秋篠宮さま「タイにいるボクの“隠し子”は愛子より偉いんだよ!」“立皇嗣の礼”で衝撃発表へ



文/佐藤公子

愛子さま19歳まであと1か月

さて、立皇嗣の礼(11月8日)まであと数日、愛子さまの誕生日まであと1か月を切った令和2年の11月。

19歳まであと1か月に迫ったこのタイミングで次期皇位継承者が明確に定まるということに、紀子さまも「これで、やっと皇位継承論争の余計な芽を摘んでおける!」と晴れやかな笑顔で過ごされているご様子だと伺いました。

女系容認か、男系維持か、はたまた愛子さま天皇即位か秋篠宮さまか…

こうした論争がここ1、2年来繰り返されてきた日本の皇室を巡る言論界ですが、この論争が沸き起こったのも、「現状のまま、男系男子継承を維持するとすれば、次世代の皇統を担うのが悠仁さまただ一人となってしまう」という危機感からでした。

明治時代までは日本の皇室は皇統を担保するために側室を認め、正妻の子ではなくとも皇族として皇位継承権を持つという制度を続けてきましたが、「側室制度」は大正天皇が側室を一人も持たなかった時代になくなりました。

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皇族に隠し子がいたら?

ここで「もし皇族に隠し子がいたら?」という仮定をしてみましょう。

ベルギー王国では先日、前国王の「隠し子」が認知されたというニュースがありましたが、日本の皇室に「隠し子」がいたらどうなるのでしょうか?

前国王アルベール2世と認知された元隠し子・ボエル王女

ベルギー王室では、隠し子のデルフィーヌ・ボエルさんが前国王に認知された結果、「王女」の称号が正式に与え、デルフィーヌ・ボエルさん改め、ザクセン・コ―ブルグ・ド・ボエル王女と呼ばれることになりました。

仮に皇族に隠し子がいて、その「隠し子」が男の子なら皇統に属する男系の男子なら有力な皇位継承者候補となるかもしれませんが、実際のところ、皇族に「隠し子」がいたらどうなるのでしょうか

調べてみたころ、皇室でここ100年ほどはベルギー王室のような「隠し子騒動」が起こったことはありませんが、側室が認められていた明治時代初期には1度だけ「隠し子騒動」があったことがわかりました。

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竹田恒泰氏・ご先祖の「隠し子騒動」

近代皇室唯一の「隠し子騒動」の主役は、明治天皇の義理の叔父にあたる北白川宮能久親王です。

北白川宮能久親王

能久親王は作家の竹田恒泰氏の男系のひいひいお祖父さん(能久親王の息子・恒久王の妻が明治天皇皇女)に当たります。

幕末維新期の戊辰戦争で、幕府側から「東武皇帝」に擁立された北白川宮ですが、明治維新後は明治政府側に復帰、軍人となります。

明治維新から約30年後の1895年には陸軍中将として日清戦争後の台湾に進駐しましたが、そこでマラリアにかかり、戦病死。北白川宮は能久親王の子供の成久王が継ぐことになったのですが、なんと、能久親王には公に認められていた側室以外にも愛人がおり、その愛人が「自分の子供二人(芳之と正雄)は能久親王の後胤だ」と名乗り出てきたのです。

宮内省が入念な調査を行ったところ、二人とも確かに親王の子供であり、親王も生前その事実を把握していたことが判明したのでした。

そこで、宮内省と皇室はどうしたかというと、Wikipediaにはこのように書かれます。

能久親王の不慮の薨去後、その外妾だった申橋カネと前波栄がそれぞれ所生の芳之と正雄が親王の後胤だと名乗り出てきた

そこで宮内省が入念な調査を行ったところ、果たして両名とも確かに親王の五男と六男であり、親王も生前その事実を把握していたことが判明した。

しかし親王はすでに鬼籍にあり、この両名を認知する旨を記した遺言書もなかったことから、彼らを法的には親王の子として認知することはできず、したがって皇族の一員として王となすこともできなかった。一般の臣民であれば父親の死後でもその子が原告として検察官を相手取るかたちで強制認知の形成を提起する民事訴訟に持ち込むこともできたが、皇室典範にはこうした事態を想定した条文はなく対応する手段を欠いたのである。

それでも北白川宮家では他の庶子と同様に富子妃がこの両名を引き取って養育することにした。そこで平民の子供が宮家の一員として生活するという不都合を回避するため、翌明治30年(1897年)明治天皇は優諚によりまだ満8歳と満7歳のこの両名を特に華族に列して伯爵に叙すとともに、それぞれに新たに「二荒」と「上野」の家名を下賜した。

北白川宮能久親王(wikipediaより)

御落胤を皇室(宮家)で引き取った後、華族として称号を与えた…ということですね。

理屈としては「愛人に産ませた子供なのだから放っておけ」というよりも「高貴な皇族のご落胤なのだから大切に処遇しなければいけない…」と、宮内庁が対応を苦慮した様子が伝わってきます。

秋篠宮さまは「タイに愛人がいた」?

思い返しますと、礼宮時代からタイに研究旅行に出かける秋篠宮さまに対して、「秋篠宮さまはタイに愛人がいるのではないか?」というくだらない与太話が平成の初期に盛んになったことがありました。

(タイで泥水に浸かりながらナマズを採集される秋篠宮さま)

仮にこの話が本当で、タイに秋篠宮さまのご落胤がいたとしたら、その人は悠仁さまのお兄さまとなります。

ベルギー王室の「隠し子騒動」ニュースでは、「婚外子であろうが女系であろうが王の子供に変わりはない」という判断から、隠し子のボエルさんは「王女」として遇されることになりました。

「隠し子騒動」は、現在の日本の皇室ではありえないことかもしれませんが、仮に本当にタイに秋篠宮さま“隠し子”がいたとしても、温かく迎えられるような民度の成熟した国民でありたいですね。

(「タイに隠し子が…」と、心無い噂がささやかれていたころ。若かりし頃の秋篠宮さまと紀子さま。美しい紀子さまは圧巻だ)

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