紀子さまを動かした百合子さまの“ご忠言” 関係者「反省を口にされるのは珍しい」



文/高山麻子

三笠宮崇仁親王妃百合子さまご入院へ

宮内庁は、三笠宮崇仁(たかひと)親王妃百合子さまが24日、肺炎のため入院されたことを発表した。百合子さまは皇室で最高齢の97歳。毎月一回、中央区の聖路加国際病院で定期検診を受けられてきたが、この日午後に肺炎の兆候が見られたため、そのままご入院が決まったという。

百合子さまに高熱などの重篤な症状は見られず、意識ははっきりとしておられるとのことで、今後は投薬治療などを受けながら1週間程度で退院される見込みだという。

百合子さまは1923年、高木正得(まさなり)子爵の次女として、東京府東京市赤坂区(現:港区青山)にお生まれになった元華族。1941年、学習院女子高等科をご卒業され、同年10月22日に昭和天皇の弟君である崇仁親王との納采の儀を経て皇室に入られた。お子様には甯子(やすこ)内親王、寬仁(ともひと)親王、桂宮宜仁(よしひと)親王、容子(まさこ)内親王、高円宮憲仁(のりひと)親王がご誕生された。

また、百合子さまは三笠宮家の彬子さま、瑤子さま、高円宮家の承子さま、千家典子さん、守谷絢子さんの祖母にあたる。2016年、崇仁親王が100歳で薨去されて以降は、三笠宮家の二代目当主となられている。

三笠宮家と高円宮家

百合子さまと紀子さまの関係

親王の妃として、殿下の海外訪問には常にご同行され、戦後皇室の国際親善活動を支えられてきた百合子さま。「古代オリエント史」を専攻された殿下の史跡調査にあたっては、ご講義のためのスライドや映像の撮影を取り仕切り、そのご活動に大きく寄与されたという。

2011年10月22日、ご結婚70周年を迎えられた際の文書で、崇仁親王は「顧みれば、70年間、陰になり日なたになり私を助けてくれたのは、何といっても妻百合子であった」と感謝のおことばを綴られている。

ご結婚70周年に際して

また、百合子さまの国内でのご公務としては、1948年に「恩賜財団母子愛育会」の総裁に就任され、以降62年にわたり総裁を務められてきた。東京や地方での各種行事に熱心にご出席された百合子さまだが、2010年9月末にご高齢のため辞任。後任には2010年10月1日付けで秋篠宮妃紀子さまがご就任されている。母子愛育会は、上皇陛下のご誕生を祝して、昭和天皇が御下賜金を提供し、1934年3月13日に創設された団体である。

「紀子さまは百合子さまのご活動を模範とされ、10年にわたり同団体の活動を熱心に行われてきました。今年6月25日には、コロナ禍の中でのご活動の一環として、同会理事長の羽毛田信吾氏から母子愛育会の状況についてオンラインでご説明を受けられる機会も設けられました。

6月30日には、同団体を通じて2000文字にも及ぶ熱のこもったメッセージも発表されました。紀子さまの真摯なご活動ぶりについて、前任の百合子さまも温かく見守られ、深く安心されていたそうです」(宮内庁関係者)

百合子さまへのお見舞いのおことばも

一方、百合子さまにとっても、秋篠宮家に起きている問題は心配の種となってきたという。

「百合子さまと紀子さまは、母子愛育会の活動状況について、時折お電話などで懇談をされることもございます。百合子さまは、もはや皇室全体の問題にも発展している眞子さまと小室圭さんの婚約延期問題についてもお心を痛めておられ、色々と紀子さまからのご相談も受けておられたようです。

お優しい百合子さまですから、いつも紀子さまと眞子さまのことは気にかけておられ、『最善の決断を』とアドバイスされてきたとか」(同前)

また、ある秋篠宮家の関係者はこう話す。

「百合子さまからのご忠言については、しばしば紀子さまが憤慨されるような場面があったことも事実です。ですが今回のご体調不良については大変心配されておられます。一報を耳に入れられた際には、『ご心労をおかけしてしまったかもしれない』と反省の念を口にされました。紀子さまがこのような真摯なおことばを発されるのは極めて珍しく、それだけ百合子さまのお優しさに支えられてきたということでしょう。

この状況ですから、直接お顔を合わせる形でのお見舞いは難しいでしょうが、『お元気になられたらぜひオンライン上でもお見舞いを申し上げたい』と熱望されています」(秋篠宮家関係者)

皇室関係者の間でも心配の声が広がる中、紀子さまは百合子さまの思いをどのように受け止め、応えていかれるのだろうか?