竹田恒泰『天皇の国史』は神武天皇実在論のためなら「なんでも信じる」妖精 作家や電信士の作文を根拠にするスゴさ



文/小内誠一

神話の時代はみんな長生き

旧約聖書によればノアは950歳まで、ヨブは140歳まで、モーセは120歳まで生きたと記録されている。「昔の人は長寿だったんだな!」と真剣に信じる人は数少ないだろう。ではどう思うか? おそらく世間一般のほとんど人は「そういった聖書の記述は神話であって、史実ではない」と思うだろう。私もだ。

ゆえに「神武天皇は137歳まで、崇神天皇は168歳まで生きた」と聞いたならば、おそらく殆どの人は「まぁ神話であって史実じゃないから」と思うだろう。記紀の神代・上代の記述は、上記の寿命の一件のみならず神話的装飾に溢れているため、神武天皇ら古代天皇の実在を真剣に信じる人など殆どいない。それが現代人というものではないだろうか。

しかし「神武天皇は実在した」と頑なに信じる(信じたい)人々がいることも事実だ。『天皇の国史』(PHP研究所、2020年8月13日発売)の著者・竹田恒泰氏もその一人だ。

学問的に正しい態度!

現代人としての分別を弁えているのならば「137歳まで生きるなんてあり得ないし、非科学的・非合理的な超常現象ばかり起こるし、神武天皇は実際には存在しない」と考えるに違いない。しかし「神武天皇は実在した」という信仰を持つ竹田氏は次のように思料する。

記述の一部が非合理だからといって、すべてを否定するのは、およそ学問的な態度ではない。もし非合理な記述が実在しないことの証拠となるなら、王妃マーヤの右の脇腹から生まれて直ぐに立ち上がって七歩歩き、天地を指さして「天上天下唯我独尊」と唱えた釈迦や、処女にて懐妊した聖母マリアから生まれたイエス・キリストも実在しなかったことになってしまう。

竹田恒泰『天皇の国史』PHP研究所

この意見は正しい。だが、だからといって神武天皇が実在したことの証明には繋がらない。また釈迦やイエスの実在が信じられている理由は、考古学的根拠などが豊富に残されているからであって、神武天皇とは状況が全く違う。紀元前7世紀に実在したとされる神武天皇の存在を示す最も古い資料は、後8世紀に編纂された『古事記』『日本書紀』であり、これ以外に何も証拠はない。1000年以上後の間隔がある。神武天皇の実在論は、釈迦やイエスと比されるのではなく、ノア(旧約聖書)やヘラクレス(ギリシャ神話)と比されるべきものである。

そのような状況下であるにもかかわらず、神話的装飾に満ち溢れた神武天皇の実在を主張することは「学問的」とは言い難いのではないか。

春秋年採用の非学問的態度

ところで神武天皇の実在を信じることが出来るほどピュアな妖精である竹田氏だが、神武天皇が137歳まで生きたという記紀の記述は信じることが出来ないようだ。記紀が史実を反映していると「信仰告白」しているにもかかわらず、科学的にあり得ない個所については「信じない」というのはダブスタだ。なんでも信じてしまうピュア過ぎる竹田氏にしては、信心が足りないのではないだろうか?

竹田氏に限らず、神武天皇の実在を主張する人で「137歳まで生きた」と信じている人には出会ったことがない。では彼らはなんと主張するのか? といえば「古代日本の暦は、春秋年(二倍暦)といって一年180日だった。だから神武天皇の137歳は、現代の暦にすれば68歳だ」という主張である。

竹田氏は『天皇の国史』のなかで、この春秋年(二倍暦)がさも学界の定説かのように「数理的に証明した」「数理的な考察により立証した」「紀年論で功績があった」などと強気に発言しているが、「春秋年」「二倍暦」が歴史学界でまともに取り扱われた形跡はない。つまり「春秋年」「二倍暦」などというのはアマチュア愛好家たちが提唱したトンデモ説なのだ。竹田氏が自説を補強するために引用している根拠を列挙してみよう。

  1. 貝田禎造(経歴不明)『日本古代天皇長寿の謎』
  2. ウィリアム・ブランゼン(電信士)
  3. 山本武夫(古気候学)『日本書紀の新年代解読』
  4. 高城修三(作家)『紀年を解読する』
  5. 宝賀寿男(弁護士)『「神武東征」の原像』

などなどだ。一人としてプロパーの史学者はいない。

もちろん、いわゆる素人研究家が立派な成果を発表する場合もある。だが、そういった場合はプロパーの学者方がそれを後追いして研究するものだ。この春秋年(二倍暦)というアイデアは1985年に生まれたようだが、35年経った2020年の現在でも「史学界」で取り上げられたことがないというのは、そもそもトンデモ説でしかなかったことを雄弁に物語っている。

以上をまとめれば次のようになろう。

  1.  神武天皇の実在論は、考古学的根拠のあるイエスや釈迦と比するのではなく、はるか後代に編纂された文献にしか存在が確認されないノア(旧約聖書)やヘラクレス(ギリシャ神話)と比するべきである。
  2. 自らの信仰を裏付けるものならば竹田氏は、アマチュア愛好家の作文でさえ「学界の重大業績」であるかのように過大評価してしまっている。

竹田氏は本当に妖精のようにピュアな人間だ。『天皇の国史』を読んで心から癒された。みんなも買ってあげてください。


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