野氏」とは誰か?

ところで『卜部亮吾侍従日記』では「牧野氏が週刊誌の切り抜きを渡された」という記述は何か所も見つけることができるが、いずれも「牧野氏」とだけあって名前が記されておらず、その人物像が謎のままだ。一体この牧野氏とは、何者なのだろうか? 美智子さまの皇太子妃時代に仕えた牧野純子女官長のことなのか?

「牧野女官長は既に退官していますよ。この牧野氏とは、侍従職内廷係をしていた牧野名助さんのことですね。内舎人として昭和帝に長く仕えていましたが、平成となってから異動となり週刊誌の切り抜きスクラップ帳の制作を任されていました。

スクラップ帳は皇居一階奥の書斎にまとめられており、その数は数十冊に及びます。御代替わりでどうなったのかは解りませんが、お引越しの後、雅子さまがそれを発見したらさぞかし驚かれるでしょうね(笑)(小内誠一さん)

牧野名助さんは昨年、和天皇の直筆の原稿を学習院大学史料館に寄贈したことでニュースになった(朝日新聞 2019年9月5日)。長らく昭和天皇の衣服など身の回りの世話をする内舎人(うどねり)として仕えた。

寡黙で滅多に感情を表に出さなかったという昭和天皇。平成となり週刊誌の切り抜きを業務としたときの気持ちはいかほどであったろうか?

「週刊誌を切り抜く宮内庁職員」に、雅子さま“唖然”

以下に『卜部亮吾侍従日記』の中に確認できた「週刊誌の切り抜き」記述を列挙する。こういった記述は平成になってはじめて現れる。平成皇室は週刊誌と切っても切り離せない関係だったのかもしれない。

1994(平成6)年10月27日(木曜):牧野氏から週刊誌、昼はうどん

1995(平成7)年2月15日(水曜):昼はハムサンドと牛乳、牧野氏から週刊誌と切抜き、午後は資料の整理とファイルのやり直し

1995(平成7)年7月19日(水曜):牧野氏から週刊誌切抜(ヴァイニング夫人来日)、伝田氏からテレカ袋のデザインいくつか、「御日記」作業削除分の穴埋めを原本から拾う

1995(平成7)10月25日(水曜):牧野氏から週刊誌切抜き、昨日の売上伝票、10時玉生[一美・総務課報道室長]補佐 相撲協会と出版社を連れて70年史編募のための取材にくる昭和天皇と大相撲の思い出について語る

1995(平成7)11月29日(水曜):牧野氏から週刊誌切抜き、徳川[侍従職]参与に電話の上皇太后宮職へ、平田[皇太后宮職]参事からこれまでの御出版関係の賜与の資料を受け[井関・皇太后宮]大夫と一緒に徳川参与室へ

1998(平成10)年2月24日(火曜):牧野氏から週刊誌・ビデオ・山種[美術館]の券など、土・日の売上伝票、菅居氏らへの調査旅費助成の書類、昼食堂へ雨降り出す

『卜部亮吾侍従日記』第5巻、朝日新聞社、2007

いかがであろうか? 美智子さまには直属の「週刊誌切り抜き職員」がいたことは、なんと侍従たちの日記から証明されたのだ。令和から宮内庁に務め始めたさる職員は次のように語る。

「卜部侍従の日記のここまで平成皇室の恥部が…。まさか本当に週刊誌が愛読書だったとは驚きです。雅子さまは英文学を好まれますが、ここまで平成と令和で趣向が異なるとは驚きです。雅子さまが皇居に週刊誌スクラップ帳があるのを見つけになったら、まさか美智子さまがお読みになっていたとは露にも思わず『誰がそんなものをお読みだったのでしょうか…』と唖然とされることは間違いありません(宮内庁職員)

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