皇族たちは「愛子さま即位」をどう語ったか? 寛仁親王の“女系天皇”への想い



文/宮本タケロウ

男系派と女系派

“立皇嗣の礼”を挙行次第、政府は皇位継承者の安定的確保について議論が開始する予定です。皇位継承の問題について、男系を守るべきとする”男系派”と女系も容認するべきだという”女系容認派”で論争が続いているのは、当サイト読者の皆さまはご存じの通りと思います。

特に”女系容認派”の中でも、秋篠宮さまや悠仁さまではなく、まず今、愛子さまに皇位を継いでいただこうとする”愛子天皇派”の声も高まりを見せています。

国民的議論となりつつある皇位継承問題ですが、当の当事者である皇族の意見はなかなか聞こえてきませんが、かつて歯に衣着せぬ物言いでこの皇位継承問題に意見を表明した皇族がいらっしゃいました。

その皇族は男系派で、このような言葉を残しています。

「天子様を戴くシステムを突き詰めて考えれば、先ほども言いましたように連綿と続く男系による血のつながりそのものなのです」(『皇室と日本人』明成社、2006年)

当サイトの読者の皆さまなわご存知かもしれませんが、そう、三笠宮殿下の長男・寛仁親王です。

寛仁親王

寛仁親王のホンネに迫りたい

今回は皇位継承問題における寛仁親王のご発言を追って、その真意や寛仁親王のお考えに迫りたいと思います。

端的に言いますと、寛仁親王の主張は、いわゆる保守派のもの全く同じで、以下のようなものでした。

  • 皇統は男系で継がれた万世一系である
  • よって皇統は男系で継ぐべきであって、女系天皇は反対
  • 男系を守るために旧宮家に復帰して頂くのが望ましい

それでは、詳しく見て行きましょう。

寛仁親王はインタビュー集『皇室と日本人』(明成社、2006年)でこう述べました。

皇室の伝統を破壊するような女系天皇という結論をひねり出さなくても、皇統を絶やさない方法はあると思うのです。たとえば、継体天皇、後花園天皇、それから光格天皇のお三方は、それぞれ十親等、人親等、七親等という、もはや親戚とは言 えないような遠い傍系から天皇となられています。(中略)

また、宇多天皇という方は一度、臣籍降下なさって、臣下でいらっしゃった聞にお 子様も儲けられているのに、その後、皇室に適格者がいなくなったのか、皇族に復帰されて、皇太子になられ、天皇に即位されています。お子様も一緒に皇族になられて、 その後、醍醐天皇になられています。 こういった事実はいくつもあり、選択肢もたくさんあることをメディアはもっと発表すべきです。

『皇室と日本人』明成社、2006年、81-82頁

古来、皇室は、皇統の危機があった際には直系の女子ではなく、傍系の男性皇族に皇位を継承させたという先例ですね。寛仁親王は「まず男系の先例を守るべきである」と主張しています。

旧宮家の復帰を!

そして、男系を守るための策として、旧宮家の復帰を主張します(*以下の発言時は悠仁さま誕生前)。

戦後、 GHQの圧力で皇室弱体化のために皇籍を離脱させられた十一の宮家 もあります。その後、後継者がなく絶家になってしまったところもありますが、今で も少なくとも八つの旧宮家には男系男子がいるのですから、宇多天皇のようにその方々にカムバックしていただくという手もあります。(中略)

また、これらの宮様たちが六十年間も一般人の生活をなさってきたのだから、皇族に復帰することには違和感が国民にあるだろうとおっしゃる方がいます。しかし、(中略)みなさんが意外とご存じないのは、我々現職の皇族と旧宮家の方々はすごく近しく付き合ってきたことです。それは先帝様のご親戚の集まりである「菊栄親睦会」をベ ースとして、たとえばゴルフ好きが集まって会を作ったりしています。また、お正月や天皇誕生日には、皇族と旧皇族が全員、皇居に集まって両陛下に拝賀というご挨拶をします。最初に我々皇族がお辞儀をして、その後、旧皇族の方々が順番にご挨拶を していく。ですから、我々にはまったく違和感などありません

前掲書、85-86頁

「旧宮家の復帰に違和感がありません」と断言されるのは興味深いですね。竹田恒泰氏(作家)との対談のなかでも寛仁親王は「私のなかには現職皇族と元皇族の垣根などありません」と語っています(『Voice』平成19年4月号、採録:竹田恒泰『旧皇族が語る天皇の日本史』2008)。

また、別の著作『皇族の「公」と「私」』(PHP、2009年)にもこのような発言があります。

旧皇族様方が現職のわれわれと絶縁しているわけではなく、たびたび宮殿や御所やその他でお目に掛かっているのです。ですから今復帰されても違和感はまったくないですよ。その反対に、どれほど古い家柄や名家の方でも、普通の方が突然ある日から”宮様”と呼ばれることになるほうが、よほど違和感は大きいでしょうね。

『皇族の「公」と「私」』(PHP、2009年)

旧宮家の復帰について、よく「70年間も平民だった旧皇族が皇室に戻っても、受け入れられない」という人がいますが、当の皇族本人は「違和感がない」というギャップがなかなか痛快です。寛仁親王は、竹田恒泰氏との対談でも「むしろ愛子さまが妙齢になられ、たとえば田中さんという青年と結婚なさること
のほうがよほど違和感がある。突然、その田中さんを「陛下」と呼ばなければならないでしょう」
と同趣旨を語っておられます。

男女平等と皇族の人権

また、寛仁親王は「男女平等」の観点から女系天皇を容認することには反対の立場でした。その理由は「順序が違う」というものでした。

今回の議論では、男女平等とか、男女共同参画といった考え方もあるようですが、それは日本国民が守っていかなくてはならない民主主義の中のひとつの規律です。

しかし、そもそも皇室というものは、そうした民主主義の規範内にぴたりとおさまる存在ではないということも忘れてはなりません。たとえば我々皇族は選挙権もなければ被選挙権もありません。また、医療保険もなければ、営利事業に関与することもできない。

つまり基本的人権をまったく無視されて いて、日本国民と言えるかどうか難しい存在であるわけです。そこに国民の規範を適用するというのはナンセンスですし、そうするのであれば、まず天皇様から選挙権をお持ちいただいて、政治的発言もしていただかなくてはなりません。

『皇室と日本人』、92-93頁

考えてみれば、「皇族」は憲法上、日本国民ではありません。寛仁親王の言う通り、「国民の権利がないのに、日本国民から『男女平等』を強制されるのはおかしい」という見解は傾聴に値するでしょう。

上記のような寛仁親王の主張には主にリベラル陣営や女系容認派から「皇室は税金で養っているんだから、国民の象徴なんだから、国民の自由に決めるべきだ」というまっとうな反論があるかもしれません。

ですが、そのような反論は正しいでしょうか? なぜなら、それは皇族をまるで国民のオモチャのように扱っているような言葉であり、「皇族も国民も同じ人間だ」というスタートラインに立つ必要があると思われるからです。

寛仁親王の男系へのこだわりは何なのか?

さて、皇位継承問題についての寛仁親王の言葉を追ってきましたが、このような寛仁親王の男系への強いこだわりは、いったい何から来るものなのでしょうか。

寛仁親王の男系への強いこだわりは「ネトウヨに影響された」や、「寛仁親王は男尊女卑なんだ」「保守だからだ」などと言われます。

が、私はいずれも違うと思います。

寛仁親王の男系へのこだわりは、寛仁親王自身が一傍系皇族として生を受け、どのように人生を歩んだら良いのか、ずっと悩みに悩んできたライフヒストリーに答えがあるのではないでしょうか。

寛仁親王は、2007年10月にニューヨークタイムズのインタビューを受けたと事があり、そこで自身のアルコール依存症を告白し、その理由をこのように述べました。

「(アルコール依存は)ここ1年や2年のことではありません、覚えている限り、皇室は大きなストレスの塊のようでした。」(”A Font of Commentary Amid Japan’s Taciturn Royals,” New York Times, 2007-10-20)

華やかに見える皇室の世界ですが、皇族をしてストレスの塊と言われてしまうほど、大変な世界のようですね。特に寛仁親王の場合、傍系の宮家の長男という曖昧で皇位継承に直接関係しない立場であるということもストレスの原因だったでしょう。

自分が皇族として存在する意味とは?

寛仁親王は、こうした実存的な”問い”をずっと抱えてきたに相違ありません。ニューヨークタイムズのインタビューでは、皇族の存在理由をこのように語りました。

「皇室とはいったい何なのかということは、私はずっと考えて考えて考えました。それで、最終的に出た結論は、私たちの存在意義というのは単に存在することなのだということです。皇族というのは、朝起きて、朝ご飯を食べて、夕飯を食べて、そして、寝る。これを1年365日繰り返すことで、その義務を果たすことができるんだろうと思います。」

皇族の存在意義

いかがでしょうか。

ただ存在することが意義であり、義務——。

ニューヨークタイムズのインタビューは2007年ですので、上記の発言は60代半ばでやっとたどり着いた境地であり、それに至るまでは、若い頃からずっと、実存的な自問自答を繰り返してきたことでしょう。

寛仁親王の男系への強いこだわりは、自身が皇族としてずっと「このままで良いのだろうか」「皇族である意味は何なのだろうか」と、自分の人生に悩みながら生きてきた、その結果であろうと思います。

寛仁親王は1982年にその悩みが結実し、「社会活動に専念するため皇族の身分を離れたい」と皇籍離脱を希望され物議をかもしました。

やすやすと女系が容認されてしまっては、自分の皇族としての悩んだ日々はいったい何だったのか、無駄だったのではないか、あの時に皇族を辞めても良かったではないかと、皇族としての存在意義そのものが無くなってしまう…そのような漠然とした不安を、当事者として抱いたのではないでしょうか。

寛仁親王の「遺言」

最後になりますが、男系派の寛仁親王ですが、いわゆる「何が何でも男系でなければ天皇ではない」という男系絶対主義ではありませんでした。「女系容認もありえる」と、前掲書のインタビューではこのように述べています。

私が国民にお願いしたいのは(中略)これまで皇統を維持する ために先人たちがどのような方策をとってきたかの事実をよく考え、さまざまな選択肢があることを認識した上で、ものごとを決めてほしいということです。それでも国民の大多数が女系天皇でいいと言うのでしたら、そこで大転換すればいいのであって、 今すぐ決めるという必要はありません。

そして、ほかになし得る方法があるのなら、 まず、そちらをやってみて、それでも打つ手がなくなった時に初めて変更を認めるやり方のほうが、よりよいのではないかと考えています。

前掲書、97頁

まずは、今までの先例を守ることを出発点に、議論を重ねるべきだという意見です。そして、「女系を認めるとしても、しっかり議論をしてからにするべきである」と。

寛仁親王も述べる通り、皇族には選挙権がなく人権も抑制され、その制度の如何は我々国民にゆだねられています

皇位継承の問題に関しては、皇族であっても天皇であっても、自分の存在意義を思い悩む一人の生身の人間であるという事実を出発点に、歴史と未来を見据えてしっかりと議論を重ねていくことがなによりも大切だと考えます。

それが、亡くなられた寛仁親王へのなによりの御供養となるのではないでしょうか。