竹田恒泰『天皇の国史』は「神武天皇は本当にいた」と信ずるピュアな本 サンタクロースの実在も信じちゃうレベル



文/小内誠一

サンタクロースは実在する=神武天皇は実在する

私は幼少の頃「サンタクロースは本当にいる」と信じていた。しかし小学生になり分別がつくようになると自然と「サンタクロースは実際にはいない」と気が付くようになった。枕元に置かれたプレゼントは両親が買って置いていたものだった。クリスマスにトナカイのそりに乗ってプレゼントを届けてくれるサンタクロースの存在を信じられるというのはピュアな証拠なのかもしれない。

これと同じピュアさを竹田恒泰『天皇の国史』(PHP研究所、2020年8月13日発売)にも見出すことができる。竹田氏は神武天皇実在論を展開し、あれこれ詭弁を弄しているが、「絶対に神武天皇は実在するんだもん!」というそのピュアさは、大人がサンタクロースやら宇宙人やらの実在を真剣に論じているようなものである。

何を主張しようと言論の自由なのだが、竹田氏はあまりにも天真爛漫でピュア過ぎるがゆえに、時に理論が飛躍し、結論ありきで論じてしまっているのではないかと思える個所が散見する。今回は『天皇の国史』における神武天皇実在論のピュアさを見ていきたい。

天皇陛下がいらっしゃる以上、初代は必ずいたから神武天皇は実在する

竹田氏の神武天皇の実在性に非常にこだわる。これは竹田氏が「自分は明治天皇の玄孫であると」いう血統上の誇りから出ているものなのだろう。常識があり分別のある大人ならば、空想的記述に富んだ記紀神話を読んでも「創作物であり、史実ではない」と判断するのだが、ピュア過ぎる竹田氏は「神武天皇は実在する」という前提を動かそうとしない。

そこで色々と詭弁を弄するのだが、これが非常に面白い。たとえば「現在、天皇陛下がいらっしゃる以上、遡れば誰かが初代だったのであり、その誰かを「神武天皇」と呼ぶのである。もし神武天皇が実在しないなら、初代だけ社長がいない会社や、初代だけ校長がいない学校があるだろうか。「神武天皇はいつの時代の人物か」との命題は成立するが「神武天皇は実在したか」との命題は論理的に成立しない」と力説する。

この理論は、ここのところよく保守界隈から聞かれるのだが、論理的に不整合である。キリスト教右派がしばしば主張する「聖書にはアダムとイブが最初の人間として記録されている。人類の家系図を遡れば“最初に人間”を想定せざるを得ないからアダムとイブは実在する」と趣旨が全く同じだ。このような発言の問題点は、初代や始祖が存在したとして、それが記録に残るそれと同一である保証が全くないことだ。

たとえば母から子へ受け継がれるミトコンドリアDNAを分析して共通女系祖先(ミトコンドリア・イブ)を探したり、父から子へ受け継がれるY染色体を分析して共通男系祖先(Y染色体アダム)を見つける研究があるが、「ミトコンドリア・イブ」「Y染色体アダム」を見つけられたとしても、それが聖書の「アダム」「イブ」と同一人物であるわけではない。

同様に、現在、天皇陛下がいらっしゃり遡って初代がいたとしても、それが記紀の神武天皇と同じ事績を歩んだ保証は全くないのであるから、このような考察は建設的とは言い難いだろう。

神武天皇の非実在を証明する学術的根拠は必要か?

また竹田氏は「以前筆者は、神武天皇が実在しないという根拠が知りたくて、戦後公表された神武天皇非実在を述べた学術論文を全て読み込んだことがある。するとその大半は「いるわけがない」「いないに決まっている」というように、はたから実在しないことを前提に立論していた。実在しないことの学問的根拠を示した論文は、何と一本もなかったのである」と述べているが、こういう理論も驚くべきものがある。

竹田氏は、ギリシャ神話を読めば「ヘラクレスは本当にいたんだ!」と信じてしまい、「ヘラクレスが実在しないことの学問的根拠を示した論文はない」と言い出すくらいピュアなのだ。

現代社会に生きていれば古典神話を読んだとしても、それが史実だとは信じないものだ。それが常識ではないか。せめて「何かモデルになった人物がいたり、出来事があったのかもしれない」と思うくらいだ。ゆえに一般人が記紀を読んだところで「神武天皇のモデルになった人物や、出来事があったかもしれない」と思料するかもしれないが、それは「記紀に書かれた通りに神武天皇が実在していた」を意味するのではない。

ゆえに「神武天皇の実在を証明する研究」というのは「ヘラクレスの実在を証明する研究」と同レベルに不毛であり、「神武天皇の非実在を証明する研究」というのは「ヘラクレスの非実在性を証明する研究」と同じく非生産的だ。

以上、竹田氏は神話を読んで史実だと思ってしまうほどピュア過ぎる精神の持ち主だ。まず、中学歴史教科書を学びなおし批判的精神を養う必要があるのではないか? しかし竹田氏の「なんでも信じてしまう」という心のピュアさには心が癒された。

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