「皇統は愛子さまではなく、悠仁さまに継がしめよ」とする“古資料”『慶長公家諸法度注釈』を新発見



文/宮本タケロウ

高まる愛子天皇論

令和になってますます盛んになる皇位継承の議論。もうすぐ19歳になる麗しい皇女・愛子さまの姿を見て、「女性が天皇になれないのはおかしい」と思う人も増え、女性天皇/女系天皇の賛成世論は増えつつあります。確かに、歴史をさかのぼれば推古天皇以来日本には8人の女性天皇がいますので、皇位継承を男系男子に限った現在の皇室典範はむしろ異例とも言えるのは事実です。

こうしたことから、女性/女系天皇賛成派からは、

「天皇を男系男子に絞るのは明治時代からのたった100年ほどの歴史に過ぎない」

「明治時代が男尊女卑だったから女性が天皇になれなくなっただけ」

などとよく言われます。これは学者も同じくいうことで、仁藤智子さん(国士舘大学教授)も「日本史上、近代国家の形成過程において初めて、「男系の男子」と「成年」、さらには継承順位が法制上明文化されたということになる」と述べています(「幼帝の出現と皇位継承」『天皇はいかに受け継がれたか:天皇の身体と皇位継承』績文堂出版、2020を参照)

江戸時代にも女性天皇が2人いたことを考えれば、明治時代に「男系男子オンリー」に絞ったのは、近代の人工的な産物でしょう。私自身も以前は「万世一系の皇統」や「何が何でも男系男子」を重んじる価値観は明治時代に生まれたものに過ぎないのではないかと思っていました。

しかしながら、今回、ある資料を調査して、それがとんだ思い違いであったことが判明しました。

はっきり言いますと、「皇位継承を男系男子に限った法律ができたのは明治時代からに過ぎない」という主張は単なるデマに過ぎないということです。

詳しく見ていきたいと思います。

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新資料の発掘

今回、私が調査した資料は江戸幕府が朝廷を統制するために制定した「禁中並公家諸法度」とその注解書である「慶長公家諸法度注釈」です。

「禁中並公家諸法度」は言うまでもなく、徳川家康が作成した近世の朝廷・公家の行為を縛る江戸時代の皇室典範のような法律です。

そして、「慶長公家諸法度」「禁中並公家諸法度」の江戸時代におけるほぼ唯一の注釈とされる資料で、作者は橘嘉樹(1731〜1803)。公家の滋野井公麗と高倉永範から装束・調度の指導を受け、また伊勢貞丈から公家故実を学んだ有職故実家です。

さて、今回、私が注目したのは「禁中並公家諸法度」の第六条、“養子”を規定している以下の条項です。

第六条 養子者連綿 但、可被用同姓 女縁其家家督相續 古今一切無之事

現代語訳:養子は連綿、但し同姓を用ひらるべし。女縁者の家督相続、古今一切こ れなき事。

養子をとるなら同姓から取り、女縁で養子を探して家督を相続してはいけないという規定ですね。

ご存知かと思いますが、“姓”は定義上、父から息子に生物学的につながる男系の血で伝えられる記号です。歴史学者の大藤修氏の書籍『日本人の姓・苗字・名前』には“姓”の価値観について、興味深い記述があります。

男性の「気」が「形」とされる女性の体内に入って新たな生命が誕生するのであるが、その生命の本性は父から受け継いだ「気」によって定まり、父系の血を引く男子がいる限り、生命の本源たる「気」は未来永劫に流れていく。

このような生命観からすれば、先祖を祭祀する資格は必然的に同一の血=「気」を受けた男子のみが持つことになり、実男子のいない場合の養子も同姓の父系血縁に連なる男子でなければならず、その血縁にない異姓の男子を養子にすることは禁じられたわけである。

大藤修『日本人の姓・苗字・名前』吉川弘文館、2012年、10頁

上記に引用した禁中並公家諸法度の記述とぴたりと一致します。

これにより「江戸時代から皇位継承は男系に限るということが法的に定まっていた」と言うことは間違いないでしょう。

慶長公家諸法度にはこう書かれる

さらに、「禁中並公家諸法度」法律の注釈書である「慶長公家諸法度」の内容も確認してみたいと思います。

以下、一部抜粋です(カタカナは平仮名に改め、句読点を補足)

以上の文を以て、養子は同姓の外その例無き事、古えよりの定なる事を知るべし。養子者連綿とは、子無き者は同姓の内その年歯相応なるものを取て養子とし、家系を連続にて綿々とし絶えざることを要と言い、しかるに妻を当の由縁あるものを取って家を継しむる事は今古一切無き事なり。邇是等の事を守るべしとの義なり。(慶長公家諸法度)

語るに及ばず、原著も掲載しておきます。

「養子は同姓の外その例無き事、古えよりの定めなることを知るべし」「家系を連続にて綿々とし」など、どう考えても男系の血統でしか家は連綿と繋がらないという価値観で述べられていることは疑いようがありません。

上記に抜粋した以外にも、律令時代の文献を引用して「養いて子とし、育するも、其の養える子、成長せばその本姓に従わしめよとの事なるべきか」など、ようするに「他の姓の子供を養子にしても、成長したら元々の姓に戻せということか」と興味深いことが書いています。

いやあ、どう考えても「皇統は男系オンリー」は、江戸時代から法律で書かれていたというふうにしか思えませんね。これは…

「男系オンリー」は400年前から法律に書かれていた

さて、以上のことから、「皇位継承を男系男子に限った法律ができたのは明治時代からに過ぎない」という主張は単なるデマに過ぎないということが明らかにわかったと思います。

ま、もっとも、同時に述べておきたいのは、禁中並公家諸法度で「養子は同姓オンリー」と明文化されていたにも関わらず、藤原氏である鷹司家(姓:藤原)に皇室(姓:無し)から養子が入ったり、藤原氏の一条家(姓:藤原)から源氏の久我家(姓:源)に養子が入ったりなど、その法律があまり守られていない例も散見されるのも事実ですし、そもそも論として、江戸時代に皇統の男系継承が法律化されていたからと言って、それを21世紀に生きる我々が変えてはいけないとは全く思いません。

しかし、「皇位継承を男系男子に限った法律ができたのは明治時代からに過ぎない」は明確にデマであり、皇位継承の男系主義は少なくとも1615年から法律に明文化されていたというのは紛れもない歴史事実であるとは、明確に述べておかなければならないでしょう。

現在の皇室典範に記載される皇位継承の男系主義は、決して単なる明治時代の男尊女卑の産物ではなかったのは歴史的事実なのですから。

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