愛子さまvs.秋篠宮さま「格上」はどちらか? 秩父宮さまの残した事実



文/宮本タケロウ

愛子さまと秋篠宮さま

皇族がたの日常が徐々に戻ってきた。秋篠宮家の長女・眞子さまは16日、総裁を務める日本工芸会の「第67回日本伝統工芸展」(日本橋三越本店)に出席された。また天皇陛下は17日午後、新総理を選出するための臨時国会に臨席され、「国権の最高機関として、その使命を十分に果たし、国民の信託に応えることを切に希望します」とお言葉を述べらられた。また長らく巣ごもりされていた上皇后・美智子さまは、11日の検診に続き18日にも上皇陛下を連れて皇居に入られた。

そして官邸や宮内庁の消息筋によれば「新型コロナも落ち着きつつあるので、10月か11月には“立皇嗣の礼”ができる」と意気込む。そして“立皇嗣の礼”が終わればいよいよ“皇位継承者の安定的確保”を目指した議論が本格化する。この問題についてインターネット上でよく議論になることに、

秋篠宮さまと愛子さまがどちらが格上か?

がある。

昨年の天皇陛下の皇位継承により、秋篠宮さまは皇位継承順位第一位の”皇嗣”となったものの、「自分は皇太子となる教育を受けていない」と皇太子となることを拒否したため、果たして秋篠宮さまの身分が一宮家皇族なのか、それとも東宮(皇太子)なのか曖昧であることがこの疑問の原因だ。

俗に、以下のように言われる。

「秋篠宮さまは皇太子ではなく、”皇嗣”であり、その地位は”皇位継承の暫定一位”に過ぎないため、流動的である」

という意見である。そして、引き合いに出されるのが、昭和時代の秩父宮の立場だ。

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秩父宮はこうだった

秩父宮さま

昭和天皇の弟・秩父宮雍仁親王は昭和天皇が1925年に即位し、1933年に皇太子(現・上皇陛下)が生まれるまで8年間、現在の秋篠宮さまと同じ「皇位継承順位暫定一位の”皇嗣”」の立場にあったからである。

この8年の間は1925年に生まれた昭和天皇の皇女・成子内親王が天皇の直系長子として存在した。現在の愛子さまと同じ立場である。

では、当然の疑問として沸き起こるのが、

「この皇嗣・秩父宮と皇女・成子内親王はどちらが身分が上だったか」

ということである。

皇族身位令にはこうある

この問題を検証するために、明治から昭和22年まで効力を持った「皇族身位令」を検証しよう。

「皇族身位令」にはこうある。

皇族身位令
 第一章 班位
第 一条 皇族ノ班位ハ左ノ順序ニ依ル
第一 皇后
第二 太皇太后
第三 皇太后
第四 皇太子
第五 皇太子妃
第六 皇太孫
第七 皇太孫妃
第八 親王親王妃内親王王王妃女王
第 二条 親王王ノ班位ハ皇位継承ノ順序ニ従フ内親王女王ノ班位亦之ニ準ス 

前項ノ規定ニ依リ同順位ニ在ル者ハ男ヲ先ニシ女ヲ後ニス

(皇族身位令)

第二条を現代語にすると、こうなる。

親王・王の班位は、皇位継承の順序に従う。内親王女王の班位またこれに準じる。

前項の規定により、同順位にある者は、男を先にし、女を後にする。

つまり、”皇位継承順位が皇族の序列の基本原理であり、女性よりも男性が優先される”ということだ。これを考えれば、皇太子でもなければ、「立皇嗣の礼」をしたこともないただの「暫定一位」である秩父宮は天皇の直系長子の成子内親王よりも序列は上であったということが言えるだろう。

成子内親王は天皇の直系長子であるが、女性であるため皇位継承権が存在しないからである。

仲睦まじく談笑される愛子さまと雅子さま

格上なのは○○さま!

こうしたことを踏まえると次に結論付けるのが妥当と考えられる。

秋篠宮さまのほうが愛子さまよりも序列が上である。

以上、皇族身位令を参照して「秋篠宮さまと愛子さまはどちらが格上か」を検証してきたが、もっとも、愛子さまを慕う方々からこのような反論を来るかもしれない。

「皇族身位令は昭和22年(1947年)に廃止されており、現在は皇族の序列を規定する法的根拠は存在しない」と。

しかしながら、確かに「身位令」がすでに廃止されたのは事実だが、それ以後、現在までの皇族の序列も、不文律として過去の「皇族身位令」を活用しているのが実情である。

これは、「身位令」と同時に廃止された「皇室祭祀令」に従って現在の宮中祭祀が執り行われていることと事情は同じであろう。

皇族は法律による秩序を重んじる方々だ。愛子さまご自身も、自分より格上の秋篠宮さまに代わって皇位を簒奪しようという不遜なことは、決してお考えでないだろう

聡明な愛子さまならば、ご自身の置かれた立場を心から理解し、秋篠宮家の繁栄を願っているに違いない。

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