眞子さまが“ダメンズ”に貢ぐのは、秋篠宮家の「伝統」だった 朝鮮王朝史から読み解く



文/宮本タケロウ

眞子さま結婚問題

2017年9月3日の婚約内定発表からはや3年。9月11日に紀子さまは「長女の気持ちをできる限り尊重したい」と親子愛を滲ませましたが、果たしてどうなるのか誰にもわかりません。11月30日に公開される秋篠宮殿下のお誕生日会見が次の重要な節目になるでしょう。

「海の王子とプリンセスの恋愛婚」としてもてはやされ、新聞の号外まで飛び交った眞子さま・小室圭さんの結婚問題はいまだ解決の兆しも見せていません。

(小室圭さん・眞子さま)

両者ともに想いはいまだ固いと言われますが、おおむね世論は「結婚反対」が多数を占め、その意見は主に以下の理由からです。

  1. 結婚に伴う一時金が小室家の借財返還に使われる
  2. 皇室は小室家のATM(現金出金機)ではない

確かに、女性皇族の結婚に際しては税金から一時金が支払われますし、眞子さまが皇籍を離脱して民間人となった後も皇族の娘であるという立場は変わりませんので、小室家の金銭トラブルに眞子さまの実家である皇室(秋篠宮家)が巻き込まれてしまう可能性もゼロではありません。

皇室の経済が国民の税金で成り立っており、また天皇は日本国の象徴であるとされている以上、「金目当ての結婚」(と見られること)がなされることは確かに不適切であるかもしれません。

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「上流階級」と「結婚」について

しかしながら、この「“上流階級”と“結婚”」というテーマについて筆者が調べを進めるうちに、ある事実が浮かび上がってきました。

それは、驚きの事実ですが、“金目当ての結婚”は上流階級の世界でさほど不適切なことではなかったという事実です。

詳しく見ていきましょう。

今回、筆者が紹介したいのは、昭和6年(1931年)になされた、旧対馬藩主・宗(そう)伯爵家の宗武志と朝鮮王家・李王家の李徳恵との結婚です。

宗武志と李徳恵

対馬藩主として江戸時代に朝鮮との国交事務を取り仕切ってきた宗伯爵家ですが、明治維新後は借財がかさんでおり、明治・大正時代の当主宗重望(そう・しげもち)の代には家の存続すら危ぶまれる膨大な借金に見舞われていました。

新城道彦『朝鮮王公族』(中公新書、2015年)にはこう書かれます。

武志が15歳のときに宗伯爵家の当主重望が死去した。このとき宗家には莫大な借金があったため、裕福な他家から養子を迎えて家督を譲り、財産整理を行うべきとの意見があった。しかし、永留小太郎という対馬出身の篤志家が(中略)私財を提供したため、重望のいとこにあたる武志が継承することで決着する。

このように、宗家は伯爵家であったが、破綻の危機をかろうじて回避する状況にあった。しかも武志はまだ中学生であり、傾きかけた家を支えるにはあまりにも若すぎた。(中略)婚姻という手段で財政的な後ろ盾を得たのは自然な流れだったと言える。

新城道彦『朝鮮王公族』中公新書、111頁

こうした借金まみれの家の窮状を救うため、宗伯爵家は、裕福な家の娘を妻にとらなければいけない状況だったといいます。

同『朝鮮王公族』によれば、この宗伯爵家の金銭的ニーズが、日本との縁戚関係を進め、かつ伯爵以上の華族との結婚を模索していた朝鮮王家のニーズに合致したのでした。

大富豪の朝鮮王家

朝鮮王家の李王家は1910年の日韓併合によって廃位となった朝鮮王族ではありますが、廃位した王家とは言っても、日本の植民地化によって没落したわけではなく、むしろ穏便に併合政策を進める政治的必要から、その財政は日本政府によって潤沢に用意されていたことが知られています。

設定された150万円の皇室費(注、韓国の皇室)は、併合後も王公族の歳費としてそのまま支給されることになる。同時期における日本の首相の年俸が1万2000円ほどであったこと、1927年時の11宮家の皇族歳費を合計しても80万円に満たなかったことを考えると、いかに巨額だったかがわかる。

同上、22頁

首相の年俸が1万2000円の時代に150万円の歳費とはすごい金額です。現在の日本の首相の年俸は約4000万ですので、現在に換算すると、ざっと4000万×150=60億円となるでしょう。

現在の天皇陛下の内定費が約3億円、高い高いと批判される秋篠宮家の歳費が1億2800万円ですので、朝鮮王族がいかに巨額の歳費を得ていたかがわかります。

さらに、併合に際しては明治天皇から「李王家は皇族と同じように扱う」という思し召しがあり、これを忠実に履行するため日本政府が李王家に対して特別待遇で接したのも事実でした。

(李王家の東京邸、現赤坂プリンス クラシックハウス)

1917年には李王(最後の大韓帝国皇帝・純宗)が来日しますが、その時の待遇は次のようなものでした。

①下関到着から同所出発まではすべて皇室待遇、②下関から東京の記者は臨時の御料車を準備、③東京の宿所は霞が関離宮、愛知では名古屋離宮(名古屋城)を利用する、④東京駅到着時は皇族、首相、宮内大臣ほか閣僚や親任官が迎える、⑤東京駅から宿泊先までは皇族の公式鹵簿を編成、⑥離宮には儀仗衛兵を配置し、校内は厚遇警察官が警衛する(『朝鮮王公族』96頁参照)。

このように、日本の華族はおろか、並みの傍系宮家の皇族以上の待遇を受けられる朝鮮王族。宗伯爵家は借金まみれで破綻しかけた家を救う望みをロイヤルウェディングに託したのです。

宗伯爵家、李王家、双方のニーズが見事に合致したロイヤルウェディングは、ついに1931年5月に成立。

その後、李王家の対する歳費が増額され、それが宗伯爵家に「援助」という形で渡ることになったのでした。

1931年の李王家予算綱要には「宗家家計に対しても特に御援助の思召」あるを以て、定例補給金中に相当額を計上せり」と明記されている。李王家の予算で定例補給金は長らく9万円台で推移したが、1927年から減額となり、30年代には8万6620円となっていた。

ところが、徳恵が結婚した年には9万8220円へと増加し、その後4年間は9万2180円を維持している。この差額の一部もしくは全額が、李王家から宗家への「援助」であった。

同上、112頁

これによると、約1万円が李王家から宗伯爵家に援助としてわたっていたことがわかります。

1931年当時の1円はおおむね現在の2500円ですので、現在の価値にすると2500万円となるでしょうか。これが最低でも4年間なので合計1億円が李王家から宗伯爵家に援助されたことになるでしょう。

日韓併合時代の当時、明治天皇から「日本の皇族と同じに扱う」とされた李王家は日本の王族ですのでその歳費は当然、日本政府の予算(税金)から計上されます。

つまり、国民の税金が還流し、宗伯爵家の借金返済に回されたということになるでしょう。

ヒモ男に皇室が金を貢いでも問題ない

いかがでしたでしょうか。

言っておきますが、今回紹介した李王家・宗伯爵家の例はほんの一部にすぎません。あたかも「援助交際」まがいの結婚が頻発していたのが、明治期~昭和にかけての上流階級の家戦略でした。

数多くの上流階級の事例を調べましたが、中でも多かったのが、「名誉はあるがお金がない公家」と「お金はあるが名誉がない武家」の結婚で、双方が結びつくことで双方ともにお金と名誉を手に入れるという結婚形態です(例えば公家の広橋家と武家の鍋島家の結婚など)。

冒頭に述べた“金目当ての結婚”は上流階級の世界では、さほど不適切なことではなかったということがお分かりいただけたかと思います。

(ヤンチャ時代の小室圭さん)

こうしてみると、「借金問題を抱えた家に皇族が嫁いで金銭援助する」という構造は、さほど日本の伝統に合わないこととは言えないのではないでしょうか。

極論すれば、「ヒモ男に皇女がお金を貢いでも伝統的には問題ない」と言えるでしょう。

しかも小室家の借金はほんの約400万円で、平均的サラリーマンの年収程度の金額です。

「借金まみれの家に皇族が嫁ぐなどとんでもない!」とはよく言われますが、400万円程度のはした金をいちいち気にして結婚に反対するのも少し考えものかもしれませんね。

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