美智子さま「子供が出来ないのは、雅子さんに原因があります!」 不妊治療を勧められた慈愛



文/木下聡

新内閣始動で再び高まる愛子天皇待望論

今月16日、菅内閣が発足し、一夜明けた17日には、新内閣が本格的に始動した。菅義偉首相は省庁の縦割り打破や規制改革といった課題を掲げているが、こうした改革に政府一体で取り組むこととなる。

この日、首相官邸に入った首相は記者団に「身の引き締まる思いだ。国民のために働く内閣をスタートさせ、しっかりとした成果をあげて国民の期待に応えたい」と語った。

様々な改革の断行と同時に、菅内閣には安倍内閣がやり残した安定的な皇位継承策に関する議論を前進させることに関しても期待と注目が集まっている。

「本来であれば“天皇の退位等に関する皇室典範特例法”に則り、昨年の代替わり後、速やかに安定的な皇位継承策に関する議論が行われる予定でした。

しかし、多くの国民が女性・女系天皇容認を望んでいる状況で、男系皇統の維持を重視する安倍首相は、在任中この議論に着手することが出来ませんでした。

とはいえ、皇族数の減少が進み、さらに秋篠宮家の長女眞子さまが結婚を控え、さらに次女の佳子さまにも結婚の噂が持ち上がる中、この皇位継承議論の本格的な開始はまさに待ったなしの差し迫った課題となっております」(全国紙社会部記者)

今年、4月に共同通信が行った世論調査では、男系男子に限るとした皇位継承を巡って、女性天皇を認めることに関し「賛成」「どちらかといえば賛成」のいずれかを選んだのは計85%に上り、母方に血筋がある女系天皇も計79%が賛成の意向を示している。

また、数年前からTwitterなどのSNSでも「聡明な愛子さまに継がれてほしい」「早く愛子さまが天皇になれるようにしてほしい」といったツイートが数多く書き込まれるようになっており、こうしたネット上の反応からも「愛子天皇誕生」への期待の高まりが感じられる。

皇室ジャーナリスト等の間でも「女性・女系天皇誕生に向けた皇室典範改正議論を開始させる機は熟した」と見る向きも多いようだ。

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雅子さまを苦しめたお世継ぎ問題

現在では、このように国民の間で女性・女系天皇を積極的に認めようという世論の声が高まっているが、かつては男系男子による皇位継承はほぼ絶対視されていた。また、「何が何でも男子を出産すべし」というプレッシャーは皇太子妃時代の雅子さまを大変苦しめることともなった。

雅子さまが外務省に入省されたのは1987年、86年4月に「男女雇用機会均等法(均等法)」が施行された翌年のこと。

男女平等への期待とは裏腹に、同じ世代の多くの女性たちの中には大学・大学院で高い教育を受け、良い成績を収め、良い就職をしても、職場においても社会においてもその能力を発揮する機会が十分に与えられない者も多かった。

そうした現実に対する不満を抱える多くの女性たちにとって、雅子さまは一種の憧れや希望を一身に受ける存在でもあったのだ。

大学を卒業された後に皇室入りされた美智子さまや、秋篠宮殿下と大学院生時代にご結婚された紀子さまなどとは違い、雅子さまのご結婚は社会で働いた後に皇室入りされた初めてのケースであり、外交官として活躍されていた雅子と皇太子殿下との結婚が発表された際に、世間は新しいプリンセス像へ大きな期待を抱いた。

しかし、その後の人生の半分近くは「公務の在り方」と「世継ぎ問題」などに悩むこととなる。宮内庁にとって、皇太子妃に期待される役割は、どこまでいっても「お世継ぎ」と「皇太子殿下のサポート」でしかなく、雅子さま個人の人格や尊厳が認められることはなかった。

この点は、美智子さまも同様であった。美智子さまは、かつて新しい皇室における改革の実践者として、庶民的な家庭の出であった紀子さまの皇室入りを後押しさることもあったが、皇室における妃殿下の役割に対する認識は旧態依然としたものであったようだ。

「皇室における改革の実践者と評されることも多い美智子さまですが、皇太子妃殿下の役割に関して、“何よりもまずお世継ぎ、そして次に皇太子のサポート”と考えられていた点では、宮内庁の守旧派と変わりはありません。

もっともこれは、美智子さま個人の資質の問題というよりは、美智子さまの世代の抱える限界と言ってもよいでしょう。

美智子さまの目には、雅子さまは“お世継ぎも公務も満足に出来ないのに、一丁前に自己実現と個の尊厳を主張する生意気な小娘”というように映っていたのかもしれません」(宮内庁)

「子供が出来ないのは雅子さんに原因があります」

このように、雅子さまへのお世継ぎへのプレッシャーは強く、ご成婚から4年経っても子供が出来なかったことから、宮内庁の中では「お世継ぎに対する自覚が足りない」という批判も高まっていたという。中でも、雅子さまに対して厳しい視線を向けられていたのが当時皇后陛下であった美智子さまだ。

「一般的に子どもができないと、その原因は根拠なく女性だと言われてきたという歴史はありますが、美智子さまも、そうした考えをお持ちでした。

そのため、しばしばお二方の間に子供が出来ないことに関して”雅子さんに問題があるのではないですか?”と仰られていたようです。ご成婚5年目から開始された不妊治療も美智子さまからの強い勧めがあったようですが、美智子さまとしては、“問題のある雅子さんを治療しなくては”といった意識で勧められたのかもしれません」(前出の宮内庁関係者)

ご成婚6年を迎えた頃にも治療は継続的に行われていたが、この治療の実施は外部に情報が漏洩しないよう厳しい箝口令が敷かれ、事実を知るのは一部の皇族と宮内庁幹部のみだったという。

「当時は、また不妊治療に対する偏見も強く残っておりましたから、美智子さまなどは、こうした事実が外部に漏れることは“皇室の恥”であると考えられていたようです。

また、雅子さまが流産された際にも、原因は雅子さまにあると考えられていたようで、悲しみに暮れる雅子さまに対しても、同情や共感を示されることもなく、“一度妊娠できたのだから、次も出来るでしょう。早くお世継ぎをお産みなさい”と更なるプレッシャーをかけられておりました(同前)

ご成婚から8年に愛子さまを出産された際、陛下と雅子さまは、大変喜ばれたが、一方で周囲からは「早く次の子を」「今度こそ男の子を!」といった期待をかけられたという。もちろん、美智子さまもそうした期待とプレッシャーを雅子さまにかけられたうちの一人であった。

無論、当時の社会の雰囲気や時代背景を考えれば、このようなかたちで美智子さまが雅子さまを苦しめられたことはやむを得なかったとも言える。とはいえ、平成の時代には、国民に対して慈愛の心を向けられてきた偉大な皇后陛下として国民からの信頼を尊敬を集められてきただけに、それと同様の優しさと慈愛の心を雅子さまにも向けることが出来なかったことは大変惜しい事でもある。

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