紀子さま「江戸城の模型は、悠仁が作りました」と豪語 「流石にそれは」眉を顰める関係者



文/木下聡

「江戸城天守」30分の1復元模型、29日から公開

9月29日、宮内庁は、日本史上で最も高い天守だったとされる江戸城の天守の復元模型を、東京都千代田区の皇居・東御苑内にて公開した。模型は政府の観光戦略の一環として宮内庁が製作。新型コロナウイルスの影響で今春の公開が遅れていたが、この度公開となった。

宮内庁によると、模型は実物の30分の1の大きさで、石垣からの高さは約2メートル。石垣や屋根など多くは木製で、シャチホコや家紋などの金色の装飾部分は3Dプリンターが使われた。設計・製作費は約5000万円、展示室の建築費は約5400万円で製作期間には約2年を要したという。

江戸城は江戸初期の50年間に3度築かれたが、1657年の明暦の大火で焼失した後は、石垣のみ残して天守は再建されなかった。今回製作されたのは最後に再建された寛永期の天守の模型。時の将軍は三代・徳川家光だった。この寛永度天守については、外観図などの資料が多く残されており、ち密な時代考証に基づく復元が可能であったという。高さはビル20階に相当する約60メートルで、まさに当時の建築技術の粋を集めた建造物といえる。江戸の町にそびえ立つ荘厳な天守であった。

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製作過程に興味を持たれた悠仁さま

この模型は宮内庁が製作したものであるが、その製作過程に対して、秋篠宮家の長男悠仁さまは大変強い関心を持たれたという。

「悠仁は以前から、工作に対する並々ならぬ熱意と才能を持たれており、宮内庁職員組合文化祭美術展にも数々の極めて優秀な作品を出品されてきました。

そのためもあってか、今回宮内庁で作られた江戸城天守模型にも強い関心を持たれたようで、紀子さまとご一緒に熱心にその製作過程をご覧になられておりました。

また、職員らが、3Dプリンターを使用して作ったシャチホコや家紋などの金色の装飾部分を見せると、紀子さまと共に手に取って大変興味深そうに眺められておりました。

また、石垣の着色の際には、僅かですが、指導を受けながら一部作業を手伝われたそうです。紀子さまは、悠仁さまが石垣に着色されるお姿を大変満足気なご様子で眺められていたそうですよ」(宮内庁関係者)

かつて、悠仁さまが宮内庁職員組合文化祭美術展に出品された作品は、どれもネット上で大変な評判となり、ニュースサイトなどでも「とても小学生が作ったとは思えない」「物凄い才能だ」と絶賛する書き込みが相次いでいた。

悠仁さまの作品「車両用電球信号灯の模型」

悠仁さまの作品「昔の暮らし」

「江戸城天守模型は悠仁が作りました」と豪語される紀子さま

今回、江戸城天守模型の製作過程を紀子さまと共に熱心に観察され、一部作業も手伝われた悠仁さまであるが、実は少々困った問題も発生したという。

「実は、悠仁さまが一部の作業を手伝われたことから、紀子さまは周囲の職員らに大して“江戸城天守模型は悠仁が作りました”と自慢されているようなのです。

もちろん、それ自体は全く問題ないのですが、少々困ったのが、一部の職員やマスコミ関係者を通じて“江戸城天守模型は悠仁さまが作られた”と報道して欲しいとご要望されたことです。

職員らも最初は、何かの冗談かと思い、“流石にそれは”などと言いながらご誤魔化していたようですが、その後、さらに紀子さまは真剣な顔つきで“どうしても出来ないのでしょうか?”と問い詰められたようで、職員らの中には紀子さまからの無茶なご要望に対して眉を顰める者も少なくなかったそうです」(別の宮内庁関係者)

今年1月に、宮内庁が、新年を彩る皇室の寄せ植え盆栽「春飾り」の写真を公開した際、悠仁さまは、職員の指導を受けながら、コケを配置したり、化粧砂を敷きつめたりされたのだが、新聞メディア等は「悠仁さまがつくった盆栽“春飾り”宮内庁が写真公開」などと大々的に報じた。そのため、紀子さまは、今回もこの時と同様に”悠仁さまの作品”として、江戸城天守模型を公開することを希望されたのかもしれない。

悠仁さまが作ったとされる盆栽「春飾り」

長男である悠仁さまの優秀さをアピールしたがるのは紀子さまの親心といえるかもしれないが、とはいえ職員らの努力の成果を横取りするような真似はいただけない。

悠仁さまに大変な愛情を注がれている紀子さまであるが、その深い愛情ゆえに発揮される親バカぶりのために職員が振り回されるといったことも少なくないようだ。

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