愛子さまをさしおいて、旧宮家が皇籍に復帰する案を法的に考えてみた



文/宮本タケロウ(憲法学者)

旧宮家が皇籍に復帰する案

先日、情報発信ウェブサイト”note”にて、弁護士で皇室の歴史や憲法にも造詣の深い堀新(shin hori)氏に「皇位継承で旧皇族が復帰する案について少し考えてみた」とするコラムが掲載されました。

同記事はGoogleのおすすめサイトにも掲載されました。普通、noteがGoogleのおすすめに掲載されることはまれですので、ご存知の方も多いことと思います。

今回は法律の専門家たるshin hori先生に反論するのはとても恐縮ですが、同記事に関して、少々の反論と補足をし、「皇族は人権が制限された“聖域”に存在すべき」という“固定観念”と“法律論や過去の事例”の差異を考察してみたいと思います。

まず、hori先生は「旧皇族の復帰」について、「同意する人といないひとがいたら」という題でこのような問題点を述べています。

具体的な「復帰」の形を考えてみましょう。(中略)
 まず既婚者の場合、夫は皇族になることに同意したが妻が同意しなかったら一体どうなるのでしょうか。夫だけが皇族で妻が非皇族ということにするしかありません。(ちなみに夫が皇族で妻が非皇族という夫婦は、現在の皇室典範は想定していないと考えられます。)

 また、親は復帰に同意してもその子が復帰に同意しない場合はどうするのでしょうか。(中略)
 
旧皇族からある人物が皇族になる一方で、その妻や兄弟や子は皇族ではないという事態も考えられることになります。いずれ天皇の妻や兄弟や子が皇族でないということも起こりうるでしょう。

note(弁護士ほり)「皇位継承で旧皇族が復帰する案について少し考えてみた」

確かに、1947年までは全員皇族だった旧皇族の一族も世代交代が進み、現在では本家が絶えた家や分家が栄えている家など、様々な家と様々な子孫がいます。「旧宮家の皇籍復帰」は、そうした大勢の旧宮家子孫から数名をピックアップして皇籍に復帰してもらう案ですので、家族内で皇族と非皇族が生まれるというこうした事態は起こりうる話です。

しかしながら、これについてはさほど問題視する必要性を感じません。なぜならば戦前までは兄弟間・親子間で皇族・非皇族の身分の違いはよくあったことだからです。

例えば山階宮家を見てみましょう。

幕末に創設された山階宮家は明治時代の当主菊麿王に5人の息子がいましたが、昭和時代に長男の武彦王が山階宮を継承したほか、次男から五男まではみな山階・筑波・鹿島・葛城の姓を賜って臣籍降下したことで知られています。

また、現在でも皇族の数が増えすぎた際などに皇族が皇籍を離脱することができると法的に規定されているので、「家族内で皇族と非皇族がいる」ということは不自然とは言えないでしょう。

それに、結婚で皇族に嫁いだ雅子さまや紀子さまの兄弟や両親は一般国民ですし、また現在の天皇陛下の妹・黒田清子さんも一般国民です。

「家族内で身分が異なる」という話は現在の皇室でも想定されている話です。

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旧宮家が復帰したら、俗世間に置いてきた財産はどうなる?

次に、hori先生は「現在の財産や仕事についてどう扱うか」として、皇籍に復帰した旧宮家の方々が国民として築いた財産はどうするのか?と問いかけます。

 さて、理屈や方法はともかく、とりあえず一定の人が皇族に復帰することが決まったとして、それに伴う実務の処理にも課題がいろいろと出てきます。
 一例として、旧皇族の人が会社員として生活しており、住宅ローンを組んで自宅を購入していた場合はどうなるのでしょうか。
 この自宅は、本来その人個人の財産ですが、現実問題として皇族用の新たな邸宅に住むことになりますから、もはや自宅には居住しないことになります。
 それでは、住まないままで自宅を財産として保持したり、他人に賃貸したりすることはできるでしょうか。

 日本国憲法によれば「第88条 すべて皇室財産は、国に属する。」とあり、不動産のような高額の財産を皇族が個人として所有するという事態は想定していません。住宅ローンも同じことで、数百万や数千万の債務を皇族が個人的に負う事態も想定外です。

同上

「ツッコミ」を入れたい部分を黄色でアンダーラインしました。一つ一つ見ていきましょう。

  • 現実問題として皇族用の新たな邸宅に住むことになりますから、もはや自宅には居住しない
  • 日本国憲法によれば「第88条 すべて皇室財産は、国に属する。
  • 不動産のような高額の財産を皇族が個人として所有するという事態は想定していません

まず、hori先生は「現実問題として皇族用の新たな邸宅に住むことになりますから、もはや自宅には居住しない」と述べますが、これは確かに「現実問題として」はその通りの運用になるかもしれませんが、しかしながらこれだけではまるで「皇族は個人資産としての自宅・不動産を持つことができない」かのように読めてしまいます。

実はこれ、勘違いしている人が非常に多い問題なのですが、はっきり言って大変大きな誤解です。

憲法88条「すべての皇室財産は国に属する」の条項は実は天皇と内廷皇族だけが対象なのであって、宮家は対象外なのです。

また、現在の皇族はみな、国が提供している家に居住していますが、この原則が定まったのは1968年になってからのことでしかありませんでした。それ以前はというと、なんと宮家皇族は自分の個人宅に住んでいたのです。

例えば高松宮が住んでいた高輪の邸宅は、現在「高輪皇族邸」として皇室用財産となっていますが、そもそもこれは純然たる「高松宮の個人宅」であり、現在の4倍ほどの面積があった私有地でした。

戦後にGHQによって、皇室が高額な財産税が課せられたことは有名ですが、高松宮も高輪の大邸宅に財産税が課せられ、その大部分を民間に売却したり国に物納してなんとか納税。戦後は国有の土地に高松宮所有の屋敷が建っているという形で、高松宮は国に借地料を支払わなければならなかった状態だったのです。そして、1948年と1961年に土地の半分を買い戻しました。

つまり、高松宮と喜久子妃が亡くなり、高松宮邸は土地も建物もすべて皇室用財産となりましたが、高松宮の存命時は現在の高輪皇族邸の屋敷と土地の半分は高松宮の個人資産だったということになります。

こうした状況は三笠宮も同じで、1970年に現在の三笠宮邸が赤坂御用地に完成する前は、目黒の古い洋館を民間から購入して住んでおり、土地のオーナーは民間人だったので、土地代を民間人に支払っていたのも事実です。

以上は「皇族が民間人や国から不動産を借りた例」ですが、逆に「皇族が不動産を賃貸物件にして収入を得た例」もあります。

これもまた高松宮の例ですが、戦後しばらく高松宮は、高輪の邸宅を「光輪郭」として財界に貸し出して国に払う土地代を賄っていたのは有名ですし、また神奈川県葉山町の別邸を人に貸して収入を得ていたことも知られています。

いかがでしょうか?これらのことはすべて、現在の憲法と皇室典範の下で行われていたことです。「皇族は家を買ってそこに住むことはできない」という固定観念がいかに的外れであるかがわかるかと思います。

皇族が不動産を所有し、それを運営することが法的に認められており、実際にそうした例も現行憲法下でたくさんあった以上、仮に旧宮家が皇籍に復帰したとして、その不動産をどうするかという問題は、些少な議論に過ぎないと言えるのではないでしょうか。

皇族の職業選択の自由について

さらに、hori先生はこのようにも述べます。

 さらに現在ついている職業を退職しなければならないことにもなるでしょう。会社員、取締役、公務員、自営業、いずれにしても続けることはできなくなります。(純然たる名誉職的なものは別として。)

 いずれにしても旧皇族の子孫の人たちも、今現在、社会において国民として経済的関係や利害関係の中で生活し活動しているわけですから、さまざまな影響が各方面に波及する可能性があります。

同上

horiコラムは「皇族は職業選択の自由が制限されている」前提で論が進みますが、実は、運用上「望ましくないから」という政治的判断でそうなっているだけで、実は皇族が会社を経営したり、会社員になったりすることは法律的には全く制限されていないのです。

森暢平『天皇家の財布』にはこうあります。

「すべて皇室財産は、国に属する」とする憲法八八条の規定は宮家を含まないという見解を政府が保持する限り、宮家の財産所有を規制する明文はない。

宮家皇族が会社を作って利益をあげることも、法的には不可能ではない。突き詰めると宮さまたちの良識に任されているというわけだ。

森暢平『天皇家の財布』179頁

政治的に「皇族が会社を設立すること」はハードルが高いにしても、「ある会社の株を買ってその会社の大株主になり、経営権に口を出す」程度の事ならすぐにでもやれてしまうでしょう。

まさに「宮さまたちの良識に任されている」だけの状況ということです。

法律上、皇族は「聖域」に存在しなくてもいい

以上、hori先生の議論を基に、「皇族は“聖域”に存在すべき」という“固定観念”と“法律論や過去の事例”のギャップについて考察しました。

それではこうした“固定観念と法律論のギャップ”はどうして生まれたかについては、日を改めて論じていきたいと思いますが、簡単にその「さわり」だけを紹介します。

それは、現在は「皇族は国民ではない」とするロジックが一般的ですが(horiコラムもこの前提で書かれます)、実は現行の法律(憲法、皇室典範)を策定する時には「皇族も国民である」という前提で議論がなされていたということです。

戦後の皇室をどのようなものにするかを話し合った1946年10月25日に内閣法制局とGHQ政治部の会議録にはこう書かれています(臨時法制調査會第一部會關係會談要旨(第六回))

「(皇族は)現在は選睾權も被選筆權も有せられない。それは皇族は國民とは別のものであるといふ観念から來て居る。なほ新憲法の下においては、皇族は両方ともこれを有せられる次第であって、政治的活動をするために皇族の身分を離れる要はないことになる訳である。」(芦部信喜・高見勝利『皇室典範〔昭和22年〕日本立法資料全集(1)』信山社、1990年、164頁)

政治活動は問題なしという方針で方が審議されたことを示しています。

また、皇族の職業選択についても、法律の策定時に問題視されたのは「皇族が政治に影響を及ぼすかどうか」だけでした。皇族の職業選択について、このようなやりとりがGHQ(ピーク)と内閣法制局(井出)の間で交わされたのも事実です。

ピーク:イギリスでは何か皇族の就任制限に關して法がある。將來のことを考へるとはっきりとして書いておいたらよくないか。特に法文で規定していかぬといふことがなければ。
井手:首脳部に一應相談はしておこうが、國民はすべて法の前に平等といふ新憲法の原則から心配してゐるなり。
ー:政治的ポジションのみか。
ピーク:ポジションで政治的色彩のあるものであって任用によると選奉によるとをとはぬ。
井手:大學教授はどうか。
ピーク:勿論差支へなし。
井手:大公使はどうか
ピーク:少し考へさせて欲しい

芦部信喜・高見勝利『皇室典範〔昭和22年〕日本立法資料全集(1)』信山社、1990年、170頁

法制局側(井出)が「皇族も国民だから平等にしなければいけない」という前提で話しますが、GHQ(ピーク)が「皇族が政治的ポジションに就くことは望ましくない」という意識を持っています。

そして、高級官僚たる大使や公使(外交官)に皇族が就くことについては「少し考えさせてほしい」とグレーゾーンであったことがわかります(結局この回答はでませんでした)。

彼らの頭にあったのは、その数年前まで皇族も軍令部総長や参謀長などという軍隊の実務について、軍人として実戦で働いていたという事実だったと思います。

こうしたそもそもの憲法・皇室典範策定時の実情を考えると、horiコラムの「皇族は基本的人権が制限されている」論が本来の法律の趣旨というよりもその運用上で生じたバグ(「バグ」については別の文脈でhoriコラムも記述しています)であるとも言えるでしょう。

次回はこうした皇族は“聖域”にいるべきという固定観念と法律のギャップ、そしてなぜそのギャップが生まれたのか(法的なバグ)について詳しく考察していきたいと思います。

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