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紀子さまの博士論文
前回、紀子さまの博士論文を検証する記事を執筆した。
参考記事:紀子さま「私の方が上です!」 雅子さまへの「積年の逆恨み」が爆発 博士号の裏に隠された想い
この記事では「“名誉博士号”ではなく、“論文博士”をあえて取りに行ったのは、『学歴コンプレックス』ではないか?」という研究者の声を紹介したが、今回は心理学の視点から論文の中身をアカデミックに批評してみたい。
東京都郊外にある私立大学で臨床心理学を専門に教える心理学者A氏に話を伺った。

よくまとまった“ウィキペディア’’…
「なんの論文ですか、これは…?」(心理学者A氏、以下同)
開口一番、心理学者のA氏が述べたのは’’否定’’の2文字だった。
ーある人が書いた心理学の博士論文なのですが…?
「博士…論文… 博論の中間発表をまとめたような出来ですね。『一応、言われた通りにやりました』的な論文に見えます。正直なところ模範解答的な内容で、結末も想定の範囲内。私が指導教授なら一度突き返して『あなたは何を新しく発見したのですか?』と問います。
もちろん、まとめ方は教科書通りというか、普通の出来ですよ。ただ、博士論文には学術的価値や社会的意義が求められます。心理学のような臨床の学問ではなおさらです。一言でいうと、この論文は“上手くまとまったウィキペディア”でしょうか(笑) 正直なところ誰でも書けるというか、教科書通りでつまらない。体裁は博士論文に値するかもしれませんが、内容はハッキリ言って修士論文レベルでしょう」
「修士論文」とは手厳しい意見だ。筆者は専門は心理学ではないが、形としてはそこそこのものだと思っていたが、専門家がみると内容は「薄い」らしい。
「内容も文量もまだまだ薄いですね。仮に私のゼミ生がこの論文を出して来たら、博士号は通さないと思います。課程博士だったらまだ分かりますが、論文博士は純粋に’’論文の出来’’だけで判断しますので、これではムリです」
専門家が言うには「博士号は出さない」らしい。驚きの評価にさすがの私も胸につまりを覚えた。
「紀子さま」の名を聞き、怯える心理学者
しかし、ここで私はあることに気づいた。この心理学者A氏に対して、論文の執筆者が誰かと言うことを伝えていなかったのである。
ー先生、あのぅ。実を言うと、これは紀子さまが書いた論文なのですが。
論文をめくる心理学者の手が止まった。
「キコさま…って、何のキコさま?」
私は静かな声ではっきりとかみしめるように伝えた。
ー秋篠宮さまのお妃の紀子さまです。
すると、心理学者は明らかに動揺しているそぶりを見せ 「んーっと、一回簡単にナナメ読みしただけなので、読み飛ばしてしまっていたところもあったようです。あまり気にしないでください」とブツブツ言い訳染みた話をし始めた。そして、こう言う。
「今日、ゆっくり読んでみますので、明日お話しましょう。あらためて電話をください。ま、私は何でも“否定”から入るんですよ(笑) それでゼミ生からも嫌われているんですよねー アハハハ(笑)」
手の平を返す心理学者A氏
仕方ないので論文のコピーを渡し、翌日になって心理学者A氏に改めて電話をした。話を内容はこのようなものだった。
「いやぁ、宮本さん、しっかり読みましたよぉ。なかなか繊細できっちりした論文でしたねー」
「繊細」というのは昨日話した「薄い」を言い換えたのだろうか…?あの「修士論文レベル」という酷評は何だったのだろう。
「えーっと、昨日のことは忘れてください(笑)。私は何でも否定から入るタイプですし、よく考えたら“結核予防”という健康心理学ではマイナーな領域を1000人以上のアンケートで探っている、学術的な意義が高い内容でした」
ーでは、博士論文レベルということですね?
「もちろんです!昨日は『教科書通りでつまらない』と言ってしまいましたが、やはり’’博士論文’’にはそれなりの教科書的な作法が求められます。
その点、この論文は素晴らしい! ウチの学生にも模範的な論文だとして配ろうと思っているくらいですから(笑)。いやぁ、さすが紀子さまだナァ…!」
ー分かりました。どうもありがとうございます。
A氏に手渡した論文のコピーは後で郵送してもらうことにして、私は早々と電話を切った。

“忖度”は一歩間違えれば逆にアカハラ
こんな明け透けな「手のひら返し」を読者の皆様はどう思うだろうか。こんな人物が指導教授になってしまっては、学生も大変だ。一歩間違えればただの“アカハラ”だろう。
紀子さまの博論について、元宮内庁職員の小内誠一さんに話を伺った。
「雅子さまはハーバード大学を優秀な成績で卒業ということもあり、秋篠宮さまと紀子さまはヤンチャというイメージが強くありました。それを払しょくするために博士論文を習得して、努力されてきた聞き及んでいます。ですが博論に忖度があったことは事実でしょう。ここまでして博論を習得された裏には、もはや雅子さまへの逆恨み的な復讐心があったとしか思えませんね」(小内誠一さん)
日本の知性の底の浅さを垣間見た気がした取材だった。

皇室は令和で終わりですね。秋篠宮家はあり得ません。日本らしさもこれまでです。
秋篠宮家は皇室特権ばかり。
清貧もない、贅沢、忖度、わがまま、税金泥棒。
お茶の特権入学で1人の席を奪った。