美智子さま「雅子の不幸は蜜の味」 慈悲深き上皇后の“お茶会”



雅子さまは「適応障害」で長らく療養していた。そのあいだ週刊誌は雅子さまの病状・現状をあることないこと書き立てていたことはよく知られる。実はこの週刊誌の記事は、美智子さま主催のお茶会での「酒の肴」になっていたのだ。

文/小内誠一(宮内庁OB)

雅子さまの病状

天皇皇后両陛下と愛子さまは6日夕刻、改修工事中の皇居を視察するため、お車で吹上御苑に入られた。年度内の改修完了を目指し、来年前半には引っ越される予定だという。人だかりを避けるために事前予告なしの訪問だったにもかかわらず、沿道には多くの国民が集まり、これに天皇陛下と雅子さま、愛子さまの三人は笑顔で手を振られて応えられたという。

お手を振られる愛子さまと雅子さま

平成時代の東宮家の艱難辛苦を思うと、雅子さまと愛子さまに「笑顔」が戻ったことは、国民として喜ばしい限りだ。「天皇陛下万歳!」「雅子さま万歳!」「愛子さま万歳!」という声が常に沿道に賑わすのは、天皇家の振る舞いが国民に寄り添っている証左だろう。

私は宮内庁に長年勤めていたが、東宮家と密接な関係をもつ部署に配置されていた期間は長くはない。よって雅子さまの「適応障害」の具体的な症状については、知り合いの東宮職(皇太子ご一家担当部門)から又聞きする程度しか知らない。また陛下や皇族の健康状態に関する情報はトップシークレットなので、東宮職に配置されていたからといって、雅子さまの健康状態の仔細をつぶさに知りえるわけではない。

だが雅子さまの病状や行動などの一部事実が、どうしてかメディアに漏れ、あることないこと悪意の解釈をもって報道されることには、東宮職のみならず宮内庁も頭を痛めていた。内部情報が漏洩していることは事実で、職員の配置換えを頻繁にするなどして対策を取ったが、どうにも漏洩が止まらなかったことは苦い思い出だ。

国民誰しもが知るように、雅子さまが「適応障害」に苦しんでおられるのは事実だ。だからこそ国民がこれに理解を示し、雅子さまを応援できる環境になるようメディアは努力すべきだったのではないだろうか。だが、当時のメディアは、悪意をもってこれを報道し、それを読んだ多くの国民が「雅子さまは皇后に不適格」と踊らされてしまっていたのが実情ではないかと考えている。

だが雅子さまが皇后となられるや満面の笑顔をもって公務や祭祀にあたる姿を国民に示したことで、これまでメディアが展開していた論調が“杞憂”に、より端的に言えば“ウソ”であったことが明白になっただろう。

悠仁さま“担保”に、小室母子が「数千万円の金策」か 宮内庁が危惧する「最終計画」が水面下で

御所からスパイが?

このように平成の世で大流行した「雅子さまバッシング」は、信ずるに値しないデマでしかないわけだが、未だにこれを逐語的に信じている人も多いので驚く。もちろん当時の報道全てが虚実だったわけではなく、非常に生々しい内部のやり取りがリークされてしまい、それが悪意を持って報道されてしまっているので信じてしまうのも無理はない。

たとえば、雅子さまが愛子さまの校外学習に付き添われ1泊12万円「インペリアルスイート」に泊まられたことを、それこそ週刊誌(『週刊文春』2011年9月29日号)が「雅子さまの人格否定」とばかりに批判的に取り上げた。

だが、皇太子妃ともあろうお方がスイート以外のどこに泊まれと言うのだろうか。品格の観点のみならず警備という実際の問題からも、皇族方が最上階の最上位の部屋にお泊りいただくことは、雅子さまに限らず美智子さまや紀子さまも同様であるし、ホテル側としても沽券にかかわるから皇族方には最上位のお部屋にお泊り頂きたいと願うものだ。よって私からすれば当時の週刊誌報道は、明らかに度を越えて悪意をもったものであった。

この「雅子さまバッシング」の時期には、宮内庁への情報公開請求が山と来た。皇室関係の書類はプライベートに関するものも多いため、請求がきても黒でベタ塗りされて開示されるのが通例である。にもかかわらず週刊誌では黒で塗られる前のままで資料が公表されたことが2度3度とあった。特に記憶に残るのは2006年の雅子さまのオランダ静養の費用を批判的に報じた『週刊文春』2013年3月21日号である。これはプライベートなものであるから本来は開示されるべきではなかったと私は考えている。

思えば雅子さまバッシングは、皇室批判の一線を明らかに超えていた。いまは秋篠宮家に批判的な論調が目に付くが、まだまだ生易しいものだろう。眞子さまと小室圭さんの結婚問題が解決できなければ、秋篠宮家への「向かい風」は一層強くなるだろう。

美智子さまお茶会のお楽しみ

またもや話が脱線しまくったが、ようやく記事タイトルの話題に入る。

平成の世は、毎週のように週刊誌に雅子さまバッシング(醜聞)が掲載されていた。ところで美智子さまの日課は、その日発売された週刊誌の皇室記事をチェックされることだった。

美智子さまが最も気にされたのはご自身が批判的に書かれているかどうかだ。だが、93年に起きた「美智子さまバッシング」以降、皇后陛下を直接的に苦言する記事は鳴りを潜めたため、興味関心は別のベクトルに向かった。そこで新たな楽しみとなったのが「雅子さまバッシング」を面白おかしく楽しまれることだった。

美智子さまは週1くらいの頻度で、プライベートなお茶会を開催されていた。呼ばれるのは美智子さまの気心の知れた友人が中心で、清子さんは頻繁に、紀子さまは月1くらいで参加された。そこで「酒の肴」として毎度のごとく取り上げられたのが、雅子さまへのバッシング(醜聞)だ。たいてい美智子さまが週刊誌のスクラップ帳を持ち出して「あら。また雅子さんこんなこと書かれちゃってるわね~」といった具合だ。

今も鮮烈に残る光景がある。雅子さまが夜中に赤坂御用地を徘徊(週刊誌では“散歩”と表現された)しているという報道があった時のことだ。もちろんこれもお茶会で「酒の肴」にされた。のみならずこの時、ある参加者が、美智子さまの歓心を買おうと、白目で口を大きくあけ手をだらりとしながら“徘徊される雅子さま”なるお姿を再現され、参加者一同、大笑いしていた。

何とも言えないすごいお茶会であった。美智子さまの深い慈悲に基づけば「雅子の不幸は蜜の味」だったのだろう。幸いにもこのお茶会は平成の後半には開店休業状態になった。その背景には、清子さんが結婚され参加頻度が落ちたこと、小室圭さん問題などが表出し紀子さまとの嫁姑関係に変化が起きたことなどがあった。令和の時代には、皇族の皆様が優しい笑顔のまま過ごせる環境になっていただきたい。皇室は国民から愛されている。それは天皇家の日ごろの振る舞いが素晴らしいからである。

悠仁さま“担保”に、小室母子が「数千万円の金策」か 宮内庁が危惧する「最終計画」が水面下で