“皇室ビジネス”の闇 「東久邇家」と「東久邇宮記念賞」との奇妙なカンケイ



文/宮本タケロウ

前回までのあらすじ

圧倒的な公務量を誇る秋篠宮家。コロナ禍が一息ついた今年9月から、16日に眞子さまが「第67回日本伝統工芸展」に、27日には佳子さまが「第7回全国高校生手話パフォーマンス甲子園」に、翌10月1日には秋篠宮ご夫妻が「文化庁芸術祭」に臨席された。にこやかな皇族方のお姿に、心癒された人も多い。とりわけ女性皇族の華やかなお姿は我々の目をも助けてくれる。

週刊誌『AERA』1995年10月23日号には、1970年代の出来事として、ある団体が国際見本市を開き皇族を招いた際、「年輩の宮様なら『60万円』といわれ、『格下』の宮様を招いたところ、10万〜20万円ほど安く済んだ」と関係者が語っている。秋篠宮家は格別の筆頭宮家であるから、少なくとも60万円×4=240万円ほどのおかねがうごいたことになる。

「ビジネス公務」「皇室ビジネス」と言われかねない額だ。元宮内庁職員の小内誠一さんは「秋篠宮家はお金を自由に使いたいので、内廷皇族を辞退した」と主張するが果たして——。

宮家は独立して経済活動が認められている。ゆえに昔から宮家派お手振りやテープカット、名義貸しなどの「公務」で“お車代”を得ていることは事実だ。だが、これをやりすぎたために宮家の名前を勝手に使われてビジネスが横行している現実もある。

筆者は、旧宮家の「東久邇宮」の宮号を冠した東久邇宮記念会および東久邇宮文化褒賞記念会が実施する褒賞事業に関して、現在の東久邇家と同記念会との関係を探り、「東久邇家は記念会側からカネを貰っているのかどうか」の疑問に取り組んだところ、「東久邇宮文化褒賞記念会」からは「カネを払っているかどうかはノーコメント」という回答があった。迷宮入りかに思えた東久邇家と東久邇宮○○賞との関係解明だが、別団体の「東久邇宮記念会」からはメールで回答が寄せられた。

秋篠宮家の“皇室ビジネス”が物議 「東久邇宮記念会」は「皇室利用」なのか? 取材に「驚きの解答」

東久邇家は東久邇宮○○賞のカネを貰っているのか…

東久邇宮文化褒賞記念会は「東久邇家側にカネの支払いはあるのか?」の質問に、「ノーコメント」と答えたが、そことは別の団体、東久邇宮記念会から筆者に送られた回答は、次のようなものだった。

「ご指摘頂きました会運営における名称使用につきまして。本日、会長に再度確認致しましたのでご報告申し上げます『東久邇宮記念会』『東久邇宮記念賞』等名称使用につきまして、宮本様の仰せの通り(※盛厚氏の遺言・約束)で間違いございません。

また、その使用料につきましては、過去・現在において東久邇佳子様、ご子息様より特にご要望を頂いておらず結果、お支払いはない。ということです」(東久邇宮記念会:担当者)

良かった。どうやらカネは発生していないらしい。筆者は安心した。皇室ファンの皆さんもほっと胸をなでおろしているに違いない。

彼ら側としては、その事業運営上、東久邇家との正式な関わりが強調された方が良い(より箔が付く)わけだから、「正式に名称使用料を支払っている」と言った方が得なのに、「支払っていない」とハッキリ言うということは、報酬が発生していないことは確実だろう。

事実、「東久邇宮記念会」の過去3年分の事業報告書のなかにも、それらしき支出の記述はなく、また役員名簿にも東久邇家親族の名前はなかった。幸いというべきか。

現在の東久邇家と東久邇宮賞との関係は?

東久邇宮記念会も、先に確認した東久邇宮文化褒賞記念会と同様に、「東久邇宮」の名称使用については「故・盛厚王殿下との遺言・約束に基づく」との認識である。

さらに現在の東久邇家との関わりについてはこのような説明だ。

「2011年12月12日に当会名誉顧問東久邇佳子様がお亡くなりになられました。その葬儀において、当会吉村(会長)がお通夜参列の際、ご子息様と今後の会の運営についてお話されています。また、現在においても、授与式が行われる度に、そのご報告をさせて頂いております」(東久邇宮記念会:担当者)

東久邇佳子様とは、昭和天皇皇女の成子内親王に30代で先立たれた東久邇宮盛厚氏の後妻である。名誉顧問という立場がどれほど運営実態を把握しているかは疑問だが、名目上は2011年まで東久邇佳子氏と関係があったとは分かる。

筆者の知る皇室ジャーナリストはこの回答をこう深読みする。

『お通夜でお話されています』ということは、つまり、文章ベースでの合意はなく、勝手にやっているということです。また、『授与式が行われる度に、そのご報告をさせて頂いております』と言いますが、報告書を一方的に送っているだけでも『報告している』ことにはなります。

周知のとおり、旧宮家は皇籍離脱後、生活が困窮しました。1960年代とかは宮様商売がひどかったらしいので。東久邇宮の先代がちょっといろいろな方面で色気を出したのでしょうね。そして先代の東久邇宮が亡くなった後は、これが儲かるので、名前だけ借りてやっているといったところではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)

それでは、しかし、先代(盛厚氏)のご子息側は自分たちのあずかり知らない賞に苗字を使われて、何も言おうとしないのだろうか。先の皇室ジャーナリストの分析はこうだ。

「両記念会ともに、東久邇宮の宮号使用は東久邇盛厚氏の遺言や約束に基いているという回答だったんですよね。これを考えると、東久邇家側としても、うかつに裁判沙汰にして、もし敗訴した場合、裁判所が公式に宮号の使用を認めたとなってしまうので、リスクが大きすぎると判断しているのでしょう」(同前・皇室ジャーナリスト)

なるほど…論理的な分析だ。

「東久邇家」と「東久邇宮」賞との〇〇なカンケイ…

1963年の「東久邇宮記念会」設立時には、東久邇盛厚氏も善意で「市井の発明家を讃えたい」と思っていたことは間違いない。もっとも自分が許可した「名前」が没後も使われていくということは予想していなかったろう。その盛厚氏が亡くなったのは「東久邇宮記念会」設立のわずか6年後だった(享年52歳)。

盛厚氏没後は、2011年まで配偶者の東久邇佳子氏が会の名誉顧問だったのとことだが、佳子氏は盛厚氏の後妻であって、あくまで東久邇家を代表する当主は前妻(成子内親王)の長男の信彦氏(今年3月没)である。

(昨年3月に逝去された東久邇信彦氏、同令夫人)

皇室ジャーナリストは「当主の信彦氏が正式に関わっていたのは、原宿の東郷神社崇敬会・東郷会と日本タイ協会、日本の伝統を守る会、あとは世界連邦くらいだと思います」と言う。

これを考えると、東久邇宮という名前を使っているので、東久邇家公認の賞なのか?と印象を受けるが、東久邇家が「家として」関わっていたというよりも、盛厚氏と配偶者の佳子氏が「個人として」関わっていとする方が正確な理解ではないだろうか。

筆者知人の皇室ジャーナリストはこう話す。

「ネット上では『秋篠宮の皇籍離脱』という不敬な言説が蔓延っていますが、仮に秋篠宮が皇籍離脱したらどうなるでしょうね。お人よしの秋篠宮殿下のことだから秋篠宮の名前を付した賞や財団法人が乱発されてしまうかもしれません(笑)」(皇室ジャーナリスト)

天皇の弟君が民間人となったら…あまり想像したくないシチュエーションである。

「東久邇宮賞」はデジタルタトゥー?

今回の取材では以下の点を明らかにした。

  • 東久邇宮○○賞で「東久邇宮」の名称を使用するにあたり、東久邇家側に報酬は発生していない。
  • 「東久邇宮」の名称使用は1960年代に亡くなった盛厚氏との「約束」に基づく。
  • 現在の東久邇家と「東久邇宮○○賞」との間にアクティブな交流はない。

私の推測だが、おそらくは現在の東久邇家も「お祖父さまが軽い気持ちでOKしなかったら…」と思っているのではなかろうか。

些細な気持ちで行った善意の言動が、後々どのような再利用されるのか想像力を働かせる必要がある。特に現代は、軽い気持ちの言動がインターネット上に永遠に残る「デジタルタトゥー」の危険性も説かれている。

諺に、名家三代続かず...と言うが、逆に「三代続けば末代続く」という格言もある。

先祖から受け継いだ家名がずっと末代まで続くことを考え、身を慎んで生きること。その大切さを実感した取材だった。