愛子さまに昭和天皇から継承された「帝王学」 天皇陵「墓碑」に隠された秘話



文/宮本タケロウ

昭和の日

平成も終わり、令和の2年半が経ちます、「昭和の時代」を肌感覚で知る人はもはや30代後半以上の世代となってしまいましたね。昭和天皇の誕生日は4月29日、言わずと知れた「昭和の日」です。特に2019年の4月29日は、昭和天皇30年式年祭「山陵の儀」が挙行されました。

昭和天皇は、言うまでもなく、1901年に生を受けた明治天皇の初孫、大正天皇のご長男。

病弱だった大正天皇ですが、昭和天皇と年齢の近い兄弟が2人もできたことで、晩年の明治天皇は3人の孫をことの他かわいがったと、当時の史料には残っています。

昭和天皇は、明治憲法と日本国憲法と言う2つの憲法下で、11歳から20歳までは皇太子として、20歳から25歳までは摂政として、25歳から45歳までは国家元首・大元帥として、そして45歳から87歳の崩御までは象徴として人生をお送りになりました。

わずか25歳で、激動の昭和日本の荒波に立ち向かわなければならなかった青年・昭和天皇の覚悟はいかほどだったでしょう。

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昭和天皇の陵墓

さて、1989年に崩御された昭和天皇はご両親(大正天皇、貞明皇后)と同じ、武蔵野陵墓地にその御陵があります。

「昭和天皇武蔵野陵」という”墓碑”がありますが、これは礼宮時代の秋篠宮さまが揮毫した陵誌(棺に添えられた墓碑)の文字が原型であると言われています。

葬儀に先立って、陵誌には「昭和天皇 武蔵野陵 昭和六十四年一月七日午前六時三十三分崩御 平成元年二月二十四日斂葬」秋篠宮さまが揮毫をされました。

不思議ですね。天皇陛下でも、上皇陛下でもなく、なぜ秋篠宮さまが揮毫をされたのでしょうか?

「秋篠宮さまが字が上手かったから?」

と、ミーハーな声が上がりそうですが、これには理由があります。

実は秋篠宮さまは300年以上に及ぶある書道の継承者だったのです。

有栖川流書道とは…?

その書道の名前とは、「有栖川流」。江戸時代に創設された四親王家の一つ、有栖川宮家が継承した由緒正しい書道の流派です。

霊元天皇の書風を受け継ぎ、江戸時代後期、書道・歌道を家学とした有栖川宮の第5代・職仁親王(霊元天皇皇子)によって創始され、第8代・幟仁親王によって大成された。

明治の五箇条の御誓文の正本は、幟仁親王により有栖川流で記されている。また香淳皇后の武蔵野東陵の陵碑も有栖川流で書かれている。

明治以降は幟仁親王から威仁親王妃慰子、徳川實枝子、高円宮(編集部注:高松宮)宣仁親王妃喜久子の母子3代に受け継がれ、現皇室においては秋篠宮文仁親王と常陸宮正仁親王妃華子が宣仁親王妃喜久子より伝授され、継承されている。

有栖川流、wikipediaより

日本の書の文化史には「三筆」と呼ばれる書道の達人がいますが、その一人が嵯峨天皇(残りは空海、橘逸勢)でした。「書道」を貴ぶ文化が皇室に脈々と受け継がれ、令和の現在にも至っているとは感慨深いですね。

要領が悪かった秋篠宮さま

この、有栖川流と秋篠宮さまについて、皇室の文化に詳しいジャーナリストに伺う事が出来ました。

「五箇条の御誓文を有栖川流で書いたことからも分かるとおり、江戸時代以降の皇室の『書』には有栖川流が付き物です。昭和の時代になって、高松宮妃が有栖川流を継いでいたのですが、継承者がいなかったので、常陸宮妃の華子さまが皇室入りしたときに喜久子妃殿下から華子さまに伝授されました。

秋篠宮さまに有栖川流が伝授された経緯ですが、これもまた面白くて。上皇陛下がまだ皇太子だったころ、まだ子供だった秋篠宮さま(礼宮)を連れて、高松宮殿下のところに『礼宮が殿下のような字が書きたいと言っています』とお願いに行ったそうです。

それで、喜久子さまが教えることになったんですが、秋篠宮さまはなかなか飲み込みが悪かったようで(笑)、歌会始の題や天皇誕生日の歌を妃殿下の所に書いて送ってくるのですが、それがいつもぎりぎりになるまで来ない。

(書を習う秋篠宮さま)

有栖川流書道には決まり事があり、これが非常に複雑です。秋篠宮さまもなかなか上達しなかったそうです。それで、『ぼっちゃんはいつも字余りねエ』と、いつも喜久子さまが根気よく赤字を入れて直して差し上げたそうですね(笑)秋篠宮殿下に帝王学が身についていない客観的根拠の一つですね」(皇室ジャーナリスト)

飲み込みが遅かった秋篠宮さまだそうですが、最終的には祖父・昭和天皇の墓碑を揮毫するまでになったとは、非常な進歩です。

有栖川流の継承者は愛子さま?

皇室ジャーナリストはこう続けます。

「墓碑を見た喜久子妃殿下は『あら、立派な字になりましたね…』と感慨深げにおっしゃったそうです。喜久子妃殿下としては有栖川流の継承者は華子さまと秋篠宮さましかいないわけですから。残念ながらお子様に恵まれなかった妃殿下でしたが、立派に有栖川流の跡継ぎができたことをお喜びだったのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)

昭和天皇の陵墓を参拝しても、何も知らないと見過ごしてしまうような「昭和天皇武蔵野陵」の碑文ですが、長い皇室の文化の一つの「物語」がそこにあるのだと思って見ると、また違って見えるかもしれませんね。

そういえば、秋篠宮さまが伝授されて以降40年程が経ちますが、有栖川流が誰かほかの皇族に伝授されたという話はいっこうに聞きません。次はいったい誰が継承する事になるのでしょう。

皇室ジャーナリストは「あくまで私見です」と念押しして、最後に「飲み込みが悪かった秋篠宮様ではなく、華子さまから愛子さまに伝授されるのではないでしょうか。愛子さまこそ帝王学の伝承者です」と教えてくれました。

(書に勤しむ幼少期の愛子さま)

なるほど。

皇室に名百年も伝わる書道を次世代に繋げられるのは愛子さましかいない、ということでしょう。「書道」という目立たない、知られざる皇室の文化ですが、末永く続いて行ってほしいですね。それこそが「帝王学」ではないでしょうか?

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