一言の批判でも“恨む”美智子さまの想い 昭和天皇のお言葉に過剰反応した過去 元侍従長が告白



文/佐藤公子

入江日記に異例の言及…

昭和天皇の侍従長を務めた入江相政(1905-1985)が残した日記、通称『入江日記』は昭和から平成にかけての皇室裏事情を知るうえでの格好の資料だ。今回取り上げたいのは、『入江日記』の次の一節である。

昭和38(1963)年3月22日:次長から東宮妃が予の書くものについて恨んでいらつしやるから当分内廷のことについては書かない方が無難と長官が云った由。あきれたことである。

昭和38年3月23日:東宮妃の云はれたことくりかへし考へるが誠に不愉快である。それに更にかりにさう云はれたとしてもその事が当の予の耳に届くといふやうなこと昔の側近にはあり得ないことである。

昭和38年3月24日:又東宮妃のことが不愉快に思ひ出される。

『入江相政日記』第3巻、朝日新聞社、345頁、346頁

東宮妃(美智子さま)が入江侍従を「恨んでいる」とはよっぽどの書き方だ。いったい入江侍従は何を書いたのか? この日記がつけられた1963年3月までに次の三冊が刊行されている。

  1. 『侍従とパイプ』(毎日新聞社、1957年5月、中公文庫 1979年、改版2005年)
  2. 『城の中』(中央公論社、1959年5月、中公文庫 1978年、改版2004年、新版2014年)
  3. 『天皇さまの還暦』(朝日新聞社、1962年4月、朝日文庫 1989年4月)

皇太子殿下(現、上皇)と美智子さまのご結婚は、昭和34(1959)年4月10日のことであるから、美智子さまに関する記述が確認できるのは❷『城の中』と❸『天皇さまの還暦』の二冊だ。はたしてそこに描かれている美智子さまとはどのような像なのか?

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『城の中』の美智子さま

1959年5月に刊行された『城の中』で言及される美智子さまの記述は、結婚を祝う記述にあふれている。

応接間にとおされた。夫妻があらわれ、しばらくして、美智子さんも出てこられた。実に美しい方だと思った。聡明さが底のほうからにじゑ出てくるような美しさだった。

皇太子さまは、あっぱれ、すばらしい女性を発見し、そしてそれを獲得しようとしていらっしゃるもんだ、とおどろいた。

入江相政『城の中』中央公論社、1959

というような美智子さまのすばらしさを称賛する美辞麗句が並んでいる。これは入江の本心であったろう。日記にも「三時前に出て黒木、田端両君と五反田の正田家へ行く。質素な家だし、みんな立派な方である。美智子さん、綺麗でそして立派である」(入江相政侍従日記1958年11月25日)と大絶賛だ。ミッチーブームの勢いそのままに美智子さまがスターダムに伸し上がるさまが文章から伝わってくる。

このように入江侍従の書作物は、いずれも「お恨み」頂くような記述ではない。それに該当するような記述が唯一あるとすれば、次の一文くらいのものだ。

こういうことがきっかけで、はからずも陛下から、美智子さんについて、うかがう機会があった。

美智子さんが、すぐれた家系にうまれたことは、優生学上もいいことだとお喜びだった。人間だから、勿論欠点もあろうけれど、しっかりしていて、そして気だてもやさしいようだから、皇室のいい伝統を守りつつ、皇太子をよくたすけて、かならず立派にやってくれるものと期待している、というようなことをおっしゃっていた。

入江相政『城の中』中央公論社、1959

「優生学」という言葉が出てくるのは時代がなせる業だろう。「人間だから、勿論欠点もあろう」とは当然至極の言葉であるが、両陛下が美智子さまの何が欠点であると見抜かれたのであろうか?

『天皇さまの還暦』の美智子さま

続いて1962年4月に刊行された『天皇様の還暦』を見てみよう。精読したが、美智子さまを批判する記述は一つとして見つけることはできなかった。天皇家の仲睦まじい家族愛が描かれているだけである。

東宮妃殿下の御縁がおきまりになった時、アメリカの雑誌記者が、「今度の御結婚はすばらしい。アメリカ人は喜びと尊敬をもって見守っている」というようなことを言ってから、急に心配そうな表情になって、「しかし正田美智子さんが、はたして宮廷の言葉を聞き分けることが出来、その特殊な言葉をあやつることが出来るだろうか」と聞いた。

それに対して私は、大体、日本の宮廷に、特殊な言葉が存在したためしはない。朝廷は千年ほど京都に在ったから、宮中の言葉は当然京都言葉であった。東京が首都になってからも、宮中には京都出身の人が多かったから、依然京都方言によって風靡されていた。

昭和になってからも、宮中で京都弁をしゃべる人が、いくらかいるにはいたが、それは東京の銀行、会社に、必ず関西弁の人がまじっているのと同じような程度でしかなかった。

それに第一、アクセントが関西風であるかどうか、という問題に過ぎないのであって、特殊な言語が存在したわけではない。したがって、だれかがいきなり宮中に飛び込んだとしても、言葉のことで苦労するというようなことはあり得ない。したがって東宮妃殿下が、この種のことでおこまりになるようなことは絶対にない。あらましこのように答えた。アメリカの記者は、「それを聞いて安心した」といっていた。

入江相政『天皇さまの還暦』朝日新聞社、1962

アメリカ人記者は、宮中で用いられる大和言葉、もしくは女房言葉を美智子さまが使えるかどうか心配している。これに対して、入江侍従は最大限のフォローをしていることがわかる。入江侍従にとって美智子さまは尊崇の対象であることがよくわかる。

美智子さまは何を気にされていたのか?

美智子さまが「恨んでいらつしやる」とまで言わせしめた入江侍従の著作。その仔細を見てきたが、いずれも美智子さまのすばらしさを絶賛する記述ばかりであった。当時、国民から愛された美智子さまの姿そのままだ。

唯一、批判的と読みえる記述は「人間だから、勿論欠点もあろう」という昭和天皇の言葉を紹介した一節だ。まさかこの一節をお恨みしているのであろうか? 元宮内庁職員で、美智子さまのおそばに仕えたこともある小内誠一さんに伺った。

「入江さんは多くの著作を残しているので、書籍ではなく雑誌に寄稿した文章に怒られたのかもしれません。ですが美智子さまは“慈悲の国母”というイメージに合わない報道に大変過敏に反応されましたから、この『欠点もあろう』という昭和天皇のお言葉を“お恨み”していた可能性は大いにあるでしょう」(小内誠一さん)

慈母として名高い美智子さま。だが近くに仕える侍従たちの「本音」は違ったようだ。

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