秋篠宮さま「カンニング事件」の顛末 留年さけるため泣きつかれた過去 即位への覚悟はあるのか?



今年11月中旬に“立皇嗣の礼”が挙行される見込みだ。いよいよ秋篠宮殿下が「皇位継承権一位」として堂々と君臨することになる。一方で、そのお覚悟が備わっているのか? といえば必ずしもそうではないようだ。令和元年11月30日の誕生日会見で、秋篠宮殿下は「(儀式の所作を忘れてしまっても)前回は私の隣に今の陛下がおられて,私はそこで行われる所作を,分からなければ隣を見ていればいい」驚きのカンニング発言をした。この気質は実は昔からあるのだ。

文/小内誠一

大学卒業の折…

秋篠宮殿下の成績はさっぱりだった。

暗記は比較的お得意らしく、一夜漬けが効く科目はそこそこの成績をとれていたそうだ。だがこれも高校までのこと。大学での学問というのは、単に暗記するだけではなく、自分で考え構築する必要がある。秋篠宮殿下はこのような構築力を苦手とされていた。

生粋の遊び人であり、自然文化研究会というサークルを作り、テニスやスキーに興じていた。紀子さまと出会ったのもこのサークルでのことである。もちろん年齢を考えれば「遊びたい」年頃であり、これだけをもって非難することはできない。むしろあらゆることを楽しもうとされる、明るく健全な学生だと思う。

一方、学習院大学での単位取得は順風満帆とは言い難かった。大学の講義では、教室の席で友人らと雑談ばかりしていたそうだ。もっともレポート提出の講義ならば、もちろん宮内庁職員が「おしのび」で代筆することが可能なので何とか突破していた。なにより大学側も色々と「配慮」してくれるので、レポート提出期限が近づくと職員が大学教員と電話などで連絡を取りつつレポートを仕上げるのだ。

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持ち込み不可の試験

秋篠宮殿下は「スマート」ではないが「クレバー」な方だ。昔、浜尾実元侍従が、美智子さまのことを「率直に申し上げて、美智子さまはクレバーだけれども、ワイズではない。そして、あまりにも、ご自分の人気や評判をお気になさりすぎる。そんなことは超越して、もっとおおらかであっていただきたい」(週刊文春』1993年9月16日号)と言っていたが、秋篠宮殿下は美智子さまの血をしっかりと受け継いでいるようだ。

大学の講義も「関心があるかないか」ではなく「単位がとりやすいかどうか」で選ばれた。もちろん世の若者の大半は「大学卒」という切符をもらいに大学に進学しているのが現状であるから、これだけで非難するのはかわいそうかもしれない。(この点、天皇陛下は大変真面目に講義に出られていたらしい。兄弟でこの差はなんなのだろうか?)

だが、皇族という立場を存分に生かした「忖度」が常に働いてしまうことには配慮が必要であると思う。

クレバーな秋篠宮殿下

これは秋篠宮殿下が大学四年生の時の話だ。皇族である前に大学生であるため、もちろん卒業するためには単位が必要になる。怠惰な秋篠宮殿下は、単位数がギリギリであったため、最終学期に講義を多めに取られた。そのため「教室試験」の講義も取らざるを得なかった。

先ほども言ったように秋篠宮殿下は、講義に出てもボーっとされているためノートも取っておらず「教室試験」では苦戦が予想された。

困った殿下が「試験で何を書けばいいのか解らない。白紙のまま提出しても単位が取れるか確認して欲しい。もし留年したら皇室の一大事になってしまう」などと宮内庁に泣きついてきた。宮内庁と学習院はあるいみツーカーであるため、すぐに学習院側にどのような試験が出されるのか確認を取った。だが、さすがに試験内容を秋篠宮殿下だけに先に伝えるのは「難しい」ということで見送られた。

だが、そこはさすがの学習院。講義の最終日に、担当の教員が「試験問題の内容を全員に告知」、さらに「試験日は教室に何でも持ち込み可能」という神対応をしてくださった。この神対応のおかげで殿下はなんとか単位を取り、卒業できたのである。もちろん持ち込み用のカンニングペーパーは、我々宮内庁職員が用意し、殿下はそれを教室で書き写しただけなのだが。

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